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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

カレー・マイル

2014年04月15日(火)

マンチェスターにはカレー・マイルなる通りがあって、両側をインド料理屋が埋め尽くしているとつれあいの娘たちが言った。もともと世界でいちばん(インド以外に)いいインド料理に出会えるところはマンチェスターとつれあいがうたにうたっており、今回もマンチェスターではインド料理と心に決めてきたわけなので、カレー・マイルに行くのはやぶさかではなかったわけだ。ところがナビなしで、地図とgoogleマップのプリントアウトしたやつだけで、たどり着くのは容易ではなく、迷い、迷い、迷い、険悪になり(こういうとき、偉そうにしてあたしに責任をおしつけるいやな性格なのだ、つれあいは)さらに迷い、とうとうあたしが道を行く男に声をかけ(こういうとき、なるべく人にきかずに、なんとかしようとする狭量なのがつれあいなのだ)「カレー・マイル」ときくやたちまち男は要領よく教えてくれた。けっこう遠かった。近づくにつれ、道行く人がインド人ばかりになっていき、ついに、ほんとに両側がインド料理屋だらけの通りに出たのである。たまたまみつけた駐車スペースに車を入れると、ラッキーなことに、「カレー・マイル」のサイトで調べておいたおすすめ店の一つが目の前で、難なく店に入れたのである。
インド料理好きのつれあいは、日頃からカリフォルニアのインド料理屋に対する不平不満を大声で言いたてている。曰く「カリフォルニアではどこの店でも、ヴィンダルーを頼むと、辛さはどれくらいですかと訊く。ヴィンダルーはヴィンダルーだ。マスタード油で作り、ものすごく辛いのしかありえない」と。何を細かいことをと、あたしはせせら笑っているが、こっちのイギリス人たち(みんなインド料理にはくわしい)に言うと、みんなさもおかしそうに笑うので、それはいかにもへんてこなことらしい。そもそもアメリカでは、マスタード油は食用に許可されてないから、インド料理で使えないそうだ。気の毒に。
ともかくそういうわけで、店に入って注文したのが、キノコのパコラとチキンのヴィンダルーとオクラのなんとかとカリフラワーのなんとかだ。すごくすごくおいしかった。ヴィンダルー辛かった。マジで辛かった。からかったし、おいしかったし、食い過ぎた。その店には甘味部もあり、インド菓子を作って売っていたので、いくつか買ってきた。一つは四角くキャラメルっぽい牛乳味でくそ甘くしっとりしている。一つは丸くてシンプルな牛乳味でとってもしっとりしていてくそ甘い(これがいちばん気に入った)。一つは四角くてピスタチオのみじん切りが入っていて牛乳味でしっとりしてくそ甘い。つまりどれも牛乳味で、どれもくそ甘く、とてもウマかった。
迷いつつホテルに帰ってきたら、いっぱいの人出で駐車場も満杯で、人々は男がほとんどで、たくましくて短髪で、フーリガンみたいな顔をしておる。マンチェスターなんとかというサッカーチームのHPを調べてみたが、別に試合があるわけじゃないようだった。

マンチェスター

2014年04月15日(火)

みんなに別れて一路マンチェスター。チェシャーという地域を通り抜けつつ、ああここに猫が、と思いながら、北進し、迷い迷いホテルにたどり着いた。このあたりはサッカーのさかんなとこらしい。あちこちに、Footballがどうのという標識がある。こっちの文化の姻戚とのつきあいやすさに感動する。つきあいにくい人もいないわけではないが、それはたんに性格の問題で、こっちが素直になれば向こうも素直になって、あけっぴろげでつきあってくれる。日本の姻戚づきあいとは比べものにならない。年が近い女たちというのもあるかも。父親のつれあいといえども、年は同じくらいで、しかもたどたどしい英語の外国人(あたしのこと)、女たちの一人はオランダ人で(息子の妻)で、あたしほどではないが、多少はことばに苦労してきたそうだ。
こっちの春の田園風景の美しさにも感動しておる。看板がない。ノボリもない。ノボリや看板を立てたいとこっちの田舎の人は思わないらしい。小さい町や小さい村は昔のままの眠たそうな暮らしを維持しておる。昔のままの家々や庭々に住んでおる。ま緑の野にタンポポが咲き乱れ、垣根にはバラ科落葉灌木の白い花が咲き誇り、庭々のリンゴやナシやスモモの木々は満開で、ヒツジたちはのはらでねむそうです、おっとつい石井桃子から声をお借りしてしまった、ヒツジたちは野原で子だくさんであった。

