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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

方の会 市川夏江さん

2007年05月14日(月)

 銀座のみゆき館劇場で方の会の「文の屋の女たち」を見てきました。昭和の初期の遊郭の物語です。10歳になるかならないかの女の子が、郷里の親からお金を無心される場面で、主人から「一度、田舎に帰って家の様子をみてきてはどう?」と進められる場面で、家に帰らずに借金を増やすことを承諾する場面は、なぜか、今この時代でもああいうことはあるよなあという気がしました。もちろん、娘の身売りなんてことはないのですが(表向きないことになっているとも言えますが)子どもは親のむたいな要求に黙って応じてしまうことがあります。昭和の初期の遊郭なら、それが親のむたいな要求だと誰にでも判りやすいのですが、今の時代では、ちょっと判りにくいかたちで、そういうことがありそうです。例えば「良い私立中学に入れ」というような要求だったりと言うと、お金の無心するのとは違うと言われそうですが、無条件で頷く子どもの心根はあまり変わりがないところがありそうです。

 脚本は座長の市川夏江さん。舞台では文の屋のやり手婆を演じています。花魁が一人、殺されたのか、自殺したのか、ともかく部屋で死んでいるのが見つかったというところから始まり、死んだ花魁の身の上が徐々に明かされた行くという芝居です。最後にやり手婆の独白は前述の無言で頷いた少女の心理と響き合って、品の良い美しさが漂っていました。古い時代の物語ではあるけれども、最後の独白を聞いていると、時代の新しい古いでは分けられない人間のプライドについて聞かされているようでした。


 銀座のみゆき館劇場はビルの地下にある小さな劇場です。芝居が終わって階段を上っていると、舞台を終えたばかりの市川さんとばったり出会いました。
「あ、米元さん」
 顔を見て、私のことをすぐに思い出していただけたようです。米元は私の母の旧姓です。市川夏江さんと私の母は中学、高校の同級生でした。
「そうです。その米元の娘です」
 そうご挨拶しました。親族を除けば、母が生きてこの世にあったことを知っている人も少なくなりました。ましてや娘時代のことにまで遡って知ってい人はほんのわずかです。母が亡くなってからもう27年になります。生きていればと、ちょっと母の年齢を数えたりしました。いつもお芝居の案内をいただいても、なかなか伺えないのですが、行くだびに、なんだか若々しく、品良く、美しくなられる市川夏江さんです。

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