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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

それほど、ご心配はございません。

2009年08月17日(月)

 再入院するにあたって娘が付き添おうかと言ってくれていました。そんなに大袈裟にすることもないだろうと思っていたのですけど、ちょっと考えなおして、それほど大事じゃないときに付き添ってもらったほうが、何かの時の経験になるからいいかもしれないという気になりました。

 娘がちょうどお盆で、休暇を貰っていたのです。ただそのために前の日にかなり遅くまで会社で残業をしていました。で、当日は眠そう。もともとあまり大袈裟にしたくないなぁという心理が働いていたので「眠かったら寝ててもいいよ」と、一人で荷物を持ってえっちらおっちら病院へ出かけました。それまで何度も「それほどご心配はありません」とも言われていたのでした。

 で、病棟について、看護師さんやお医者さんの説明を聞いているうちに、だんだん、これは大事だということに気づきました。「それほどご心配はございません」という文句の中で、重要な意味があるのは「それほど」の部分で「ご心配はございません」は患者を落ち着かせつためのいわば「つけたし」だと気づいたのです。

 時々、あることで、辞書的には大きな意味もない「接頭語」や「感嘆詞」「接続詞」などの裏に膨大な意味が隠されていることが。文学はそれを発見して研究するのですけど、世の中一般では、広く使われている技法ですなんて、解説してもしょうがない。「それほど」の部分に隠された様々なアクシデントについては、私が聞いておくよりも娘に聞かせておいたほうがいいことがたくさんありました。だって、検査のリスクに含まれる脳梗塞などを起こしたら、私は何も言えません。あ、失敗したなあと多少あわてたしだいです。ま、娘は午後から病院にやってきて、おおよその説明は聞いてくれましたけど。

 私としてはあまり怯えたくいし、大袈裟にしたくないのですけど、親としては、こういうときはちゃんと子どもに頼っておかなくちゃいけないのかなと思いました。なぜか頭の中に、法政大学の何某先生が現われて「子どもに頼らないのは、それは子どもの学習権の侵害です」と演説してました。嫌だねえ。学校なんぞに出ていると、学習権なんて新語が飛び出してくるし、造語も次から次へとあふれるし。
 「老いては子に従え」って、そういう意味だったのかと、なんとなく感心。まだ、ちょっとお婆さんの演技研究が足りないようで、これは研究の価値ありです。子どもの学習権を侵害しないように、研究しなくちゃ。でも私の親はどちらも乱暴でした。だっていきなり葬儀屋とお寺さんの研究という課題を出したんだもの。ま、先生の中にも乱暴なやり方をする人もいることだし、本人がカリキュラムを選べるわけでもないから仕方ないか。

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