きょうはお休み

2014年04月14日(月)

きょうは娘の家にもう一人の娘が孫をつれてやってくるので、あたしは別にいらないだろうと思って、しめきりが……という口実で(というかほんとにしめきりがあり、すべて遅れ果てて首がまわらなくなってるんだけど)ホテルに残っておった。自由な時間だった。そして夕食の直前に合流した。娘たちはあたしと同世代で、すごく話しやすい。スカイプで遠くにいる子と話したりもした。フィッシュ&チップスをあたしが食べたがっているので、近くのパブにつれていってくれた。今回のイギリス旅行で初めてでたぶん最後のフィッシュ&チップス。大きかった。おいしいが、ものすごくおいしい、また食べたいというものではない。この半分量で、ごはんと味噌汁と漬け物がついててしょうゆがついてりゃ言うことないわなー。とか思いながらも完食だ。ビールも1.5パイント、地元のShropshire Lassというのを。それから黒い、作りかけのスコッチみたいな、発酵中というふんいきのやつを。

さらなる考察 修業が足りない

2014年04月13日(日)

(承前)つれあいの老いは、前項で話したようなことがらだけじゃない。忘れっぽくなり、忘れたあげくの思い込みや勘違いが激しくなり、それをほとんど攻撃的に主張するようになった。それに対して、最初はこっちもむかついて、相手の間違いを正そうとしていたが、すでに慣れた。そのまま受け取って、相手が間違いにきづくのを待つのである。気づかなくとも、たいていの場合、そのままでOKなのである。
おしっこの失敗や心身の痛みで打ちのめされ、いつもいつもため息をつき、暗い顔でうなだれているということに関しては父のときで慣れている。ここに書いてるくらいだからうっとうしく思ってはいるものの、どうすればいいかはわかる。鬱の大渦が彼のまわりにごわああっと作り出され、渦巻いて、ちょっと近寄ればぐぎぎぎっと(抵抗して掴んだものがひっぺがされひきずられている音です)巻き込まれそうな勢いだ。とてもコワイ。
自分の世界に入りこんでこっちには無関心、というのは、いっしょに暮らして、ヘルパーさんと老人という関係じゃないわけだから、たいへんいやなんだが、こっちはこっちで自分の世界に入りこむ隙をいつもねらってきたわけだから、まあヨシとしなければならない。
こっちにも改善すべき点は多々ある。あたしは、父の経験もあってあれこれと気がまわりすぎる。つれあいを助けようと思ってやってることで、実際助けることが多いのだが、難しいのは、人間てのはそれだけじゃないということ。認識が人それぞれ違う。「おれはまだできる」と思ってる気持ち(おうおうにして、現実に即してないが)と「おれはおれだ」という気持ち(俗に言う自尊心)がある。それでつれあいを助けるというより、うるさいほっとけと思わせてしまうときがある。なるべく思わせないようにやってるつもりだが、それでも、彼の自尊心を考えると、まだまだこっちの修業が足りないようだ。自尊心という点では、父のが20としたら、つれあいは120くらいある(out of 100)。
自尊心というのはすごい。これがなければ彼は彼でない。認めねばならない。まわりのものがとやかく言う問題ではない。……と自戒をこめて。
こっちがいらいらして、つい、「なになになのよ、わかった?」みたいな口調になってしまうことについては、ただただ反省するよりしかたがない。父には言わないできた。それができた。なぜ今になってここでつれあいに連発してしまうのかわからない。関係性が違うということか。遅ればせながらの主権争いを微妙な感じでくり返しているような気がする。
なんてことを考えるのも旅の間はずっといっしょで、つれあいのdisability に面と向かいあうことも多いからだ。カリフォルニアの生活は、ほんのわずかな時間を別にすれば、生活そのものが別々で、家庭内別居とはいわないまでも、家庭内キャンプみたいな感じで暮らしているのである。ぶつかっても、ズンバ、自分の部屋、仕事、犬、植物、娘などと逃げ場がある。つれあいもまた、うなだれるのもため息をつくのも、たいてい自分の仕事場でやっている。そもそも旅行中よりは動かないし食い過ぎることもないので、disabilityに気づくことも少ない。

