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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

原稿用紙2

2005年06月02日(木)

 なにやら、昨夜はぐらぐらとそんなに大きくない地震が続きました。東京湾が震源とか。大丈夫かな?と不安になります。

「地震で発見。送る。」というお葉書を丸谷才一さんからいただいたことがあります。なんという簡潔さ。服装に例えれば、海水パンツ一丁という感じです。確かにやや大きめな地震のあったあとでした。でも何を発見したのか?送るというのだからそのうち送られてくるだろうと待つこと、一日。金子武蔵「ヘーゲルの国家観」が送られてきました。昭和19年発行の本です。

 そう言えば、さるパーティで丸谷さんにお目にかかったとき、その本を探しているというお話をしたのです。
「僕のうちにあるはずなんだけど」と丸谷さん。地震で本の山が崩れて発見したというわけです。発見したので進呈しましょうというお葉書でした。

 さて、問題はここから始まります。御先方が海水パンツ一丁の潔さと言え、こちらが「届いた。あんがと」では済みません。なにしろその頃、私は明治大学の学生だったので、服装で言えば烏帽子大紋(忠臣蔵で浅野の殿様が着ているやつ)くらいの礼状を書かなくちゃとものすごく緊張。ううん、困った。困った。手紙ってすごく億劫なものでした。とくに形式を踏まなくてはいけない手紙はもっともっと億劫で、どんどん日が過ぎて行きます。

 それはこれまで、事項の挨拶などの形式と候文の血統を引いているような手紙独特の文体のためだと考えていました。どうも、そこに江戸時代から引き継がれている手書きの正書法も混じっていると考え出したのはこのごろです。烏帽子大紋という比喩が似つかわしいのも、そうしたことを考えているからです。

 そもそもふだん原稿用紙に書いているのとは違う正書法を用いているとは、考えてもみなかったのですが、例えば段落を分けるなどということも手紙ではあいまいに住みます。段落の文頭を一字空けるのも、桝目がないのですから、とくに考える必要はありません。そのかわりに行分けや、文字の位置に気を配る必要が出てきます。原稿用紙が出来てからも、手紙では、それより古い正書法が脈々と生き残っていたということになります。

 丸谷さんへのお礼以上は困ったあげくに「手紙の書き方」という実用本の文例そのままと書き写したものを差し上げたというふうに記憶しています。

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