中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

時間が消えている

2008年11月24日(月)

 航空幕僚長の書いた論文が問題になった時、この幕僚長は警察予備隊創設から自衛隊創設さらにはそれからの50年以上に渡る歴史をどう考えているのかな? と疑問に思いました。

 時間が消えているという印象を持ちました。時間というものを、人間の外にある物理的なものとして捉えている人には奇妙な言い方に聞こえるかもしれません。しかし、時間は人間の心のうちに取り込まれてはじめて時間となるという考えかたもできるのです。それを仮に物語の時間と名づけてもいいでしょう。物理時間に対して物語時間というふうに並べてみることができます。

 田母神論文の場合、欠落しているのは戦後自衛隊の物語時間です。旧日本軍は、外国に対して信頼を失ったばかりか、日本国内でも信頼は失われていました。そこから始まる自衛隊の歴史認識が航空幕僚長の論文は完全に欠落していました。旧日本軍には陸軍と海軍はありましたが、まだ空軍はありませんでした。だから航空自衛隊は、戦後の新しい自衛隊です。そう言ってよければ、航空自衛隊は空軍であり、自衛隊の陸、海、空の三つの軍の構成の中では唯一、旧日本軍の構成に含まれてはいなかった組織です。「軍」という言葉が素直に使えないところに、田母神論文が出てくる不満の温床があるのでしょうけれども、それにしても、物語時間が終戦前でとまってしまっているのを感じます。

 厚生事務次官の殺害事件で、警視庁に出頭した男は「犯行は年金テロではなく、34年前に自分の飼っていた犬を保健所に殺された報復だ」と言っているそうです。もしこれがほんとうなら、この男の物語時間も30数年前で留まってしまったか、あるいは緩慢な流れになってしまったか、この男の人生の中のどこかで時間が消えてしまったかのいずれかではないかと思います。

 1985年から1995年にかけて私はずっと「時間ができない」あるいは「時間が消える」という主題の作品を書いていました。今でも物語時間という言い方は理解されにくいので、その当時書いた作品があまり理解されたとか、読者に受け入れられたとは思っていません。けれども、このごろに奇妙な事件を見ていると、あの時間に関する認識はそれほどおかしなものでもなかったのだなあと改めて思います。

 時間が消えてしまったために、時間を取り戻そうとして起きる事件というのはこれからも、幾つもおきることでしょう。それらは、一般的には「狂気」のなせる業と解釈されて行くことになるでしょう。人間の心と時間の関係に私が興味を持ったのは、「狂気」の裏側の「正気」に対する興味でしたから、作品には大事件を描くことを避けてきましたけど。

↓前の日記 / 次の日記↑

   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