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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

原稿用紙1

2005年05月31日(火)

 江戸時代の本を見ると木版刷りで、草書のつづき文字が刷ってあります。現在の私たちが目にする本とはまったく異なった正書法を用いています。正書法が大きく変化するのは明治期になって活版印刷が盛んになってからです。現在の正書法は活版印刷とともに整えられてきたのです。

 活版印刷が生み出した正書法を支えてきたのは原稿用紙です。原稿プロセッサ開発の時に20×20の原稿用紙にこだわる必要があるのかという議論をした時、吉目木晴彦さんが「印刷のほうの人に聞いたら、20×20は経験的にもっとも安定した字面になる組み合わせだと言っていた」と発言したのが、じゃあ、その方向でというひとつの決め手になりました。

 今、考えてみるとあの吉目木さんの発言はその場で考えられていた以上に重要な発言だったと思います。というのは、ワープロやパソコンで文章を書くようになってまた日本語の正書法が大きく変化する可能性が出てきたからです。原稿用紙にこだわる必要があるのかどうかを議論した時にはそこまで大きな事柄とは、私も考えていませんでした。

 これは最近、考えはじめたことなので、いささか混乱しているところもありますが、少しづつ書いて行くことにします。

 まず最初にワープロを使ったときに困惑したのは原稿というものと、印刷された紙面の区別がぐちゃぐちゃだったことです。文章を書くことを仕事にしているとこれは画然と区別されているものなのですが、ワープロでは区別されてませんでした。よく考えてみると手書きで手紙など書くときは文章を書くという仕事と文章の書かれた紙面を作るという仕事は同じ仕事になっています。だからワープロでもそこがひとつになっているのは不思議なことではないということになります。

 ところで、話は変わりますが、明治期の国語教育では作文教育は書簡体と作文体のふたつの分野に分かれていました。作文体では原稿用紙を使ったのかどうか、調べてみるとおもしろいかもしれません。

 書簡体の教育が独立してあったのは、私が高校の教育を受ける頃まではまだ続いていました。この話を持ち出したのは正書法と手書きと印刷を考える手がかりがそこにありそうだからです。作文体と呼ばれる文章の正書法は、活字の印刷の発達と結びついて出来上がってきたものだという視点は、まだあまり共通認識にはなっていません。だからあまり注意を払われないのです。が、一方で書簡体というかたちで、手書きの正書法も長く残っていたとい側面があるのでしょう。手紙を書くときには原稿用紙を使いません。だから、なんとなく原稿用紙の持っている意味が等閑視されたのではないでしょうか。

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