つれあいの老いと

2014年04月13日(日)

そもそもつれあいは「予定の変更」「とっさの変更」ができない。柔軟性がまったくない。決まったことをじゅんじゅんにやっていくしかできない。昔からだが、老い果ててきて、よけいそれができなくなった。ときどき父をほーふつとさせるように、おれはもうわからないと投げ出したりもしている。ならば父のように、投げ出してあたしに任せてくれればいいのに、また蘇り、事態を仕切りたがる。「仕切りたがり」もまた前々からの傾向で、これはだいぶ弱くなってきたとはいえ、まだまだ残っている。こないだ「モラハラ DV 被害妻の傾向」というのを読んでいて、被害妻たちが、衝突を避けようといいなりになりがち、自分が悪くないのに謝ってしまいがち、というのを読んで、あてはまるかもとどきっとしていた、なんてことも昨日の長旅で何回か思い出した。とにかく仕切りたがるつれあいに対して、あたしは、80%くらいは仕切られても気にしない、しかたないと思いつつ、20%くらいは「なにをぅっ」と思ってむかついて反撃するあたしもココにおり、だからよけい事態がうっとうしいことになるのである。その結果、会話はとげとげしくなり、そもそも耳が悪いから何回いっても聞き取れなくなり、それでこっちも声を張りあげ、「なになになのよ、OK?」みたいにちょっと見下したいい方をするようになり、そこのところはおおいに反省しているが、その結果、さらにつれあいは感じ悪くなり、いやみな話し方になり、こっちが聞き取れなかったり、まちがえたり、言うことに従わなかったりすると、この世のおわりみたいな感慨をこめてため息をつく。これがまたむかつく。この人は、あたしのことをいったいどう思っているのかと考えるのはこういうときだ。アイラの旅だって、「比呂美の提案だ」と会う人ごとにいってるが、こっちはせめてつれあいのできることを、楽しむことを、と考えた末の提案をしたのである。あたし一人なら、ハドリアヌスの壁走破+イングランド乗馬の旅+各町でズンバ、みたいのを企画してるっての。で、あたしのことを何と思っているかと疑いたくなるが、嫌いでいっしょにいるわけじゃない、たんに老いがいらいらを身近なあたしに表現させているだけだと思うし、そう思いたい。ねーそうでしょう? と問いただしたくなるが、相手の反応は問いたださなくてもわかっていて、けっして「おれの対応がわるかった」なんつー反応は返ってこないというのは経験上熟知しているので、問いただしてみることは絶対にないと思う。昔、父と母が(まだ母が家で暮らしていたころだ)あんまりいがみあってるので、ヘルパー主任のSさんに話したところ、お年寄りの介護にかけては百戦錬磨のSさんが、「お年寄りはみなさん、そうなんですよ、いがみあうのもある意味、刺激ですから」といっていたのを思い出す(『父の生きる』光文社デス)。父と母も、母が入院したらいがみあわなくなったし、父は孤独にさいなまれるようになったから、あれでも刺激にはなっていたはず、しかし困るのはあたしもまた老い果てているのならいいのだが、あたしはまだそこまで老い果てていないということだ。こうまで「自分である」ことをシイタゲられるような言動をくりかえされちゃっちゃあ、たまりませんよ、と心で思っているのである。

