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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

ベルリンとロンドンと講演とパン

2014年04月01日(火)

Nちゃんが読んでるよっていってたからがんばって書いちゃうぞ。おとといよく眠れて、ほっとしていたのもつかの間、きのうはぜんぜん眠れなくて朝の6時まで起きて仕事していたのであった。ベルリンもロンドンも変わらない。同居人がいようがいまいが、ぜんぜん変わらない。むしろつれあいがぜんぶタクシーで動くので(歩けないからだ)ロンドンの交通事情も場所もなかなか覚えられない。そういう意味ではベルリンの方がおもしろかった。タクシー(シャーロックが通りに飛び出してコートの裾をはためかせながらTaxi! と呼んで停めて飛び乗っているアレ)に何回も乗ったが、アレよりミニキャブといわれるものの方が安いということを知った。それはあんな団子型の車じゃなくて、ふつうの乗用車が迎えにくる。シャーロックがミニキャブを呼ばないのは、急いでいるからとお金の計算できないからなんだな、きっと。
きょうはつれあいの仕事でGoldsmithという大学に行った。トラファルガースクウェアとかビッグベンとかロンドンアイとか、めぼしいシャーロック印のものを通りすぎながら、川向こうに渡って、貧しげな町並みのなかに大学はあった。そこでA.I.とアートの関係の展覧会をやっていて、そこで講演をしたのである。講演は思いがけなくとてもおもしろかったし、いつもそばで見ていることだから、言ってることもよくわかった。あたしも愛想よくいろんな人としゃべったし、つれあいも、いつもの隠者癖をひっこめて、社交的にいろんな人としゃべって飲んでごはん食べておった。
ベルリンもここも、19世紀のヨーロッパ人ってなにか勘違いしてたんじゃないのと詰問したくなるような、こういうのを見ちゃったから漱石も鴎外もフリークアウトしたんだろうなと納得できるような、重厚さ、荘厳さ、ばかでかさが共通しているのだが、大きな違いは、ベルリンは町じたいが(そして国家も)新しくて、ここは古いということだ。ふるーいものが、産業革命で新しくなったが、隠しきれずににょきにょき出てくる、押さえつけても出てくる、そんな印象だ。
Goldsmithのパーティー、といっても酒はいっぱいあったが、つまみはポテトチップスやクラッカーだけだったのだが、へんなものを食べた。プリッツみたいなものでなにか塗ってあった。まずかった。イギリス人が好むマーマイト味(しょうゆを固めたような、不思議な発酵臭と塩気)だったのかもしれない。あ、あと、食べ物で気がついたのはパンの軽さだ。日本をはじめ、アジア系のパンやのパンが「炊きたてのご飯的もちもち」を追究し、ある程度成功し、あたしなんかカリフォルニアでそれ以外食べなくなっちゃったのだが、ここのパンは軽い。トースト用のパンも、かたまりで買ってくるパンも、トーストして食べると一様に軽くなる。日本のトーストがこっちの人たちにたいへん評判が悪い(とくにうちのつれあい)のもわかる。かるくてかさかさすかすかな何かをそこに追究しているのだ。かるくてすかすかだからWholeFoodsのパンが、ブールみたいな大きさのが、1パウンドという、カリフォルニアのWholeFoodsでは考えられない安さであった。これはパウンド貨の高さを考慮に入れてもなお安い。安いのに、きちんと軽くて、乾いて、すかすかで、たいへんおいしい。イギリスの文化が追究してるものを知りたい。その味覚の根源にある味はなんなんだろう。

友人の家に行く

2014年03月31日(月)

