Kewに行く
2014年04月06日(日)
きのうのFaust、すごくよかった。YouTubeで何十回見たかわからないパパゲーノのKeenlysideは、お兄さん役で出ていたが、血まみれで死んでしまった。それがまた、お軽勘平の勘平の切腹シーンみたいで、なんともエロかった。潔くどさっと倒れてかっこよかった。しかもそのあと、ワルプルギスのバレエのとこでまた出てきて、ダンサーに混じってバレエ的なマイムまでやっていたのが感動であった。しかしそんな感動も興奮もなんのその。今日はつれあいを置いて、はじめてオイスターカードを使って地下鉄を乗り継いで、Kewに行った。 春の盛りであった。サクラが満開、ナシやリンゴもほとんど満開、入り口は人がざわめいていたが、少し奥にいったらもうだれもいなくて、降るといってた雨も降らなくて、ひとりで花の下にすわり、花のついた枝と話し込み、空を眺め、風に吹かれ、マグパイにからかわれていたのである。『木霊草霊』(近刊、岩波書店から)をやったおかげで、観葉植物語だけでなく、木語もしゃべれるようになっておる。セイヨウグリや各種オーク、ナラ、シデといった木々たちが美事であった。それからHollyたち。これは訳語がいまだに把握できてない。お、これはと思った木々のラテン名をかきとめてきて帰って調べて日本語名をつきとめてみた。見たかった木の一つ、ニレは、1970年代に病気がまんえんして、イギリスでほとんど滅び絶えてしまったという悲しい事実を知った。足下の小さい野花が、どれも見たこともなければ、名前も知らなかった。カリフォルニアの野花たちは、20年かけて、やっと慣れたし、名前もずいぶん突き止めた、それなのにまたここでイチからやり直しかいと、ちょっとうんざりした。ライラックを見たかったが、たぶんまだだったのだ。ヘイゼルナッツもみたかったが、どれがそれがわからなかった。どっちもポーランドの春にちら見して、印象に残っていて、また見たいと思っていたものだ。……まだあるけど、とりあえず仕事しなくちゃいけないのでこれで。
仕事とオペラ
2014年04月05日(土)
きのう食い過ぎました。今朝はつれあいは友人に会いに出かけていったが、あたしは部屋にこもって仕事をしていた。さっき帰ってきたので入れ違いに買い物、薬とか、オイスターカードとか。やっぱロンドンに来たんだから、ロンドンみやげのつもりでオイスターカード買っとかないと。明日はキューに行くつもりである。本来はNとRと行くはずだったが、Rが具合悪くなり、かわりに彼らの家に誘われて、すっかり行く気になっていて、Kewは月曜日に行くことにした。ところが、帰ってきたつれあいが、月曜日はJとNと約束してあるのにと悲しそうな顔をするので、しかたがない、明日のNんちキャンセルしてKewに行く。Kewには絶対行かねばならない。そしてNんちにはまた将来いつでも行けるが、JやN(ともに高齢)とつれあい(いちばん高齢)がランチするところに居合わせるのは、今回が最後だろうから。 今夜はオペラ♡ 鴎外も訳し、手塚治虫も描いた「ファウスト」である。数年前に来たとき、Nにそそのかされて当日券を買い、ちょー特等席で「フィガロ」を見たのはいいものの、あんまり小汚いかっこうのまま入ったのではずかしくて立ち上がれなかったという経験がある(2008年の7月10日の記述参照のこと)。こんどはリベンジのつもりで、いい服(あたしにしてはいいというだけなんですが)持ってきた。しかしつれあいは小汚いままだ。
ポーランド料理
2014年04月04日(金)
つれあいの甥のNと妻のRさんとポーランド料理屋でごはんたべた。昔はもっと大衆的なポーランド料理屋だったのが、いいレストランになったとRさんがいっていた。それはサウスケンジントンで、Sohoからは、バッキンガム宮殿やハイドパーク、自然科学博物館などを通っていった。しかしなつかしい。自分のつくる以外のポーランド料理は何十年ぶりか。ビゴス(キャベツのごった煮)はみりんもしいたけも入ってない本物だったし、ジュレック(発酵ライ麦パンのスープ)は感動だった。ベフシュティクタルタルスキ(タルタルステーキです)は変わらずおいしかったし、ピェローギ(餃子)は中の肉のじゃりっとした感じがなつかしかった。シレヂ(にしん)はともかくとして(あたしは青魚がいまいち好きではない……)つけあわせのシメタナ(発酵クリーム)和えのツェブーラ(タマネギ)もなつかしかった。コレこのようにカタカナで書くのなら、今でも食卓の上のものはたいていポーランド語で言える。どう書くのか(じつはどう正確に発音するのかも)皆目わからないだけだ。こんどビゴスをつくるときはみりんもしいたけもしょうゆも入れない本物の味に近づけようと誓ったのである。Nたちは土曜日にあたしをKewに案内してくれる。きょうタクシーの中でつれあいが、いっしょにこの辺を歩き回ってやれなくて残念だ(おまえに気の毒だとおもってる、みたいなニュアンス)といってたが、タクシーから眺めるだけでもけっこういろんなことを考えておる。
