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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

緊急手術

2009年02月01日(日)

 救急車が走り出してから病院に到着して、医師の先生に呼びかけられるまではほとんど記憶がありません。あるいはその間に、なんらかの救命措置をしてもらったのかもしれません。で、医師から呼びかけられて、これまた深い井戸の底からぬっと顔を出して事情説明。

 お名前はと聞かれて、ここでペンネームを名乗ったところ、ベッドの周辺で名前を復唱しながら、人がぱたぱたと走り出しました。で、そのぱたぱたとあわただしく走る人の足音を聞きながら「今、名乗った名前はまずかったんじゃないかな?」と疑問が湧き、「今のはペンネームです。本名は違います。保険証の名前は違います」と名乗りなおすと、今度は「お〜い名前違っているぞ」とまたいっそう、ぱたぱたと人があわただしく動きだす気配がしました。ええと、名前入りのリストバンドをして、患者の取り違えを防いでいるので、名前が違っているのは大事件みたいでした。

 で、次の質問は「ご家族はいますか? 連絡先は?」でした。「息子と娘がいます。連絡先は携帯電話のナンバーが私の携帯に入っています」と答えました。
 早速、息子に医師の先生が携帯で電話。その電話を「じゃあ、ご本人に代わります」と渡されると、まだなにがなんだか解っていない息子が「お母さん、大丈夫?」と意外なほど緊張感のない声で言うので、思わず「馬鹿。大丈夫じゃないから救急車で運ばれたのだろう」と一喝。誰かが、たぶん医師の先生でしょうけれども枕元で笑っていました。

 救急手術をするには本人と家族の承諾がいるのだそうです。足の付け根の血管からカテーテルを入れて患部を治療する手術で、安全ではあるけれども、まれに血管を傷つけるようなアクシデントがあるという説明でした。どういうわけか、数種間前に、テレビでカテーテルとバルーンを使った手術方法の番組を見ていた「ははん、あれをやるんだなあ」と医師の説明をおおよそ理解。ではこの書類にサインして下さいと言われて、手術の承諾書にサイン。それから学術研究のための協力の承諾もしてもらえますかと、尋ねられ、この承諾書にもサイン。
 家族の承諾は電話で仮承諾がとれていますという会話がちらりと聞こえてきました。
「もう病院へ到着していますから、ご安心下さい」
 と何度か言われるたびに「そんか、安心じゃなかったんだなあ」と思いながらも、またまた深い井戸の底へ。

 手術は部分麻酔で、麻酔をかける時には歯医者さんと同じで「ちょっとちくんとしますよ」と声をかけられました。ちくんとするのねと、また井戸の底から顔を出して納得。で、目をあけてみると、そこはお部屋全体が医療器具というような感じでした。黒いモニターのようなものが身体に近づいたり遠ざかったり。どうも、それが撮影機材のようです。複数のモニターがあり、それを大勢の医師たちが見ている様子がなんとなくわかりました。で、私が横たわっている位置から見えるモニターには、ミミズのようなものが映っています。あれが血管なのねと思い、それからもうひとつのモニターを見ると、こちらはどうも血管の中が映し出されているようでした。血管の中には血液の逆流を防ぐための弁がありますという理科の教科書で見たような、そういう映像でした。いったい何人の先生が、この手術のかかわっているのか、かわるがわる、いろんなお医者さんが顔を出します。

「ああ、これは根気良くバキュームをかけるしかないなあ」とか「おおい、これをちょっと見てごらん」とか、話し声も聞こえています。で、血管の中を細い線がチョコチョコと動いている映像を見ていると、なんだかじれったくなるので、そういうのは見ないことにしました。大勢いる医師の先生の中におでこの広い目のくりっとした女の先生がひとりいました。で、あとからこの先生が担当医だとわかりました。途中でまた、深い井戸の底に降りていって眠り込んでしまいました。

 次に気づいたときは、ベッドの右手に息子と娘がいて、左手にはあのおでこのひろい目のくりっとした担当医の先生がいました。で、担当医の先生が病状を説明しているのですが、また、すっと眠ってしまって、目が覚めたときには日付が変わっていました。

 以前、作家の三木卓さんが渋谷で心筋梗塞の発作に襲われたときの話を聞かせてもらったことがあります。三木さんは、胸の痛みを感じたとき、これは心筋梗塞だと御自分で解ったそうです。渋谷駅だったので救急車を呼ぶよりもタクシーを拾ったほうが早いという判断をしてタクシー乗り場に行くと、そこには人の行列。とても行列に並ぶ余裕はないので、先頭にいた青年に「僕は心筋梗塞の発作を起こしているので、順番を替わって欲しい」」と交渉して、広尾の日赤病院までたどりついたとのことでした。そんなことができるのか、と驚いて三木さんのお話を聞きましたが、心臓は危機的状態でも、頭はなんだか奇妙なくらいにクリーンなところがありました。

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