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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

原稿用紙4

2005年06月04日(土)

 ふだん、原稿を大量に書いている人でも、たとえば学者や研究者のような人でも、原稿用紙が正書法を支えてきたのだということをあまり意識していないことに最近、気付きました。むしろパソコンやワープロの便利さのほうが目を引くのは当然のことです。

 ところで、ある時期まで、大学でレポート提出について説明するすると、必ず「手書きですかワープロでもいいですか」という質問がありました。その次は「縦書きですか、横書きですか?」という質問が出ました。レポートは手書きの縦書きのみしか受け付けないという先生が文学系の授業には、かなりいたようです。

 最近はレポートは「ワード」で製作したものしか受け付けないというふうにアプリケーションまで指定する先生もいます。レポートの内容にもよるでしょうけれども、アプリケーションまで指定してしまうのは、あまり感心しないなという気がします。ここ数年で、手書き縦書きのみという指定から急速にアプリケーションの指定まで変化してきているのです。世の中全体で原稿用紙を使っていた経験が急速に薄らいできているのです。

 正書法の混乱とか乱れという問題が生じてくるのは、原稿用紙を使った経験が乏しくなってからでしょう。もともと活版印刷導入といっしょに自然発生的に出来たものだから、使う道具の変化とともに変化してもいいと考えるか、ここで正書法を整備して、無闇な変化を防ぐほうがいいと考えるか議論の分かれるところでしょう。

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