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耐震構造偽装問題が吹っ飛んで
2006年01月20日(金)
ライブドア事件のおかげで、耐震構造偽装事件がすっかり吹っ飛んだかたちになっています。テレビも新聞もライブドア事件を追いかけるのて手一杯で、耐震構造偽装問題は二の次というかたちになってしまいました。 テレビは「文脈」がないとジョン・アービングが「第四の手」で書いていましたが、こうした大事件がかさなると新聞もまた「文脈」を失ってしまいます。「文脈」というのは感情の継続的変遷と考えてもいようなところがあって、それは「愛情」を根底で支えているものだとアービングは考えているようです。
大量の情報にさらされながら「文脈」を維持するのは容易ならざることでしょう。その意味ではネットもさらに「文脈」の破壊を加速させる材料になってゆくでしょう。メディア不信というのは、メディアがどのような情報を流しているのかという情報の質の問題以前にメディアの存在そのものを疎ましく感じる感情が働いていると思えてきました。昔から新聞なんて読まなければ世の中は平和だと考える感じ方は存在していましたが、そういう拒絶的な感情のほうも、メディアの発展と同時進行でおおきく膨らんできているに違いありません。
今日から通常国会。大事件続きで、大荒れになるのかそれとも、あまりに案件が多すぎて焦点がぼけてしまうのか、あるいはメディアそのものにうんざりした人々の感情の影響で奇妙にしらけた国会になるのか、その雰囲気は予想がつきません。「文脈」を失った情報によって感情が「断片化」された結果が奇妙な騒ぎを生みそうな予感がします。民主主義というのは大衆的な情報の提供が前提で成り立っている政治システムですが、それがあまりに過剰なためにまったく機能しなくなってしまうという可能性もはらんでいます。
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