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佐々木幹郎@橙書店
2014年04月29日(火)
佐々木幹郎 トーク&朗読会 『東北を聴く―民謡の原点を訪ねて』 橙大学 2014 第一回 「唄のうまれる 瞬間に迫りゆく 稀有な旅の記録」 詩人・佐々木幹郎さんをお招きして、 『東北を聴く―民謡の原点を訪ねて』をめぐる トークイベントを開催します。
修羅場をくぐり抜けてきた語りのことばの強さ。 聴く人がいるときに始まる物語。 詩人が、津軽三味線の二代目高橋竹山とともに、 東日本大震災の直後に被災地の村々を行脚した 稀有な旅の記録。
詩の朗読をまじえ、 その旅のお話を中心に語って頂きます。
日時 5月31日(土) 13:30開場 14:00開演 料金 1500円(1ドリンク付) 場所 橙書店 お問合せ orange/橙書店 096-355-1276 http://www.zakkacafe-orange.com/ kumamotoband@gmail.com(熊本文学隊) ご予約ください。
パパゲーノの詳細
2014年04月28日(月)
あいかわらずKeenlyside祭りが激しく続いていて、CDも買ったし、DVDも買った。そしてネットを探しまわるうちに、「魔笛」で、ROHで、同じMcVicarの演出で、知らない人が同じ服着てPapagenoやってるやつをみつけた。知らない人といってもあたしが知らないだけで知ってる人は知ってるのであろう。ところがなっちゃないのである。よそのバカっぽいパパゲーノをちょっと自然主義で味付けしただけの、生ぬるさ。同じ演出だが、Keenlysideが表現する、笛を咄嗟に双眼鏡にするおかしさや、やっと会えた興奮や、ベッドに飛び乗る楽しさや、女の子の顔にぶつからないように帽子を直す仕草や、子どもたちを引き受けるお父さんらしさは、ないのである。オペラというもの、こうしてあちこち見てみると、みんな演技が子どもだましで、もちろん演技以上の凄い能力があるから、みなさんああして舞台に立ってるわけだが、いちど宝塚というのを見たときにも演技が子どもだましで驚いたが、まああんな感じがした。つまり真に迫る演技と歌は別物で、子どもだましでもぜんぜんかまわないのだろう。むしろ語り物と同じで、おはなしの枠があるから、リアリティなんて必要ないのであろう。とくに「魔笛」は、どこのやつも子ども向けっぽく作られていて、「おかあさんといっしょ」みたいな子どもだましさが感じられるものばかり。しかしKeenlysideにかぎってはそうじゃない。絶望と恍惚をいったりきたりで、太宰みたい。荒唐無稽な話の、ちょー適当なキャラなのに、歌なんか歌わずに、歌えずに、普通に生きているあたしやあたしたちと同じ人間に思えて、切なくなるのである。手の動き、からだの動き、表情、視線、見ても見ても見飽きないが、この熱意は多分にKeenlysideだけじゃなくて、仕事においつめられているところから来ている、つまり逃避だということもよくわかってるのであります。
漫画
2014年04月28日(月)
ネット書店の無料漫画雑誌を読んでいたのだが、ときどき読んでいるのだが、新人用の雑誌なんだが、新人たちがいいネタでおもしろいものを描いてるんだが、いかんせん井上雄彦の影響強すぎ、と文句をいいかけて、いやまて、漫画という分野そのものが、こうやってアシあがりか何か知らないが、人の模倣することからはじめていく分野なのかもしれないなあと思ったのである。あの浦沢直樹にも大友克洋そっくりだった時期があるし、いくえみ綾も一時期紡木たくだった(この人の場合は、ちゃんと確立した漫画家になってからそういう変化を通過したので驚いて読みやめてしまったが、こないだひさしぶりに読んだらよくなっていた)。吉田秋生なんて、さいしょの頃は吉田秋生でとてもよかったのに、そのあといろんな影響受けすぎて、なにがなんだかわかんなくなってそのまま評価できるもの描いてるからなあ。かくいうあたしも、子どもの頃うつしたうつした、丸うつしして、なるべく似せるように。コピー機なかった頃だ。あたしの場合は石森章太郎だ。漫画家なら「デビュー前のいい話」で終わるが漫画家じゃない。実は詩も必死でうつした。中也とか中也とか。中也とか。朔太郎とか。賢治とか。
雨とビゴス
2014年04月27日(日)
昨日一日、雲が多くてかんかん照りじゃなくて気持ちがよかった。そしたら夜になって雨が降った。これはすごいことだ。夜半、車を外に出した(洗車である)。朝になったらすっかり洗い上がっていた。こういう雨が一週間に一ぺんずつ降ればいいのだが。そうしたらみんな緑になり、植生がすっかり変わってしまうんだろう。それはそれでいいじゃないかと思うけどね。 で、今朝の散歩は荒れ地へ。まあ一晩の雨じゃそこまで変化はないが、気持ち的に余裕がみえるというか。いきいきしているというか。雨がふるといきなり葉をつけるというパロヴェルデの木には花が咲いていたが、前から咲いていたのかもしれないし。 ワシントンのPからもらい受けてきたサワドウのたねはたぶんダメになった。もういちどやり直さねば。なにがいけないのかわからない。午後、Sたちが来るというのでビゴスを作った。しょうゆもみりんもしいたけも入ってない純正ビゴスだ。前はみりんとかしょうゆとかどうしても入れずはいられなかったが、ロンドンのポーランド料理屋でひさしぶりに本物を食べたら、脳内にしょうゆみりんなしのビゴスの味が蘇った。玉ねぎをよくよく炒めて、千切りキャベツと酢キャベツ(洗わない)、人参、マージョラム、粒胡椒、ネズの実、ソーセージやベーコンの切れ端、きのこ(ほんとは干したやつ、でもしいたけだと和風にひきずられるのでダメ)、トマトペースト、チキンスープで、くつくつ煮る。