起きたら11時、よく寝た。同じヨーロッパでもベルリンとロンドンはこんなに違う。同居人がいるだけで、うちにいる気分なのかもしれない。12時につれあいの古い友人のうちにお昼に。美術評論家と美術史家の夫婦で、絵に描いたようなロンドンの郊外の古い横並びの家の一軒に、絵に描いたようなイギリスの美術家らしいインテリアで、絵に描いたようなイギリスっぽい室内植物とともに住んでいる。夫はイギリスっぽいユーモアにあふれた人で、紳士とか殿方とか言いたくなるようなたたずまいの人で、上品な可笑しいことをイギリスっぽくいつも言っており、イギリスっぽいユーモアのあふれた漫画みたいなイラストを絵に描いている。ついてすぐ、奥さんの評論家が「つげ義春」特集の「芸術新潮」を持ってきて、この漫画家はなんだと聞かれ、ロボット漫画について説明しろといわれ(何かに使うらしい)日本のロボット漫画には、自立ロボット漫画と人が操縦する他立ロボット漫画の二種があり、意識を持って自立する方はアトムから始まってPlutoにつながり、人が操縦する方は、鉄人28号から始まって、武器的なガンダム、農機的なパトレイバーとさまざまな進化を遂げ……などと持論を展開したのであったがわかったかどうか。この人は子どもの頃ポーランドから、まるで「ペインテット・バード」か「悪童日記」かという経験をしながら逃げてきた人で、彼女を探し出したイギリス在住のおじさん夫婦のどちらかが、A・ジャリの「ユビュ王」のイラストを描いた人だった。「ジャリおじさん」の元ネタになってるあの絵である。評論家がつれあいの若い頃の資料をいっぱい集めているので見せてもらった。若い頃の写真が何枚もあった。性格がわるそうだった。これじゃ人とうまくいかなくてこっちの社会おん出てしまうだろうなあという写真の中の笑顔であった。Sohoの家に帰ってきてしばらくしたら熊本文学隊のNさん来訪。三人で少し話して、疲れ果てたつれあいを置いて、Nさんとあたしだけ外に食事に出た。

アゴラ

2014年03月30日(日)

迷っていて気がついたが、ところどころになんとかスクエアという場がある。小さい町の公園風なところからトラファルガーの大きいのまでさまざまだ。小さいところは市民が憩っておる。飼い犬がリードを解かれて走りまわっておる。スクウェアもあるが、サーカスというのもある。ピカディリーやオクスフォードだ、そこは車が行き来する多叉路、ロータリーというのとどう違うのか考え中。イギリスに多いラウンドアバウトともちょっと違う。この頃カリフォルニアのうちのそばにもラウンドアバウトができた。アメリカ人の運転はまじめで情がある(日本人に比べて)ので難なく使っている。日本にあれができても、だめだろう。
ベルリンではプラツというのがあちこちにあった。それがおもしろくてたまらなかった。なんのための場所だろうかと考えた。鴎外記念館のBが、プラツはもともと市の立つ場で、ちょうど鴎外が来たころに公営の常設市場ができたのだといっていた。交通の要所でもあった。しかしこんな広場を作って、人を集まらせ、そこで謀議などして政府のてんぷくを図ったら、どうするんだろうと思ったものだ。

WholeFoodsに買い物と客

2014年03月30日(日)

