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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

20世紀の後姿

2005年04月12日(火)

 夏目漱石はロンドンでヴィクトリア女王の葬列を見送っています。それが漱石の見た19世紀の後姿であったと、何かの本で読んだのを覚えています。

 そんなことを思い出したのは、ひょっとするとあれが私の見た日本の20世紀の後姿であったのかもしれないというデモを思い出したからです。5年くらい前の冬の初めのことでした。法政大学の門を出ようとすると、デモ隊がいました。
 
 デモ隊と言っても7、8人の若者がいるだけです。それで、先頭の若者が「シュプレキコール」と言ってから何事かを唱えると、後ろに続いた数人がまるで小学校の一年生が教科書を読むように同じ文句を唱えます。異様だったのは、この小さな、そして、どうもデモ初心者まるみえの団体のあとを10人ほどの新聞記者がついて歩いていることでした。その後ろには10人くらいの警官が歩いていました。

 デモ隊よりも取材記者と警官の多いへんな行列でしたから、夕闇にまぎれるまで、その行列を見物していました。話に聞くデモというものをやってみようとしているようでした。デモのためのデモです。そうした試みのデモに新聞記者も警察官も付き合っているようでした。

 こうした奇妙なデモが20世紀の後姿に見えてきたのは、先日、朝日新聞の周囲をぐるぐる回っていた右翼が「シュプレキコール」型の街宣をやっていたからです。先頭車両のスピーカーが何事かを叫ぶと、野太い声で後続車両のスピーカーを通して同じ文句を唱和します。あんまり音量が大きすぎて何を言っているのかはわかりませんでしたが、ともかく左翼のデモのやり方にそっくりでした。そして、法政大学の周囲でデモを試みた若者よりもこっちのほうが堂に入っていました。

 街宣車は昔の右翼が使っていたような装甲車型ではなく、選挙の候補者が使っているのにそっくりな白いバンでした。いろんなところから様式を学ぶのですね。ソビエトの崩壊いらい、右翼とか左翼の定義も日々変化していますが、街頭活動の様式にもそうしたものが現れるのかとへんな関心を持ってしまいました。

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