日本語
2014年04月26日(土)
あしたはMのズンバがない。いや、あるけど、Mはいなくて代わりの先生だ。なんたることだ……。きょういっぱい日本語でしゃべった。ANAの人としゃべり、「さくら」のM子さんとしゃべり、ズンバでSさん(日本人)としゃべり、東京のSさんとしゃべった。
熊本文学隊
2014年04月25日(金)
いま、熊本文学隊はふつふつと沸騰しております。
おちこみ対策秘伝
2014年04月24日(木)
おちこみ対策としては、おもしろいサイトで笑うだけじゃなくて、まだいろいろやってみておる。まず、以前Sさんにもらったようかん、とらやのすごいやつ、とうとう開けて、爆食したのであーる。1/3くらい食べたかも。あまかった。甘さでだいぶ癒えた。それから、ひさしぶりに手裏剣、イギリスにいってからしばらくやってなかった。それを何十本か、ばすばすとたてつづけに撃ち込んだ。実に爽快。だれかを殺してるつもり、なんていうのではなく、単純にとても抽象的な快感だ。しいていえば射精に近い…とやったこともないくせによく言うよ。それから犬の散歩。だれもいない道をリーシ放してさんにんでうろついた。ときどき呼ぶ。呼べば来る。来たら撫でる。撫でればよろこぶ。それでこっちに力がみなぎる。それからズンバ、あいにくと、Mのクラスはなくて、Kのクラス。しかしKのクラスはこれまた激しいので有名だ。おもいっきり動いて腰を回した。それから極めつけはROHのパパゲーノ。これはYouTubeでコマ切れなのを見る。やっぱいい、Simon Keenlysideはいい、と思いながら、Simonの絶望と喜びに身を浸しているうちに、目の前の苦を忘れる、忘れて立ち直るという寸法だ。ワイン冷やしてなくて酒に溺れることはできなかった。今、『翻訳の日本語』(川村二郎)という本を読んでいるが、鴎外マジですごい(川村二郎は鴎外のことを辛辣にいってるときもある)あたしの説経節(WEB平凡に連載中)まだまだだ、と心から反省した。
おちこんだので
2014年04月24日(木)
あたしも人間、ちょっと落ち込むことがありまして、ネットで、「別種の犬をかけあわせたミックス犬」や「珍名ネタ」や「動物のびっくりした顔」や…を見て、笑っておりました。でも仕事はしてます。今日は「さくら」老人会の日だが、しめきりがせっぱつまりすぎて行ってない。ずっと行ってない。あたしが行かれないでいるうちに、おばあさんたち、来られなくなった人が何人もいるそうだ。
マーマイトと逃避
2014年04月23日(水)
イギリス名物のマーマイトにあたるものは、日本文化ではなにかと考えていたのである。労働者階級が、チープにごはんにかけ(イギリスではパンに塗って)食べられるもの、大量生産のもの、どこへでも運べて、それなりの栄養を期待できるもの、とすると、ふりかけか、のりの佃煮(色も形状も、もしかしたら味も、マーマイトに似ている)と思って調べてみると、丸美屋の「のりたま」が1960年、永谷園の「お茶漬け海苔」は1952年、桃屋の「江戸むらさき」が1950年、おお、どれもよく食べた。ちなみに「魚肉ソーセージ」が1951〜2年、「かっぱえびせん」が1964年、「チキンラーメン」が1958年、と。高度成長期なんである。してみると、イギリス文化における産業革命の変化とは、つまり日本文化においては、高度成長期であったのか、などという愚にもつかぬリサーチをして逃避してないで、さー、仕事、仕事。ああ、1粒のめばぱっと集中できるような薬、ないしはドリンクがあれば、後先考えずに濫用するのだが……。Monsterなるものを愛飲しているが、集中できるかというと、効果はプラシーボ。でも飲む。
Mの道場
2014年04月22日(火)
ZumbaのMが自分の道場を持つそうで、facebookでみんなが(といってもzumba仲間ね)inviteされている。着々とみんなが応えている(あたしも。行かいでか!)。しかしここに問題が。おばさん(ズンバの仲間は例外なくおばさん)という生き物は、侠気があり、つきあいやすく、物怖じせず、あけっぴろげで、大好きなのだが、シブいのが玉に瑕なのだ。今まではYなりTなりのジムに属しておれば、つまりそっちの会費を払っておればズンバのクラスとりほうだいというビュッフェ式だったが、こんどの新道場は毎回10ドル。それできょうも、Yジムで、あたしたちはYのメンバーなんだから安くしてくれるかもね、みたいなことをおばさん仲間が話しておった。おして知るべし、新道場の集まりはあまりよくない。以前、T(個人トレーニング道場を経営しているが、昔、Yジムでクラスを教えていた)に、Yジムで教えたらいくらもらえるのかときいたら、1クラス30ドルとかなんとか、えっというような答えがかえってきた。あたしは、1クラスにつき2〜300ドルはもらえているんじゃないか、価値からいったらもっとだと思っていたのである。浅墓であった。新道場をはじめるにあたって、場所代もかかるわけだし、みんなの大好きなMが、決意してはじめたんだ、シブいこといってないで、応援してあげようよー、とイライラハラハラしておる。まさにこの年代層の女があたしの読者なんである。本質的にみんなシブいはずなのに、本を買ってくださる。みなさん、ほんとにありがとう。
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