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ダンスが見たい8 批評家推シリーズ
2006年07月19日(水)
福士正一さん、森繁哉さん、阿部利勝さんの舞踏を二晩続けて見ました。最初の晩は阿部さんのソロと福士さん、阿部さんのデュエット。予定はでは森さんも加わるはずでしたが、都合がつかず、急遽、福士さん、阿部さんのデュエットになりました。
阿部さんのソロでは「田植え機のダンス」がすごく魅力的でした。「一年の数日、働いてもらうために、借金をした」田植え機。田植えの様子を踊るのですが、たんに田植え機の動きを真似ているというのではなく、田植え機の動きが身体に乗り移っている感じです。お神楽に田植えの所作がありますが、阿部さんの舞踏は、現代版のお神楽みたいに、動きが明るくて軽やかです。 身体付きも中心線がまっすぐに通るところに筋肉がしっかりと付いた感じで、現代的な身体性を感じさせます。ふつかめのアフタートークで話題になったのですが現代の農業では腰をかがめる作業というのはだんだん少なくなっているのだそうです。福士さんとのデェットの時にあったしこを踏む動作なども田植え機に通じる明るさと感じました。「明るい」というよりも「めでたい」といったほうが適切でしょう。「めでたい」身体の動きにはおかしみに通じながら神々しさもありました。土方巽の孫弟子にこんなにめでたい身体と動きと表情を持った人で出てくるというのは、私にとって大発見でした。 福士さんとのデュエットでは、同じ舞踏でもこんなに異なる身体が出来上がるのかと見つめてしまいました。福士さんの舞踏はひとことで言えば「不気味」になります。でもこの「不気味」は単純な不気味さではありません。背中を思いっきりそらせた姿勢での動きは、足を消し忘れたために不自由な動きを強いられる幽霊を思わせます。もちろん、背中をそらせれば誰でもそういう感じが出るというわけではありません。荒川静香選手のイアンバウアーを見て幽霊を思う人はいないでしょう。福士さんの舞踏は身体をそらせることで雪国に住む霊(スピリット)を招きよせているかのようです。ですから、阿部さん、福士さんのデェットは「いる人」と「いない人」が組んで踊っているかのようでした。「いない人」という言い方をしたのは、不気味な幽霊みたいに見えるだけでなく踊っていると様々は霊(スピリット)が招きよせられてくるように感じられるからです。
翌日は福士さんのソロ。前半は身体をそらせた不気味の舞踏から、中盤、何か無邪気なもの、生まれる前の赤ちゃんみたいの動きへ、進んで行き、舞台にあったオブジェ(春巻きの皮で作ったものだそうです)を観客席にばらまくところは、道路劇場で、思いがけない通行人を巻き込んでしまう場面を彷彿とさせました。福士さんの今にも手足がばらばらになってしまいそうな柔らかい身体の動きをいつ見ていても、不気味だけど触ってみたいくなります。いったいどうなっているんだろう?と子どもみたいな気持ちにさせられるのです。
後半は森繁哉さんが加わり、3人での舞踏。森さんは腰の曲がったお婆さん。安倍さんは白いシャツのお父さん。福士さんは学生帽に半ズボンの子ども。森さんの腰の曲がったお婆さんの舞踏は、身体の底から動きたい、動きたいと突き上げてくるような衝動を感じさせるもので、独特の動きでありながら、お婆さんをリアルに観察している眼も感じさせるものでした。三人がひしひしとご飯を食べる場面では福士さんの帽子が飛ぶというハプニングもあって、開場から笑いが漏れていました。森さんが加わることで人間がひしめきあって生きている感じが、ものすごく濃密に伝ってくる舞台になっていました。3日目の森さんのソロも見たいかったのですが、残念ながら3日目はすでに予定が入っていて出かけられませんでした。
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