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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

伊勢丹

2006年11月16日(木)

 伊勢丹で最初にカルバン・クラインの麻のスーツを買ったのはまだ大学生の時で、これは今考えるといささか老けた感じの買い物でした。もっともその頃は、老けた感じというと地味と同義語で、20代後半から30代の女性の服といえば、家庭の主婦向きという感じでしたから、麻のスーツなんて珍しかったのです。で、今、これを書いていて、カルバン・クラインのコートって買ったことないなあと気付きました。

 なぜか突然、赤が着たい!という気になったのは、母が亡くなる前の年の11月でした。もっとも、その頃、母は寝たきりの状態で、病院に入院していました。今で言えば介護状態ですが、その時分は介護なんていう言葉もありませんでした。で、介護状態はこれからどくくらい続くのかまったく解らなかったのです。5年かもしれません。10年かもしれません。実際は翌年のお正月過ぎに容態が急変して亡くなったのですが、伊勢丹で赤いセーターを買ったときはもちろん、そんな運命になっているなんて知りませんでした。

 カルバン・クラインの赤いセーターは肩の部分が水平に開いているという変わった形でした。病院にいた母をお正月に館山の家に連れ帰りました。片道5時間くらいの道のりを寝台付きの自動車で帰ったのです。久しぶりの館山の家でした。母が使っていた部屋からは洗面所が見えるのですが、その洗面所で赤いセーターを試しに着て鏡に姿を映していると、蒲団の中から
「それ、よく似合うね」
と言ってくれました。その時の声は左半身が麻痺して、発音も不明瞭になった人の声とは思えないほど鮮明でした。お正月を館山の家で過ごして、病院に戻って一週間ほどで、突然、容態が急変したのです。病院から「すぐに来て下さい」という電話をもらったのは、息子の3歳の誕生日を祝うケーキの蝋燭を吹き消している時でした。

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