スコットランドからイングランドに

2014年04月13日(日)

今回のスコットランド旅では前回(20年以上前になる)の旅で驚嘆したようなものすごい風景は見られなかった。グラスゴーの周辺、そしてグラスゴーからイングランドに下っていく道すじでは、なだらかな耕作地がつづいていただけだ。それはそれで実に美しい。前回はことばができなかったからスコットランド弁に驚きおののくひまもなく、ただただ風景に感動していたのかもしれない。今回はスコットランド弁のすごさにいちいち感動しているだけで時が過ぎた。
グラスゴーから南下したが、道路工事に高速が渋滞し、その上ナビが壊れて(使用科が一日3000円くらいするのである)ひどい目にあった。「ハドリアヌスの壁」にいく途中だった。「ハンディキャップ ハドリアヌスの壁」で検索してちゃんとどこにいって何をすればいいか調べ尽くしたあった。ところがナビが壊れてわけがわからなくなり、あたしのメモと道標を頼りにたどりついたのが見張り台みたいなところで、すばらしいイングランドの眺めがひろがる小高いところだった。たとかに壁みたいのがあり、見張り台の遺跡みたいのもあり、「ここはハドリアヌスの壁のいちばんよい眺め」みたいなことも書いてあったので、まあ、見たことにした(あとで地図をみたら、そこから東にいけばもっと見られたはず)。つれあいはせっかくの絶景にたどりついたというのに、おしっこして(年寄りはおしっこが近い)車の中にもどっただけだ。
Wemに行く時間もせまっていたので、そのまま南下し、とちゅうで大きい地図を買い求めて、Wemにたどりついた。ここにたどり着くまでの風景はこれまた絶景のイギリスの田園風景だった。ロードキル(路上で死んでいる動物)はアメリカとはちがって、キジ、ハリネズミ、そしてウサギ。もう一体、アナグマかなあというのを見た。生きてる大きなタカも見た。Wemにはつれあいの娘の家族が住んでいる。だからここの町には何度も来たことがある。ここの人たちもなまっているが、今回はよくわかった。田舎の風景のかわらなさには驚く。たぶん何百年も大筋のところは変わらないのだと思う。新しいものをとりいれなくちゃという焦りもないようだ。だからあいかわらずの石と煉瓦と木なんである。チープなプラ素材を使ってないだけで、風景が美しい。ほかと違う色や形が風景にまじってないだけで、美しい。町に入ると今ふうに小汚くなるが、熊本周辺の小汚さとはスケールが違う(熊本のほうがすさまじい)。ただ、イングランドの道の要所要所にかならずあるラウンドアバウト(日本語ではロータリーというのかな?)最初はおもしろいのだが、やがていやになってくる。これが最良の方法なんだろうが、とめどなく続くから、イギリス文化の頑固さを見せつけられているような感じ、イギリス人の車の運転はアメリカ人よりずっと感じ悪い。(たいていの)アメリカ人たちの他者に親切で弱者を大切にするところは、国外に来るとほんとに身にしみる。それが国になるとなんであんなに横暴になっちゃうのか。

ヒメリュウキンカと長旅

2014年04月13日(日)

ついに探し当てた。ヒメリュウキンカであった。アイラの野原でデイジーといっしょに咲き乱れていた黄色い花。タンポポに似てるがぜんぜん違う、キンポウゲに似ているが少しちがう、葉は心臓形だし、いったいなんだろうと思いつつ絨毯爆撃みたいな探し方で見つけ出した。ヒメリュウキンカ、キンポウゲ科、リュウキンカ属、立金花だった。英名はlesser celandine(小セランダイン)。今日は長旅で疲れはてている。Wem という小さい小さい町までたどりついた。

グラスゴーのマッキントッシュ

2014年04月12日(土)