ランチに客がくることになっていたので、朝、ピカディリーのWholeFoodsという、アメリカ資本の高級スーパーにお総菜を買い出しに。WholeFoodsがその町に来れば、その町は成熟したといわれ、カリフォルニアのうちの町にも数年前にできた。お総菜は高級でおいしいが、高いので、あたしはもっと庶民的かつ知的なと思えるTraderJoe'sに行ってしまう。朝、裏通りを伝い歩いて行った。そこらへんはゲイ関係の店が多くて、行き交う人たちもほとんどゲイだ。そういえば今日(ロンドン時間で29日)から同性婚OKになる。WholesFoodsで2つの買い物袋(持参したTraderJoe'sの袋とNちゃんにもらったKINOKUNIYAの袋)いっぱいに詰め込んで帰ろうとしたら迷子になった。大きな通りに出て、花屋の店先のライラック、これぞヨーロッパの春ーーという花束にみとれていてはっと気がついた。そこはLibertyという有名店であった。何かおかしい。道が大きすぎる上に向こうの道筋には、まるで阿蘇の外輪山のように、荘厳で重厚な建物群がそびえたっておる。ここはもしやRegent street、あの銀座や日本橋の(ちょっと前までの)町並みは戦後再興期にここの景観を安上がりにパクったにちがいないと来るたびに思うのだが、通り名を見たらまさにそうだ。地理がわかってないので、新宿二丁目を歩いていたらいつのまにか銀座に来てしまったような感じで、あわててつれあいに電話したら、タクシー拾って帰ってこいと役に立たない助言をされ、Sherlockじゃあるまいし(カンバーバッチのです)コートのすそをはためかせて、手を上げて「Taxi!」なんていえるわけもなく、そのままもくもくと元来た道を歩き続けて、元の新宿二丁目に出たのであった。
お客はつれあいの友人の美術大学の教授とアーティストの夫で、とてもとてもおもしろい女だった。しかし生粋のロンドン中心で生まれ育った人で、そのなまりか性格か、なかなか聞き取りにくいしゃべり方だったが、おもしろいので一所懸命耳を傾けた。お客をもてなし、つれあいは疲れはて、あたしはまたWholeFoodsに、明日はつれあいの別の友人宅に、太古からの友人の家にお昼にいくので、手みやげの花とワインを買いに出た。こんどは迷わず、表通りを通って帰ってきた。ピカディリーからちょっと行くとShaftesburyという通りになり、中華街になる。だからあたしはinvisibleになる。

ロンドン着いた当日

2014年03月29日(土)

Sohoのアパートメントに着いて、すでに疲れ果てていたつれあいは身動きもできなくなって寝てしまったので、一人で周辺の探索と買い物に行った。もう6時前で、通りには人があふれていた。パブとかレストランが建ち並ぶ繁華な通りである。タクシーの中から街を眺めていたら、街を歩く男がみんなSherlockのWatsonに見えてしかたがなかったが、自分が歩いて個々の男とすれ違うと別にWatsonにみえなくなっておる。Tescoというスーパーで買い物をしていたら、在英7年というインド人の男に「きみの髪は美しい」と声をかけられた。40くらいの知的そうないい男。くふふふ、なんていいとこだろう、ロンドンは。酒とか牛乳とかジュースとかパンとかワインとかハムとかチーズとか買ったら、重たくて、その上寒くて、それ以上うろつく気になれずに直帰したのだが、道々目についたのが、パブの前のおおぜいの人だかり。とんでもない数の人が店の前で立ち飲みをしている。中をのぞくとそこも立ち飲みの人々で(わずかに席があるが)立錐の余地も無い。Mのズンバでもここまで人は集まらない。そういうパブが点々とある。不思議なことにここはSohoでチャイナタウンに隣接しており、街にもTescoにも多種多様な人が行き交っているのに、パブにいるのはいわゆる「イギリス人」ばかり。イギリス文化の根本は、おそろしく社交好きで話し好きな文化じゃあるまいかと思いつつ、ちょービールが飲みたかったが、ひとりで入って、おやじいつものと頼む気にもなれず、泣く泣く家にかえって、お風呂入ったり(ここには湯船がある)買ってきたもの食べたりしていたら、9時ごろつれあいが目をさまして、周辺の探索に行こうと誘うので、外に出て、そういう立錐の余地も無いパブの中に入り、椅子を見つけて座ってLondon prideを半パイント。あーーうまかった。まろやかでこくがあって奥深くて。そして適温であった。カリフォルニアのビール屋は、どこも冷やしすぎ。そのあと、つれあいは杖をつきつつ無理を押して歩き回り、あたしに案内してくれてるようで、ここをまっすぐ行くとトラファルガースクエア、ここを行くとピカディリー、ここには60年代に公衆便所と呼ばれていたレストランがあって(内装が似ているせいで)2シリングでどっさり食べ物が出てきたからよく来たものだなどと若い頃の思い出を語りつつ、適当なレストランに入って食事をしたが、気がつくと客は若者ばかりで、ウエイターはみんなゲイだった。帰ったら11時近く、つれあいはもちろんコートも脱がずに虚脱しており、あたしもさすがに疲れて12時前には寝て6時まで寝た。