つれあいの商談
2014年04月04日(金)
昨日はテイトと商談していたつれあいは、今日は某ギャラリーと商談に。画家とディーラーの関係は、まるでなめとこ山の小十郎と町のお店の旦那みたいだ。画家は自恃も虚栄も尊厳も年の功も持ち合わせているから、小十郎よりはずっとましなだけで。そしてつれあいの心は、よーよーのように自恃と虚栄と得意と失意、失望と焦燥の間を行ったり来たり。その観察もまたロンドンに来てよかったと思えるものだ。この世界はあたしのいる日本の出版の世界とずいぶん違うが、やはりここも出版界と同じように経済的に厳しいらしい。
カーネーション、ユリ、ユリ、バラ
2014年04月03日(木)
テイト・ギャラリーで、つれあいが友人と会って、それから仕事の打ち合わせというのでいっしょにいって、ギャラリーの喫茶店でビール飲んでたら(ドイツ風の小麦ビア、やっぱペールエールにすればよかったと後悔した)、VAの旧友という男が通りかかり、話し込み、そこに約束していた友人夫婦(アーティスト)が来て、みんなで話して、それからつれあいは打ち合わせにいった。で、あたしは急いで、閉館まで30分で館内を回ったのである。いちばん古い部屋に飛び込み、そこから探していくつもりだった。ターナーよりもブレイクよりもベーコンよりも、見たかったのは前に父のもってた画集にのってた絵だ。感傷的な、漫画みたいな(大島弓子や山岸凉子)絵だと思いながら、漫画好きだし、その雰囲気に息をのんだ。頭にずっと残っていた。前にちょっとつれあいにその絵について話したら、けっあんなものーみたいなこと言われてそれ以来、その絵のことは黙っていた。だからつれあいがいないのをコレ幸いと、つれあいの友人たちが案内してくれようというのも断って(彼らもアーティストだから何いわれるかわかんないと思った)ひとりで探していたら、たまたま「イギリス絵画の来た道」みたいな展示があった。その中にその絵の小さい画像があった。Sargentという画家で、19世紀のおわりにそれを描いた。それで係の人に、ユリと女の子の絵を描いたSargentはどこですかと聞くと、あそこだと、あたしたちのいた、その部屋の向こう側にかかっている絵を指さした。それがそれだった。前に見たときは、ユリばかり心に残ったが、こうして見ると、ユリとバラとカーネーションがあった。油絵の具の大きな筆で、一見雑に、ちゃっちゃっと描いてあるのに、カーネーションは茎も株も、実にナデシコ科であった。ナデシコ科らしくばさっばさっと茎が乱れ生え出ていた。提灯は日本の提灯で、ユリもなんと日本のヤマユリだ。ヤマユリにしては点々が薄かったが形はたしかにヤマユリだ。ユリ科やナデシコ科の葉や草の一本一本が正確に読み取れた。ヤマユリの香りが絵から読み取れた。夜の湿度や、女の子のうなじのうぶ毛まで読み取れた。そしてその絵のタイトルは「カーネーション、ユリ、ユリ、バラ」というのだった。
慣れてるところに行きたい行動
2014年04月02日(水)
夜にぜんぜん眠れないのは時差ぼけで、いつものことだから何も驚かない。それで今日も午前中は寝ていた。カリフォルニアなら6時間睡眠では起きないのだが(7時間半ねないといやな感じ)旅行中だから起きて、胃が悪いというつれあいがMaaloxなるものを買ってきてくれというのでBoostという、うちの方のドラッグストアよりは格段におしゃれな、でも機能的には似たようなチェーン店に買いに行き、スープがいいというのでWholeFoodsに。行くとちゅうで「わさび」という日本食のファストフードを見た。にぎり寿司や巻き寿司やおむすびが個売りしていた。2つで、かっぱ巻きは1パウンド、魚のネタのは1.75とか2ちょっととか。うちの周りにもデリみたいな店はいくつもあって、テイクアウトしているレストランや屋台もあるというのにわざわざWholeFoodsへ行くとはコレいかに。外国にいってはアメリカチェーンのホテルにとまってマクドナルドたべてるアメリカ人みたい、反省しておる。で、当然、見慣れた感じのスープやお総菜が見慣れたシステムでうってるから気楽に買える。しかし高い。何もかも。イギリス人はどうやって暮らしているのか。ワトソンがシャーロックと同居はじめた理由も、経済的な理由だった、そういえば。
