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コンピュータアート
2013年12月15日(日)
きのうの画廊はDAMというすごい名前で、いやスペルはちがうからいいのだが、そこでドイツのコンピュータアートの第一人者の「フリーダー・ナケとその友人」というのをやっている。そこにつれあいも出してるわけだが、みながらいろんなことを考えた。つまりコンピュータアートのほとんどは、とくにそこにあったうちでも古いのは、ミニマリズムというか、ひとつの点を中心にしてそこから広げていくというか、派生していくというか、そういう印象を持つ。点も線も等価値に広がる。で、つれあいのはその中心がない。思えば初期からそうであった。中心がなく、赤ん坊がはじめてぺんをにぎって、ぐりんと描いたようなイメージが拡散していた。そこからむかしの地球みたいに、草木がはえだし、人が出始めたが、草木にも人にも顔が無かった。いつか草木はジャングルになり、そのなかを人が徘徊した。それから人が具体的に描かれ出して、表情を持った。人格ももった。草木は鉢植えになって机の上におかれた。あの時期がいちばんつまらなかった。それから人が消えて、植物のしげる時期に入り、植物がしげりはじめ、それから植物が形をなくし、くずれていって、色だけになり、今はごくごく初期の70年代のころの、イメージが、原始的にひろがるだけのイメージにもどっている。
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