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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

エンジョイという表現

2006年02月25日(土)

 フランスの高校生くらいが読む哲学の入門書を読んでいるうちに「エンジョイ」という単語の意味を改めて思い出しました。「楽しむ」というこの単語、オリンピック選手がよく使っています。そして、国の代表なんだから「楽しむ」だけじゃ困るなんて意見を耳にします。「遊びに行ってるんじゃないんだぞ」というわけですが、「楽しむ」つまり「エンジョイ」にはもっと神聖な意味があります。神の降臨が「エンジョイ」なのです。日本の選手がそういう意味で「楽しむ」を使っているかどうかは解らないのですが、たぶん、国際大会に出場しているような選手は「エンジョイ」というに相応しい実際の場面を目にしていることでしょうし、インタビューを受けた選手が「エンジョイ」と発音するのを聞いていることでしょう。

 フィギュアスケートの荒川選手のスピンの様子をスローモーションでみたら、なんと素敵な微笑を浮かべているではありませか。つまりこれが「エンジョイ」なんだなと思いました。たぶん、私などは一生「エンジョイ」を体感する瞬間はないかもしれないと思います。ただ単語を知っている、その意味を知っているに過ぎないのかもしれないのです。もっとも「エンジョイ」はそうした華やかな場面だけに訪れるのもではなくて、深く安らいでいる時にも「エンジョイ」と言う瞬間はありますから、そっちなら誰にでも等しく得られる機会はありそうです。よく小説のリアリティを論議する場合に「血肉になった言葉を使っているかどうかだ」なんて言いますが、絶対に血肉にはならない言葉だってたくさんあるんだなあと、フィギュアスケートの演技を見ながら、そう考えました。ただ想像することしかできない言葉というものをたくさん持っているのも楽しいものです。「エンジョイ」のおすそ分けに預かる楽しさです。

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