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帰る
2013年12月20日(金)
これから帰る。
観光二日目
2013年12月19日(木)
きのうはR子さんと、バスで動物園前駅に行こうとしたら、8分も待つので、近くにあったパン屋に入ったところ、快活で話好きなオランダ人のおばさんに(といっても同世代か若いか)話しかけられ、芥子の実入りシナモンロールみたいなのを買って、バスに乗り、動物園前までいろんな道を見ながら行ったら、Kaiser Wilhelmメモリアル教会がやたらに近く、それでつい見学し、そこからSバーンでHackescher Markt 駅にいき、ペルガモン博物館で大きな青い門に驚嘆し、ベルリン大聖堂のてっぺんまでのぼってベルリン市内の「普請中」を睥睨し、Hackescher Markt 駅にもどって、Hackescher Höfe という中庭のあるモールみたいな建物にいって歩き回ってみたが、そこのレストランはあまりにツーリスト向けっぽくて、前にBに教えてもらった近所のイタリアンにいっておいしく食べ、舞姫のモンビジュウ街をちら見して、路面電車にのってKWという現代美術センターにむかったが、方角間違えて、乗り直し、KWでChristoph Schlingensief 展を見て、SバーンでPotsdamer Platzにいって、Sonny Center を見学し、Glühweinという熱くて香料入りのワインを飲み、ベルリンフィルを遠くに見て、それからCharlottenbergのChristmas Marketにゆかむとおもひしが、ふたりとも疲れ果てて動きたくなくなっており、てきとうにそこのChristmas Marketの屋台で、芋の揚げたのやマジパンやちょっとしたおみやげやちょこちょこ買って、下宿近くの駅に戻り、スーパーでソーセージその他を買って家に帰って食べて、8時ごろ爆睡であった。R子さんは人並みの時間に寝たらしい。で、しめきりが気になり、2時すぎにおき、しばらくもがき、また2時間ばかり眠って今にいたる。さっきR子さんはオスロに持って帰るハムやらソーセージやらを買い出しにちょっと遠くの大きなスーパーに行き、クリームのケーキをおみやげに買ってきてくれた。きょうはもうズンバもいかずに仕事と準備をしておる。今晩、ベルリンでの最後のお仕事。
普請中
2013年12月19日(木)
とにかく「普請中」だ、どこもかしこも。えんえんと「普請中」なのである。
観光
2013年12月18日(水)
きのうは一日R子さんと観光だった。近所のスーパーをみて(R子さんはおばさんである)ベルリンに留学中のR子さんの学生に会い、博物館島にいき、Neues博物館をみて、外に出て、日没の光の中をドームから「普請中」のウンターデンリンデンをブランデンブルグ門まで歩き通した。それからStadtmitteのあたりにとって返して休憩して、FUの待ち合わせにいった。Iさんたちとあって弁士つきの日本映画みてごはん食べてかえった。疲れはてておる。
友人がきた
2013年12月17日(火)
オスロのR子さんが遊びにくるので、ベルリンウエルカムカード(3日間乗り放題)博物館島チケットつきというのを買って、Shonefeldの空港にいった。地下鉄とバスをのりついでいったが、通り過ぎる人々が三々五々たばこを吸っている。このごろ見なくなった光景だった。すごく東側的だった。そこは小さい、しょぼい空港で、壁崩壊の直後、ベルリンからワルシャワにいったとき、遠くの小さい、しょぼい空港から出たが、ここかもしれない。ワルシャワでは見慣れたオケンチェでないところについて、あわてたら、国内用の空港だった。しょぼくて小さかった。空港のすみにベトナム人がおおぜいいてパスポートチェックのとき、おまえもベトナム人かと聞かれた。ポーランドはすっかり様変わりしていた。ワルシャワから、ルブリンの友人のところに行った、そこで夜を徹して演劇のワークショップに出た。あれはすごく刺激的で詩に書いた。「のろとさにわ」の中の一つだ。当時はメールなんかなかった。どう動きまわり、人に連絡とったのだろう、覚えてない。そのルブリンの友人とはfbでときどき「はい」くらいやりとりする。おっとつい昔話を。この東独的なふんいきを見て、においをかいだせいだ。 今は昔。とにかく空港のArrivalで、すっかり地元民の気持ちでR子さんを待ったが、なかなか出てこない。しばらく待って気がついたら、その便だけ、別のターミナルだった。それであわててそっちに行くとR子さんが待っていた。午後、ズンバ、R子さんも初ズンバ、たのしそうにやっていた。インストラクターはいちばん簡単にフォローできて、しかも明るく楽しいG(男)。オスロでもやろうかなあといっていた。こうしてあたしはズンバ菌をあたりにまきちらしているのである。StadtmitteでBと待ち合わせ、いっしょにクリスマスマーケットにまたいって、Bとあたしはシュニッツェル、R子さんはオーストリア風きのこのグラシ、それからビール、これがBに会う最後だ。何回も会った。ゆうべも4時間しか寝てないのでぼろぼろに疲れて、帰ったらR子さんがデパスというのをくれた。熟睡して、6時間眠れたというわけだ。