ヨーコオノ
2014年04月02日(水)
そういうわけで、疲れ果ててよれよれのつれあいを引っ立てて、シャーロックみたいに路上からTaxiに乗り込んで、WigmoreHall、あこがれのMarc-Andre Hamelinだったが、Pacifica Quintetのみなさんが全面でピアノは奥で、ペコロス状の頭しか見えなかった。柔和そうないい男だった。Hamelin 自作の曲と、Dvorakの五重奏とOrnsteinの五重奏。Dvorakは……まあくわしい感想は後にしよう。いいたいこといっぱいある。Dvorakは華やかで可愛くてけっこう重かったし、Ornstein は激しいとこはすごく楽しかったが、緩いとこはダルかった。でもとにかく楽しかったし、つれあいと不穏だったのも直ったのである。ホールを出たときは、なによりパブでビールの気分だった。遅かったから、とにかくSohoに帰り、うちの近くのFrenchHouseという、60年代はアーティストのたまり場だったと60年代に青春だったつれあいも彼の弟も言い、今でもそうだとS(つれあいの友人で、今50のアーティスト)もN(50くらい)も言い、とにかく店の前の人だかりはいつもものすごいのでよっぽど人気のある店だと思う。そこでOld Speckled Henを半パイント。これはうまかった(は、といったが、こないだのLondon Prideもうまかった)。LondonPride よりもっとまろやかでクリーミーで軽いといえば軽いがその軽さは、筋肉でできてるような軽さであった。飲んでたら、隣にいた、かなり酔ったペコロス頭のおっちゃんが話しかけてきて、つれあいに「おまえはおれより毛がある」と。それで、わはははとなり、話し始めたら「おれはライオンキングの劇場で、歌とギターをやっている、もう44年歌ってギター弾いている」ということだった。結婚したときは髪が肩まであったが、だんだん禿げてきて、今は頭を毎日剃ってるそうだ。アイルランドのベルファスト生まれで、70年代からこのあたりにいるそうだ。いろんなパブに行くが、このパブがいちばんお気に入りで週に一回は来るそうだ、きょうは6時からいるそうだ(そのときは10時)。ビールでどんだけ酔っ払えるのかなと思ってたらそういうわけだった。それで、つれあいも、すごいコックニー弁で(カリフォルニアにいるときはそれは出さない)「おれはこのへんで育って60年代はこのへんのアートシーンにいたんだ」といっておった。それからおっちゃんは、カラオケの極意をくわしく教えてくれた。要約すれば、人のことは気にせず自分が楽しむんだそうだ。別れ際に、「ジョンレノンのワイフ、知ってるか」というから、ヨーコオノ、というと、「そうそう、おまえはヨーコオノに似てる、また会おう」といって、抱きしめてくれた。
騎乗の人と兄弟
2014年04月02日(水)
いま、ぱっかぱっかぱっかと聞き慣れた音がしたので外を見ると、なんと路上に騎乗の人が。おまわりさんらしいが、こんな町中でなんで騎乗? しかも馬は蹄鉄の足でアスファルトの上を歩きにくそうに歩いているではないか。 今朝はつれあいの弟夫婦と近所のフランス菓子のカフェで朝食、途中でかれらの息子のNも加わった。弟は少し年下だが、実によく似ていて、二人とも同じ学校を出た、同じような絵描きである。兄は早くに国をおん出てしまったが、弟はここに残って数年前まで母校で教えていたのである。弟は兄を全体にコンパクトにした印象で、あごが兄よりたるみ、髪が短い。兄は全体に弟をだらしなく、しまりなく、拡散したような印象で、髪が長い分(うしろで結んでいる)禿げてる部分が多く、あごのたるみがやや少ない。カリフォルニアぼけしている兄より弟の方が英国人ーーという感じがするが、やっぱり、ユダヤ系移民の子として、ブリティッシュという意識はあるにはあるけどそんなに強くないそうだ。どうでもいいそうだ。話していたら、知らない男がつかつかと来て、うちのつれあいの顔をみて、やあしばらく、などといって握手した。つれあいも、おお、とかいって握手していたが、その男はふと弟のほうを見て、おおっと驚き、兄と弟(知り合い)を取り違えていたのがわかった。兄は知らないくせにてきとうに返事していたのだということもわかった。あたしはNとは、奥さんのRさん(日本人)ともども何回も会っててなかよしなので、Nと話し込んでいたが、兄弟には兄弟のつもる話があったようである。親戚の寄り合いのあと、つれあいは商用ミーティングに出かけた。夜はWigmore Hallで Marc-Andre Hamelin のコンサートなので、さー仕事仕事。
