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救急搬送
2009年01月31日(土)
1月17日はセンター入試で、受験生の案内をすることになっていました。それで、前日16日は法政大学の近くのホテルに泊まりました。泊まると言っても、ずいぶん遅い時刻にチェックインして、それから知り合いと電話でお喋りをして、という具合でした。で、寝付けなくて、ちょっと寝不足気味で、学校に大慌てで出かけました。 遅刻! 遅刻! と校内を走っているときに、学部長の後藤先生とばったり出会い「ああ、遅刻が見つかっちゃった」と、どきりとしました。この時の「どきり」は通常の「どきり」でした。
で、受験生の案内のための配置についた時、今度は心臓がなんとなく痛くなりました。私は30代の頃、心臓神経症に悩まされたことがありました。ここ10年は心臓神経症の発作もなかったのに、それによく似た痛みでした。
心臓神経症では胸のあたりが痛み出して、どうかするとしばらく気が遠くなります。たびたび発作が出た頃に、自分でストップウォッチを握って、どのくらいの気が遠くなっているのかを計ってみました。短い時で15秒、長いときでも25秒程度で、30秒と続くことはありません。で、気が遠くなったあとは爽快感を覚えるほどすっきりとするのが神経症のパターンでした。しばらくその神経症の発作が出なかったのですが、また来たのかなと最初は思いました。
しばらくすると胸の痛みが静まって、すっきりしました。ここで受験生が「ひざ掛けを使う許可をもらいたいのですが」と言ってきたので、「もうすぐ試験場の監督がきますから、試験監督から許可をもらうようにして下さい」とお返事をしました。で、試験場の扉が閉まる少し前にまた胸の痛みがきました。今度は最初の痛みよりも深刻でした。横になって水を飲みたくなりました。
こんな状態ではとても受験生の案内などできそうにないので、同じフロアにいた別の先生にあとをお願いして教授控え室に戻りました。給湯器から水を飲み、テーブルにうつぶせにしていると、そこへ通りかかったのが後藤先生。もしこの時、後藤先生が異変に気づいて下さらなかったらたいへんなことになっていたかもしれません。
「医務室へ行きましょう」と言ってくださったので、歩き出したのですが、歩けないのです。仕方なく医務室のほうから医師に来てもらうことにしました。
その後、起きたことは不思議です。口の中に生唾がたまってきました。吐き気のあるときのような感じです。それから、便意もありました。どちらかと言うと吐き気よりも便意のほうが強くって、トイレへ駆け込みました。で、ウンチが出ました。 「ああ、これは」と思い出したことがあります。
10代の頃に、御遺体のお世話を手伝ったことがあります。もう40年も前の田舎の話です。亡くなった人が失禁をしていたり脱糞をしていることがありました。年寄りたちは、それがありがちなことのような話をしているのをそばで聞いていました。そういうことがあるものなのかもしれないと、トイレの中で考えていたら、心配した後藤先生が声をかけて下さいました。 それから教授控え室に戻ると医務室から医師の先生が来ました。
症状を話すときに「胸を鍋蓋で圧迫されているような痛み」と自分で説明しながら、この比喩表現は私が考えたものじゃなくないなあと思い、どこかに出典があるはずだぞ調べなくちゃと、まあ、そんなことまで考えていました。それから心臓神経症のこともお話しました。
「症状は心筋梗塞ですけど、そうですね、この場合は悪いほうで考えておいたほうがいいでしょう」
医務室から来た医師の先生はそういってペンライトを出して、瞳孔をチェックし、救急車を呼ぶことになりました。この辺から、記憶がところどころ、深い井戸に落ち込むように途切れます。誰かから呼びかけられるとそれに答えることはできるのです。救急車に収容されてから搬送先の病院を探してもらっていることとか、医務室から来た先生が「カテーテルを使える病院がいい」と言っていたことなどを覚えています。しばらく救急車と消防本部のやりとりがあって「順天堂病院へ行きます」の声。それで救急車が走り出しました。
あとで様子を見ていた人から聞いた話では、顔は土気色になり、脂汗が浮いていたということでした。また順天堂大学病院の先生の話では、心臓への血液の流れが一度は完全に止まってしまったものが、もう一度、ちょろちょろと細く流れ出した状態で運び込まれてきたとのことでした。本人はそこまで悪いという自覚はありませんでした。で、救急隊の人に「先生」と呼ばれると返事をしそうになって、それは付き添ってくださった後藤先生のことであったり、医務室から来た医師の先生のことだと気づいて「ああ、間違えちゃったよ」とあせったりしていました。「先生」と呼ばれると深い井戸の底からぬっと顔を出して、自分のおkとじゃないと気づき、間違えちゃったとあせりながら、また深い井戸の底に沈んでしまうという感じでした。
そんな具合で病院に運ばれたのでした。まだ「鍋蓋を押し付けられたような痛み」という比喩表現の出典は調べていません。
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