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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

ばかサヨ ばかウヨ

2006年08月17日(木)

 ばかサヨとかばかウヨとかいう言葉が飛び交う議論を眺めてうんざりしています。なんのことを言っているのかは、だいたい見当がつくと思いますが、首相の靖国参拝をめぐる議論です。

 子どもの時「ばかって言ったら、ばかって言った人がばかなんだよ」と教えっれて、「お前がばかって言ったから、お前のほうがばかなんだ」と言い、「お前だったばかって言ったじゃないか、ばあか」と言い返されて、「ばか、ばか、ばか」「かば、かば、かば」という応酬になったのを思いだします。

 私は基本的には首相は靖国参拝すべきだと思っています。ただし、今のA級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝すべきではありません。A級戦犯を合祀した靖国神社の歴史観は戦後に日本政府の歴史観とあまりにもかけ離れているからです。そんな政府の首相が来ると言ってもうれしくないだろうというほどかけ離れています。だから、ほんとうは靖国神社が首相に来てもらわなくてもいいと断るのが筋だと思ってます。

 中国、韓国に言われたから靖国参拝をするのはけしからん式の世論調査をよく見ますが、この形の世論調査は中国、韓国の言い分をまったく無視してただ「文句を言っている」という事実だけをクローズアップしてしまいますし、へたをすると「弔いより商売だ」という俗論を定着させかねない危険を持っています。中国、韓国の言い分には戦後の外交の歴史が含まれているのです。
 中曽根元首相が言うように、首相が靖国神社に参拝出来る状態を作りだすというのが、ほんとうに政府がやるべきことなのではないでしょうか?

 「ばかサヨ」なんていう言葉を生み出した左翼はもともと唯物論に近い考え方が主流でしたから、人を「弔う」「追悼」するという点の理論には大きな弱点を持っています。「ばかウヨ」なんていわれる右翼は、心情的感情的要素が強くて「弔う」ことの背景にある論理を説明することが下手です。日本の戦後社会では理屈や理論は左翼が作り、心情や感情は右翼が代弁するという分業じみたところがありましたが、これがだんだん崩れてきたのが「ばかサヨ」「ばかウヨ」の応酬を生んでいるのでしょう。

 右翼は戦後の社会が、精神を忘れたといって嘆き、左翼は戦前を引きずったままの社会制度が残っていると戦後の社会を攻撃しました。いずれも「戦後社会」を認めていないのです。あたり前の話ですが、戦争中は武官、つまり軍人の時代ですが、戦後は文官、外交官、通商関係者の時代だったのです。靖国へ首相参拝はそうした戦後の歴史に目を向けるきっかけにはなったのでしょうか?そうだと良いのですが、自民党の加藤紘一議員の自宅焼き討ちなどの事件は「ばかサヨ」「ばかウヨ」の応酬ではすまないいやな事件です。


 こうした事件は被害者が同情をかう場合もありますが、今回はむしろ「無言のプレッシャー」を生み出す方向に作用しそうなところが恐いところです。もちろん、加藤紘一議員はこれまでと発言を変えないでしょう。しかし、それ以外のなんとなく加藤議員に賛成してみようかな程度の人々は薄気味悪さに発言を控えるようになるかもしれません。それが、この事件のもっともいやなとろこです。

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