つれあい孝行の旅なので、彼の自尊心と老い衰えた肉体とそれに向かい合う不機嫌と依怙地さ(モラハラじゃね?と思うこともたびたびあったが、こうして老い果てたのを見ると、たんに性格が悪くて頑固で依怙地だったようだ)を我慢しようと思えども、やっぱりむかつく。
とにかくホテルはグラスゴーの町のど真ん中だった。駐車事情がとても悪い。隣はオペラハウスだ(行かれない)。今日はつれあいの趣味で、まずグラスゴー美術学校にチャールズ・マッキントッシュの建築を見に行き、終わった頃、グラスゴー在住の友人が迎えにきてくれて、ヒルハウスというマッキントッシュの設計した個人の家を郊外の方に見に行った。なにしろつれあいは植物や動物や自然よりも建築や町のありように興味があるシティボーイなのである。あたしも実はシティガールなのに(だからこそか)植物や動物がおもしろくてたまらない、なんでこんなに違うか、喧嘩ばかりなのもむべなるかな。町は、歩けない老人にとっては実にむずかしい。というか不可能だ。だからせめて蒸留所めぐりならできるかと思ってアイラに行ったが、蒸留所はLagavulin一カ所で精一杯、それ以上は歩けなかった。その上なんとこの頃つれあいはスコッチを飲みたがらなくなっている、薬のせいで体質がかわったと本人は言っている。あたしは年のせいだと思う。景色を見ていても、つれあいは、動植物には目もくれず、島のいたるところにある石塀を見て、作り方を解説し、白い壁の家々を見て、建て方を解説し、荒れ野を見ても花なんか見ずに、ピートが切り出された跡なんかを見ている。
マッキントッシュの建築は、アールデコの装飾にオリエンタル趣味、図書館の障子みたいな壁と欄間みたいな装飾は、まるで日本の意匠をとってつけたようで、ルシウス・モデストゥスのお風呂もこんな感じかと思った。きょうはシャクナゲが咲いているのをあちこちで見た。これは2年前オレゴンにいったとき目についてそのときさんざん調べたのだ。北米原産のもあるとわかったような気がする。ブリテン諸島原産のもあったのか、それとも園芸植物か。ここ在住の友人は夫婦で、妻がグラスゴー大学で中世文学の研究者で、前に『マリー・ド・フランスのレー』というのをすすめられて読んだことがある。それは岩波文庫に入っている。会って話したかったのに今は学会でどこかにいる。残念である。
夜はレストランでハギスを前菜。鹿肉のハギスであった。いいレストランで(ホロホロチョウをはじめてたべたが、実においしかった)伝統的なハギスより上品につくりあげてあり、不味くはなかったが、明日も食べるかと聞かれれば、いや食べないと答えるものだ。

グラスゴー

2014年04月11日(金)

グラスゴー。←つれあいにむかついていてこれ以上書く気になれなかった。

フィンラゲン

2014年04月10日(木)

天気がナニコレというほどよく、お日さまが輝き、野山はみどりで、雲は複雑で、じつに美しい日であったが、その午前中の日差しで、原っぱにいきなりデイジー(白)とタンポポが増えた。フィンラゲンという古い遺跡にいった。つれあいは博物館で待たせて、あたしだけ、湖の島の中の遺跡をみにいった。まるで『メリダとおそろしの森』のお話そのまま、昔の族長たちが(王かもしれない)ここで集まったそうだ。その周囲にデイジーと黄色い花が(よく見るとタンポポもあったが、多いのは別の花だ。キンポウゲともちょっと違う)咲き乱れ、これから伸びるアザミがまだ冬のすがたのままあちこちにうずくまっていた。糞があちこちにあったが、ヒツジのでもシカのでもウサギのでもなく、正体がわからなかった。空は青く、雲は白く、野はみどりで、花が白、黄色にちらばって、湖は空の青より深い青。実に美しい風景だった。

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