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格差社会
2007年11月04日(日)
飛行機の客室乗務員のことをスチュワーデスと言っていた頃、若年定年制というのがあったのをふと思い出しました。女性は30歳で定年というような制度だったかな。もう30年以上も前に若年定年制は違法という判決が出て、だんだんに廃止されていきました。「若年定年制は違法」という判決は高校の教科書に載っていました。 それから男女雇用機会均等法ができて、でも、まだその頃は女性の防衛大臣とか、独身の首相が日本にもいるようになるなんていうのは、空想的な話でしかありませんでした。
小池百合子の「女子の本懐」という本の広告が、地下鉄の中吊り広告にありました。手元になにもなくて、記憶だけで書いているので、もしかすると間違っているかもしれませんが城山三郎の「男子の本懐」がベストセラーになっていた時代に、小池百合子元防衛大臣はテレビキャスターとして、活躍していたか、そのちょっと前だったか? それまでテレビのニュースと言えば、男性がキャスターを勤め、女性はアシスタントというパターンだったのが、小池百合子、安藤優子、田丸美鈴、などの女性もキャスターを勤めるようになったのでした。女性のテレビキャスター第一世代としては小池百合子元防衛大臣は、いちばんの出世頭というところでしょうか。
男女雇用機会均等法ができたときに、この法律って、経済的に苦しいから共働きをしているって家庭のためにあるんじゃないよねえって、そう感じていました。むしろ高給取りの家庭のための法律って感じでした。30年前の日本は一億総中流なんて言っていましたから、男女格差を論じるときに、あんまり所得階層の違いに目を向けたりはしなかったんですけどね。その頃の空気を知っていると、なんというか、今の格差社会の小さな芽が出てきた頃のような、そんな感じをいくつも思い出します。
今朝はちょうど新聞の配達が終わる頃に目をさましました。日経新聞には高級腕時計と宝飾品が並んだ小冊子が折り込まれていました。クリスマス用ギフトの宣伝広告で、単価は数万円から数十万円。腕時計は、万年筆と同じで、いまや高級品だけが残っていて、ちょっと前まで街でみかけた安い時計は姿を消してしまいました。携帯電話にその地位を奪われたみたいです。プチジュエリーはブランドがブームになる少し前、つまり女性のテレビキャスターが現れた頃から見かけるようになっていましたけど、だんだんと高価になってきています。で、その広告を見ながら、思ったことはこの30年で、お金持ちの雰囲気が変わったなあということでした。
30年前、一億総中流と言っていた頃にもお金持ちはいて、しばしば「へえ、世の中にはお金持ちがいるんだなあ」と感心したことがありました。なんかねえ、うまく言えませんが、その頃のお金持ちは「古い家のお金持ち」でした。それが30年たって、やや入れ替わったのか、それとも「古い家のお金持ち」のセンスが変わったのか? どっちなのだろう? と日経のクリスマスギフトの折込み冊子を眺めていました。30年前は一億総中流の掛け声の前で、お金持ちはちょっと遠慮をして、大衆(この言葉も30年ほど前に消えてしまった感じがしま すが)に紛れ込んでいたものですが、今は大手を振って街を歩いているというか、そんな感じです。
たぶん、今のお金持ちは「自分の能力で稼いだ」という気持ちが強いのでしょう。30年前のお金持ちは「親から譲られた」とか「たまためぐり合わせが良かった」とかそんなふうにいささか遠慮気味でした。「成金」っていう単語がまだ罵倒語だったのですから。でも、どんな時代にも「成金」っているんだけどねえ……。今様成金の特徴をどんな言葉で表現したらいいんだろうって考えているうちに、若年定年制の違法判決やら男女雇用機会均等法などなど、をつらつらと思い出したわけです。格差社会というとワーキングプアなどの、所得の少ないほうの人々が、問題にされますけど、格差の上のほうはあんまり注目されないというか、その変化を論じている文章をみかけません。
でも小説の世界では、わりに上のほうの登場人物がこのごろの作品には登場します。というか、恋愛小説を書くためには「自分の財産を持っている女」というキャラクターが必須の条件で、日本の近代小説はこの条件と満たす女性をうまく造詣できなかったのですけど、その条件を満たす女性がいる世の中になったということを最近の小説は如実にあらわしているなあと思う作品に出会うことがあります。そういうことについて考えていると、格差社会の上のほうの感覚やセンスが気になるというわけです。
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