Tesco に買い物
2014年04月01日(火)
ちょっとスーパーまで買い物に行った。パンとかオレンジジュースとか。爪切り買ってきてくれとたのまれたが、スーパーのTescoになくて、それを探しに、さらに向こうの、Oxford streetまで行ったのだが、歩き回りながらつらつら考えた。 横断歩道に信号のないところが多々ある。車道側には信号がついてるからドライバーはそれを見て停まる。歩行者はそれを見て判断するという仕組みだ。小学校に入ったとき、父に横断歩道の渡りかたを確認され、「むこうのしんごうがあかになったらわたる」と言ったところ、叱責されて、手を引いて学校にいく道筋の横断歩道まで連れていかれて、「いいか、こっちの信号が青になってから渡る、むこうの信号が赤になってからじゃない」と父があたしに言い含め、あたしは泣きながらうなずいた。母がそばで、「もういいじゃないの、同じことなんだから」と言っていたが、父は真剣な顔で「いや、まちがって覚えたら比呂美の身があぶない」と言って、放してくれなかった。今、道を渡りながら、心の中で、「おとうさん、ロンドンでは向こう側の信号が赤になったら人間が渡る仕組みになってるよ」と話しかけておる。 歩き回りながら、SohoSquareに立ち寄り、人々がどう憩っているか眺めてきた。芝生で何か食べたり、たばこふかしたり、寝転んだりして、とても憩っていたが、ぎっしり人がいて、まるでお祭り日の人出のようで、アメリカ的にはあれでは憩えないのではないかという気がしたが、こっちの人たちは平気なようだ。 ロンドンに来た真の目的は、つれあいの仕事でもなく、オペラハウスでもなく、パブでビールを飲むことだったのに、まだ一回しか目的は達せられていない。この通りには一軒おきにパブがあって、まっ昼間でも外には少なからぬ人が立ち飲みしている。おばさんじゃなく、いかついおじさんならよかったなと思うのはこういうときだ(熊本の細道を車で離合しながら通るときも、おばさんじゃなくて、押しの強い、人にゆずってもらえないこともないおじさんなら、よかったなとたびたび思う)。あたしはいまだにああいうところに一人で入って、一人で飲むないしは食べるということができない。H田はうなぎ屋でもバーでもラーメン屋でも一人で入れると豪語していたから、パブなんてへのかっぱで、一人で入って一人で飲んで、Fish&chipsも食べられちゃうんだろうなあと、おじさんでなかったらH田になりたい気分だ。 パブの二階には食事のできるところがあり、そこでイギリス的なFish&chipsとか、スコッチエッグとか、食べられる。日曜日はローストビーフとヨークシャープディングが出る。すごくいってみたいが、たぶん行かれないだろう。
ヒストリエ
2014年04月01日(火)
きのう会ったいろんな人たちの中でおもしろかったのはマケドニア人のパリのアメリカ系大学で教えている人だ。マケドニア人って初めてで、隣に座ったから、つい、漫画って知ってますか?と話しかけてしまい、今の漫画でいちばんおもしろいものの一つがマケドニアが舞台なんですよ、と話し始めてしまい、とうとうと「ヒストリエ」について語ってしまったのである。主人公はアレキサンダーの父親(Philipだとすぐマケドニア人は言った。そうそう、フィリッポス、ガタイがよくて眼帯をしている中年男…とあたしは説明した)の秘書みたいな人なんだといったら、驚かれた。同様にノルウェーに行ったときには「ヴィンランド・サガ」について語らずにはいられなかったし、ドイツでは「エロイカより愛をこめて」についてつい語ることになった。今ここでロンドンの人々にも「バジル氏」について語りたいが、語ってないのは、読んでから数十年が経ってるからだな。あたしのロンドンについての知識なんてのは、メアリー・ポピンズとバジル氏と最近は「Sherlock」から来てるんですから、どうぞお買いかぶりのないように(正蔵の声をお借りしました) ともかく、その後、マケドニア人から旧ユーゴスラビアの歴史と文化について、かんたんレクチャーをしてもらってよくわかったのである。
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