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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

ホリエモンの国盗り物語

2005年03月16日(水)

 ニッポン放送の塚越孝アナウサーに、プロミスエッセイ大賞の選考会でお目にかかったときに
 「野球の時はおもしろかったんだけど、今度はちょっとなあ」
 と、ライブドアによる株式買収について、そういう感想をおしゃってました。朝、目が覚めたらほかの会社に自分の会社が買収されていたというのは、おもしろい話ではないでしょう。

 民主党の岡田代表はTVのインタビューで「堀江氏に対する生理的嫌悪感があるんです」と政治家一般の反応について語っていました。これまでの価値観を破壊したり軽んじたりする相手に対して、人は生理的嫌悪感を感じます。とくに価値観を軽蔑されたり、軽く扱われたりする時には激しく生理的嫌悪感を覚えます。小泉首相に対してもそうした嫌悪感を示す人がいます。

 昨日の朝日新聞「天声人語」はニッポン放送の対抗策である焦土作戦が「はたして社員によって有利なものかどうか」と書いていました。フジサンケイグループに残りたいという社員の望みをかなえるために、焦土作戦をとって相手と同じ土俵に乗ってしまうと、結果として会社は社員のものだという考え方感じ方が脅かされのでしょう。

 よく日本はほんとうは社会主義国なんだという悪口を90年代に耳にしましたが、「会社は社員のもの」という感じかたをすごく図式的に言ってしまえば、企業は小さな社会主義国のような状態を作り出して、年功序列、終身雇用を守ってきたのでしょう。企業という小社会主義国の集まりを、合衆国のように集めて、国は資本主義の立場と取るというような構造に戦後の日本はなっていたのではないでしょうか?

 それよりもっと遡る「会社は創業者一族のもの」という考え方感じ方は企業を家族に見立てることで、経営者は主人、雇用者は使用人というみもふたもない上下関係を穏やかなものにしてきました。家族に見立てられた会社員が、「会社は社員のもの」という感じ方や考え方
に基づいた仕組みを手に入れると社会主義国に似た構造が出来上がるというモデルを考えてみました。それはかなり公平な富の分配をする結果を生み出しました。みんなで豊かになろうという共通の目標があった時には、うまく機能した仕組みでした。
 
 が、良いことばかりではないのです。豊かさの内容が問われる時代がくると、その仕組みは悪い部分を露呈させてきました。「日本は社会主義国だ」という悪口はその露呈した悪い部分を象徴しているものです。

 そこへ「会社は株主のものだろう」という盗賊が現れました。というお話にしてみたのです。現れたのが、正統な救世主ではなくて盗賊だったので、なんだか複雑な気分です。プロ野球問題の時には盗賊に見えた人は少数で、どちらかといえば風変わりな救世主に見えていた人が多かったでしょう。今度は盗賊に見えているという人もかなりいるはずです。盗賊は「だから上から下まで資本主義の筋を通せばいいじゃない」と言っています。筋が通れば、行くべき道も見えてくるというわけです。

 ライブドアのにニッポン放送買収は違法ではないといわれていますから、盗賊のたとえは適当ではないでしょう。が、この強引さ、これまでの価値観に基づく秩序の無視はやはり盗賊の例えが相応しいのです。盗賊にも鼠小僧次郎吉も入れば、アリババも物語の世界にはいますし、そもそも「国盗り物語」は戦国の武将斉藤道三を描いた司馬遼太郎の小説のタイトルです。さて、このホリエモンという盗賊はボン・サンスという愛人に気に入られることができるでしょうか?そこが勝敗の分かれ目かもしれません。盗賊が領主になろうとしているこの物語はこれからが、かなりおもしろなんて言っては、渦中の人から大目玉を喰らいそうですが。

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