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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

西荻のダンテ

2006年07月17日(月)

 前からお会いしたいと思っていた平松洋子さんのご自宅に伺ってお話を聞いてきました。「表現者」の連載「眼と仕事と道具」のためのインタビューです。平松さんのご自宅は西荻窪。

 私も25年前に西荻窪に住んでいました。東京に出てきて、何の土地勘もなく住むところを決めたのですが、西荻は東京二十三区のはずれ、となりは吉祥寺で武蔵野市になります。だからちょっと家賃が安いかなくらいの感じで、そこに住むことにしました。

 久しぶりの西荻です。「このあたりの空気は変わらない」と平松さんがおしゃるとおり、新宿の騒がしさからちょっと離れてほっとした感じは昔のままです。

 インタビューが終わってから駅前の「こけし屋」でランチを食べました。郊外のフランス料理店の草分けみたいなお店で、大学生の時は編集者との待ち合わせによくこのこけし屋をつかいました。それから「ダンテ」へ。

 正直に言うとまだ「ダンテ」はあるかしら?とちょっと心配でした。JRの駅を南へでて、右手の細い路地の奥です。自転車くらいしか通れない道で、途中にある「初音ラーメン」も健在でした。「初音」でラーメンを食べて「ダンテ」でコーヒーを飲むというのが、いつもの帰り道の手順。「こけし屋」が応接間なら「ダンテ」はもっと親しい感じで、リビングというのか、自分のうちの延長みたいな、そんな感じでした。「ダンテ」では黒いカーディガンが似合う老婦人がいて、いつも本を読んでいました。その人をモデルにした人物を「女ともだち」の中に書いています。

 数年前におよそ20年ぶりくらいに「ダンテ」にコーヒーを飲みに言ったらマスターが私を記憶していたのにはたいへんに驚きました。今度も「こんにちは」です。
昔、伊豆の下田にある「中川」というお刺身を食べさせる店のことを話したことがあるのですが、今でもマスターはバイクに乗っていて、「中川」が新しく出した店にも行っているという話をしました。

 平松さんはずっと西荻にお住まいだそうです。私もあのまま西荻に住んでいたら、今頃、どうなっていたのかしら?と考えずにはいられませんでした。なんだか複雑な気持ち。こういう複雑な気持ちを表現するならエッセイよりも小説のほうがいいんだよなあと、中央線の中で考えていました。「私」や「僕」などの一人称に縛られてしまっては、表現できない複雑な気持ちです。

 西荻窪は昭和のはじめの建売住宅として開けてきた街ですが、街もだんだん歳をとるのですね。歳をとり始めて街の魅力を今の西荻窪には感じます。

 MIXIに夫馬基彦さんから以下のような書き込みをいただきました。

「いや、たいしたことじゃないんですが、西荻には昔佐々木基一さんと杉並シネクラブをやっていた頃、仲間が多くいてよく行きました。その定番コースが、ダンテ、初音ラーメン、こけしや、そして出てこないけど飲み屋「たみ」「キングクラブ」等でした。

更に、伊豆下田の中川も伊豆時代(ぼくは伊豆の山中に住んでいたことがあります)、常連でした。喫茶店なら「邪宗門」。

いやあ、懐かしい。 」

 そうそう西荻の駅のプラットホームではいろんな人の姿をおみかけしました。

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