けつに火が
2013年12月16日(月)
ついたまま、かちかち山状態で、『先生どうやって死んだらいいですか?』(文藝春秋、来年のはじめ発売、山折先生と)のゲラ見しておる。きのうは90歳の老指揮者がモーツァルトとブルックナーを振るのを見届けた。それからベルリン市内をIさんとSさんにつれられて、Mさんと。
ルター派教会
2013年12月15日(日)
今朝はIさんにくっついて近所の教会にいった。Iさんの通っているルター派の教会で、ベルリンでも1、2を争うほど古いそうだ。土台のあたりは1200年代にできたそうだ。つまりその頃はルターでもプロテスタントでもカトリックというか「普遍的な」「ふつうの」キリスト教の教会だったわけだ。今日は特別な日でIさんが堅信礼というのか、バーミツヴァみたいなもの、を受けてから50周年だから特別な儀式をやった。Iさんのほかにも50周年が二人、70周年が二人いた。Iさんにつれられて入っていくと、もう何人かがいて教会の牧師さん(というのか?)たちが、黒板みたいなところに数字を置き換えていた。運転手役で連れてきてくれた夫のSさん(日本人)が「異教徒だってわかっちゃったら、これからキリスト教徒になるつもりなんですっていうんだよ」とか「みんながおいのり始めたらちゃんと親指かくして」とかさんざんからかって自分は帰った(Sさんは教会に行かないんだそうだ、それはそれでよくわかる)。教会の内部は別に火の気が無かったが寒くはなかった。壁に浮き出しているはげかけた絵がいかにも古そうだった。椅子の状態は、四角くて閉じていて、なんとなくベルリンの地下鉄の内部みたいな感じ。鐘が鳴り始め、フェイドアウトしたら、オルガニストがパイプオルガンを弾き始めた。そして堅信礼記念の人々が入場した。すべてドイツ語だったのでもちろんよくわからなかったが、まあそんなものだ。さすがにルター派で、よく歌った。ぜんぶで、黒板にかいてあるのだけでも8曲、あと短い、あたしは知らないがみんなが知ってるのを歌っていたから10曲は歌ったと思う(あとで式次第をみせてもらったら、もっとだ。カトリックの典礼にあるようなキリエとかそういうのをいくつも歌って、そのあいだに賛美歌が8曲はさまったのだ)。そのあいだに黒い長い服に胸に白いリボンみたいなのをつけた牧師さんがお説教をした。最後のほうで、牧師さんがウェハースを見せて何かいうと、人々が前に集まった。かぞえてみれば35人くらいはいたと思う。出ていかない人も、何人かいた。そして輪になって牧師さんがウェハースを配った。食べる人も食べない人もいた。それから大きな金属の台つきカップをまわした。飲む人もいれば(まるで茶の湯みたいに次の人にまわした)さっきもらったウエハースを浸して食べる人もいた(もともとは飲むのだが、このごろは衛生的に浸して食べる人も多い、アングロサクソンの影響かもとあとで見習いの牧師さんがいっていた)そして手をつないでお互いに顔をみあわせてねぎらいあった。そして牧師さんがマイクの前で何か唱えて十字を切っておしまいだ。最後にオルガンが「主よ、人の望みの喜びよ」を演奏した。こういうふうにしてバッハが何か弾いた教会もあったのだなと思うとちょースリリング。
コンピュータアート
2013年12月15日(日)
きのうの画廊はDAMというすごい名前で、いやスペルはちがうからいいのだが、そこでドイツのコンピュータアートの第一人者の「フリーダー・ナケとその友人」というのをやっている。そこにつれあいも出してるわけだが、みながらいろんなことを考えた。つまりコンピュータアートのほとんどは、とくにそこにあったうちでも古いのは、ミニマリズムというか、ひとつの点を中心にしてそこから広げていくというか、派生していくというか、そういう印象を持つ。点も線も等価値に広がる。で、つれあいのはその中心がない。思えば初期からそうであった。中心がなく、赤ん坊がはじめてぺんをにぎって、ぐりんと描いたようなイメージが拡散していた。そこからむかしの地球みたいに、草木がはえだし、人が出始めたが、草木にも人にも顔が無かった。いつか草木はジャングルになり、そのなかを人が徘徊した。それから人が具体的に描かれ出して、表情を持った。人格ももった。草木は鉢植えになって机の上におかれた。あの時期がいちばんつまらなかった。それから人が消えて、植物のしげる時期に入り、植物がしげりはじめ、それから植物が形をなくし、くずれていって、色だけになり、今はごくごく初期の70年代のころの、イメージが、原始的にひろがるだけのイメージにもどっている。