ロンドンへの機内、着いてすぐ

2014年03月29日(土)

今回はつれあいがいっしょなのでビジネスクラスの大名旅行(つれうあいは高齢すぎてエコノミーに耐えられない。じゃあたしはエコノミーいくからといったら、まあそんなことは言わずにと無い袖を振ってくれた)。飛行機は同じUA でもずっと快適で、同じUAなのに食事もうまく、よく食べよく飲み快眠で、しかもSherlockの新しいのをやっていたからそれを見て、American HustleとDallus Buyers ClubとSaving Mr.Banksと永遠のゼロと清洲会議もなんとなく見て、ぜんぜん仕事はできずにロンドンについた。つれあいは食べ物にも不満だらけでよく残し、映画も見ないであたしの見ているのを横目で見ているばかりで、横になって明りも消したのにぜんぜん眠れなかったそうで、よろよろで、トイレに立ったが、前の人がなかなか出てこず、長い間待っているうちにちょっともれた、年寄りはおしっこが近すぎると自分をののしりながら帰ってきた。とうぜん飛行機から出てもまったく歩けなくなっており、予約しておいた車いすで、ヒースローの長い道のりをなんとか済ませた。旅券審査場で、商用か観光かという質問に、商用半分家族に会うため半分と答え、商用とはなんですか?と聞かれて、子どもみたいにほこらしげに、Gで展覧会がありTと商談するのだ、Gは自分の展覧会というわけじゃなく自分はその審査員なのだ、と異様に詳しく答えていた。つれあいは「生まれた場所」にはLondonと書いたが「国籍」はUSと書き込んだのである。外に出て、タクシーでSohoに向かったが、外は花ざかりで、桜その他、レンギョウその他、あと草の上の花々も満開であった。煉瓦の壁がやたらに目立ち、煉瓦の歴史について考えた。19世紀に煉瓦の製造が盛んになり、大量にできるようになり、それで都市が形成されていったそうだ。Sherlockの冒頭に毎回出てくるロンドンの街の風景の一つ、ピカディリーのSanyoはHyundaiに取って代わられようとしていた。

Mとズンバ

2014年03月26日(水)

土曜日は12時のMのズンバを休んだ(8時半のCは行った)。行けるのに行かなかったのは初めてだ。今は出発前で、しかもしめきりで、ものすごくせっぱつまっている。日曜日に2時間もズンバに消費するとなると、土曜日は朝やっといて昼間そわそわせずにうちにいた方が仕事になると思ったから英断した。それほどせっぱつまっている。日曜日は大きなお祭り会場で(夏になると農業市民祭りが開かれる場所。英語にすればCounty Fair 『11の声』を訳しているとき、訳語に困ったものだ)Mのズンバがあった。Mを崇拝し追いかける女たちが(いっぱいいる、あたし以外にも)YジムからもTジムからも集まってきて、みんなで踊り狂った。バッコスの信女たちみたいだった。Kが夫を連れて来てたが、夫は見物席にすわってずっと携帯をいじっていてぜんぜん妻のズンバはみてなかったというのがおもしろかった。まあ、そうあるべきだ。月曜日はMのクラスがYジムで朝と夕方と2回。遠くにひっこした友人Aも2回とも来た。Bも、比呂美が来ると思ったからといって来た。Dもいた。もともと人なつっこいのか、こういう生活(想像してください)で人恋しいのか、どの人とのかかわりもとても楽しかったのである。きょうはTジムでMのクラス、Mに「あんたはあたしにfed upしないのか?」と聞かれた。そら、聞くわなーー。「ぜんぜん」と答えた。

橋本さんとTさん

2014年03月24日(月)

