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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

西五軒町

2006年07月18日(火)

 西五軒町と言ってもピンと来る人は少ないかもしれません。書籍の取次ぎ会社であるトーハンの本社のあたりです。神田川の上を高速道路が走っているさびしい場所で、トーハンや凸版印刷があります。

 その西五軒町の「神楽坂Die pratze」ヘ舞踏を見に行ってきました。神楽坂というのはちょっとなあという場所ですが、赤城神社から江戸川橋の方向へ坂を下った場所にある小さな劇場です。「ダンスがみたい!批評家推薦シリーズ 8」に青森の福士正一さん、山形の森繁哉さん、阿部利勝さんがご出演になるというので、出かけたのです。

 話は6年前に遡るのですが、青森で日韓の文学者会議を開催する時に舞踏家の福士正一さんを紹介してもらいました。福士さんは長年、道路を劇場として踊ってきた舞踏家で(しかし、青森市の職員でもあって、公務する舞踏家とおしゃっています)韓国でも踊ったことがあるというご縁で紹介していただきました。
 4年前にインドの作家とのシンポジウムを山形で開催する時にコンテンポラリーの芸術家として森繁哉さんをやはりご紹介いただいたのですが、お話を聞いてみると福士さんのお師匠さん!でした。山形大学時代に森さんのダンスを見て福士さんも舞踏を始めたのだそうです。

 森繁哉さんは舞踏家土方巽に師事したと伺っています。もともとは町役場の職員だったのですが、今は山形芸術工科大学教授。阿部利勝さんも森さんのお弟子さん。やはりインドとのシンポジウムの時に舞踏を見ています。で、舞踏の話を書かなくちゃいけないのだけれども、その前に驚くことが次々に起きたので、その話を。

 西五軒町というのも、私には西荻と並んで思い出の街で、高校を出てすぐに出版物を輸送する運送会社に務めていた私は毎朝、トーハンに電話をするのが業務のひとつでした。荷物の数の突合せです。で、時には伝票を届けることもあって、その頃から寂しい谷底の街だなと思っていました。で、その寂しい谷底の街の劇場での驚きのひとつは、評価推薦の批評家が志賀信夫さんだったことです。毎年、夏に鎌倉で飲み会をやっていた頃があるのですが、その飲み会に文芸評論家富岡幸一郎さんの大学時代の同級生ということで御一緒していた志賀さんとは思っていたかったので、劇場の前でお顔を見たときはびっくり。福士さんの舞踏を見たのがきっかけで今回の企画になったそうです。

 志賀さんと劇場前で立ち話をしていると、そこに中沢新一さんが現れて、「えっ」とびっくり。これはアフタートークショーの予定があったとのことで、プログラムをちゃんと見ていない私が悪かったのですが、中沢さん(私じゃないほう)はゼミの学生を連れて毎年、阿部さんのところで農作業をしているのだそうです。(トークで中沢ゼミ、中沢ゼミと言われるたびに私がびくんとしていましたが)
 阿部さんは農家で、中沢ゼミ(だからうちではありません)の面倒を見ているうちにだんだん舞踏に目覚めたのだそうです。

 最後のびっくりの極めつけは、一日目のステージが終わったあとの打ち上げで、鶴岡中央高校で大学の模擬授業をした話をすると阿部さんが「僕はその学校のPTA会長です」といわれたことでした。どうしてこんなに寂しい西五軒町でばらばらの玉が糸で繋がるように、いろんなことが繋がって行くのでしょう?ここのホームページに伊藤比呂美さんがコラムを書いてくださるようになったのも、もとは森さんにつないでいただいたようなものですが、その話はまた今度。それから肝心のダンスの話もしなくちゃ。それはまた明日。

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