一日券を活用した
2013年12月15日(日)
「チャイコフスキー」つまんなかった。寝てしまった。音楽は生ぬるくてダンスはあまりにクラシック、引用もなんだかなという感じで、古典使って現代やってる意味ないじゃん、かえったろかと思ってるうちに、ボレロみたいな円卓の周囲で、男だけがわらわらと踊りはじめ、赤い服の男の子がでてきて、そこは振り付けもすごくかわいくて、いっぱい拍手してしまったぢゃないか。ドイッチェ歴史博物館は、まず受付のおばさんが、昔ポーランドでさんざんいやな目にあったような、冷たくて融通のきかない東側的官僚的おばさんで、気圧された。ルターの前後しか見るつもりはなかった。クラナッハの描いたルターの肖像画は親鸞そっくりで、妻は恵心尼かと思うほどで、すごくよかった。必死で英語の説明よんで集中して展示ものを見てるうちに30分くらいで疲労困憊してしまった。そういえば上野の親鸞展も、あんまり一所懸命見過ぎて、30分くらいで疲労困憊していっしょに行ったM子に何かいわれたっけと思い出した。「ルター後の生活」みたいな特別展開催中だった。でもそっちの解説はほとんどドイツ語で歯が立たなかった。感動したのはウンターデンリンデン、だだっ広い大通りで、激しく改修中だったけど、壮大さはちゃんとわかった。こないだ来たときもたしか改修中だった。終わらないと見える。そしてうろうろしてたら、こないだBに連れていってもらったフランス聖堂、ドイツ聖堂のある広場にたどりついて、案外せまい地域をうろついていたのだということがわかった。それからMitte(中央区)とはいうものの、旧東ベルリンど真ん中(なにしろ最寄り駅の名が「マルクス主義博物館前」だ)の画廊にいって、つれあいの絵をみた。性格の悪い爺いだが絵はいいのだ、すごく。そのへんの光景がなんとなくワルシャワの前住んでいた住宅地みたいに荒んでいて、なつかしかった。それからズンバにいったら、今までとったことのない先生で激しいのなんの。疲れはてた。それから学生Mに会いに行き、親鸞の話に花を咲かせ、おもしろい、頭のいい、なんにでも好奇心のある男の子で、こういう日本文化に熱心な若い人はほんとにうれしいのだ。京都に留学していたから京都弁つかうのがおもしろかった。そこからStaatsoperにいった。帰り、地下鉄のなかで本を読んでいたらまた乗り過ごした。きょうはじめて地下鉄の1日券を買った。3回のるんなら、1日券のほうが安くなるが、きょうは6回乗って、有効すぎるほど有効に使えた。アインシュタインカフェというスタバみたいなところで、アップルシュトルーデルを食べたが、そのうまさたるや、スタバやPeet's(カリフォルニアのスタバみたいなところ)の食べ物の比ではなかった。
暖房と不眠の関係
2013年12月14日(土)
ゆうべは5時間眠れた。2時間とか3時間よりはずっといい。それで締め切りがひとつ終わった。だからきょうズンバの前に博物館へ行ける。つれあいの絵がどこかの画廊に出ているので、それも見に行ってやらねばならない。そのあと仏教をやってる学生に会う。それからボリス・エイフマンの「チャイコフスキー」を見に行く。眠りは足りないが、現代のバレエだから寝てしまうことはないと思う。 眠れない理由(の一つ)がわかった。この空気だ。部屋が密閉されて、暖かい。これで寝にくくなっているようだ。カリフォルニアの家は隙間だらけですーすーしておる。けっこう寒いときもあり、暖房はつけるが、夜はかならず暖房を消して、すーすーさせないとあたしは眠れない。熊本の家はもちろん冬は低温。あたしの部屋には電気のラジエーターがあって(あたしは)快適だが、来た人は寒いという。石油ストーブで、部分的に暖めてある。でも全体は低温、昭和のむかしの板橋の家ほどじゃないけど。ホテルなんかもこの密閉した暖かさがあるけど、眠れないということは時差ぼけのとき以外はない。違いがわからない。 ゆうべつれあいとスカイプでしゃべっていて、つい口論に。まったく。彼の世間に対する態度が、あたしは気に入らない。自分をいつの時代の何様と思っておる、とあたしは思っている。……読んでる方、これ、自分のためのメモなんで気にしないでください。
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