橋本さんどうしたといろんな人に聞かれたが、関係なかったみたいだ。泰山鳴動して鼠一匹? とにかくあたしは不死身。きょうは大きな会場で「健康まつり」というのがあってMがズンバやるのでみんな(いつものズンバなかま)で行く。あたしはDと一つ車で行く予定。
Tさんと40数年前の話をしみじみと交わしている。Cちゃんがいなくなったあと、Tさんと仲良くなったのも、お互いなんとなく孤立していたのを清水先生がくっつけてくれたんじゃないかという気がしてしかたがない。小5小6の頃だ。そんな話になり、Tさんが遠くの板橋で涙ぐみ、あたしもカリフォルニアで涙ぐんでおる。縁とは不思議だ。40数年経って巡ってこようとは。

南インド洋

2014年03月23日(日)

南インド洋は、「強風が吹き荒れ、潮の流れも速い」ところだそうで「巨大な渦巻があることで知られる“最も困難で危険な海域”」であるそうで、「風波も強く『世界で最も荒い海』」といわれているそうで、ここ数日は天候も視界も悪かったんだそうで、どんな海なのか想像がつかない。天草の海沿いを下って行くとやがて有明海から東シナ海に出る。東シナ海は広くて荒い。有明海とは比べ物にならない。太平洋ともぜんぜん違う表情の海だ。で、南インド洋の荒さとはどんなものか。見てみたい。
きのう新しい仕事の第一回目がなんとか終わって(いやまだ直す)ほーっとしているし、ぼーっとしたいが、大幅に遅れている他の仕事やんないと。終わった方は、編集のKさんから、今月も無理と諦められていたらしい。民話によくある話である。

Tさんと再会

2014年03月22日(土)

SがDとベイエリアに行ったので、ぴーちゃんがうちにいる。まあ数日と思うから、そんなに義理も責任もなくて気楽である。きのうは一日かごの戸をしめて中に入れておいた。きのうの夕方には、外から帰ってくるとおかえりの声をあげるようになった。それで今日は首のまわりに防御用タオルを巻いて、仕事場に連れてきている。ぴっぴっ言いながら、歩きまわっている。これでつっつかなきゃいいのだが。明日はトメが学校から帰ってくる。なんとか休みで。ぴーちゃんはトメが好きなので、後は任せようと思っているのだ。
きのう小学校のときの親友だったTさんとメールのやりとりをしていた。高校時代の同級生のMくんがひょんなことでTさんと知り合って、Mくんからあたしにメールが来て、あたしがTさんに再会(といってもメール)したのであった。小6のときはほんとに仲が良かった。中学もいっしょだったので(離れてしまったが)矢田先生の話でもりあがった(『あのころ、先生がいた』参照のこと)。Tさんも矢田先生のことをよく覚えていた。みんなにとってすばらしい先生だったというのを知って、ちょっと悔しい、あたしだけの先生と思っていたから。ところが不思議なことがある。Tさんのことは、『先生がいた』に書いてないのだ。ぜんぜん出てこない。ものすごく仲が良かった。なんであんなに仲良しだったTさんのことを書かずにいられたか。というか何も思い出さずにいられたか。そしてあたしは、小学校高学年から中学校について、ネガティブなことばかり思い出して書いていたのである。あの時期がそういう時期だったからとしか考えられない。5年のとちゅうまで、あたしにはCちゃんという、発達障害のある友人がいた。とても仲良しだったが、ある日とつぜん特殊学級に転校してしまった。それからTさんと仲良くなった。Cちゃんとは、あたしが保護者みたいな立場だったが、Tさんとは、ほんとに同等なつきあいができて、信頼しあっていたのを、今になって思い出した。Cちゃんがいなくなったあとの喪失感だけ覚えていたとは。Tさんとは、中学になったら組が違ってつきあわなくなってしまった。それもなぜかわからない。そのあとあたしは三年間、すごい孤独感と違和感を抱えていた(でも自分じゃ気がついてなかった)というのに。

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