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原稿用紙5
2005年06月06日(月)
仙台文学館で公演してきました。その帰りに山形の上山にある斎藤茂吉記念会に寄ってきました。仙台文学館では与謝野晶子展が開かれています。与謝野晶子展でも斎藤茂吉記念館でも気になるのは原稿用紙!
与謝野晶子も斎藤茂吉も現在と同じ型の20×20の原稿用紙を使っていました。明治40年代にはこうした形式の原稿用紙が使われるようになっているようです。
「超漢字原稿プロセッサ」の開発段階では20×20の字つめで縦書きができるというのは基本的な条件でした。20×20だと、分量の目安を掴みやすいからです。しかし、その時は桝目にはそれほど感心を払ってはいませんでした。ワープロで桝目のあるものが使いにくかったので、桝目はいらないという考えもありました。私もどちらかと言えば、桝目はいらないのではないかと思っていました。
ところが、その後、桝目にも意味があるんだということに気付かされる事件がおきたのです。某大学の卒業制作の字数を20×20の原稿用紙何枚というふうに数えずに、純粋に字数でカウントするというウワサが流れて、詩の製作を考えていた学生がまっさおな顔で相談に来ました。詩は空白も表現のひとつです。いや、詩だけではなく散文でも、どこで一行アキを入れるか、カギカッコの下を空白であけるか、それともそのまま文章をつなげて書くか、これも表現の一部分です。
ワープロやパソコンがなければ、提出された卒業制作を純粋に字数で数えてみようなんてことも考え出さなかったでしょう。で、その話が伝わってきた時、遅まきながら原稿用紙の空白も表現の一部だと気付いたのです。 つまり桝目にも意味があるのです。
原稿用紙の桝目が必要かどうか侃々諤々の議論の結果、どちらも選べるという方式に落ち着きました。が、その時の議論を思い出すとぶんに感覚的で、欲しいか、欲しくないか、好きか嫌いかに終始して、原稿用紙の桝目の意味などには及んでいませんでした。
物書きの手近にある紙は原稿用紙ですから、斎藤茂吉も原稿用紙に手紙を書いています。気楽な手紙の用紙として原稿用紙を使うときは、斎藤茂吉も桝目を無視して使っています。書簡の時の書き方(正書法)をしているのです。これまでなんどもいろんな文学館を訪れることはありましたが、こんな興味で展示を眺めたのは初めてでした。資料というものは、何かひとつの目的だけで、見られるとは限られないのですね。
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