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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

ボン・サンス

2005年03月14日(月)

 「金貸しの日本史」(新潮新書 水上宏明著)というおもしろい本を読みました。それによると金貸しのもとは神社で、種籾を貸して、秋の収穫のときには、ちゃんと利子をつけてお米を返してもらうというものだったそうです。今の企業の資金集めもこれに似たようなもので、原理的には変わっていないのでしょう。

 田んぼにまけば芽が出る種籾と違って、銭は芽を出しません。しかし、人間は銭に芽を出させる方法を考え出したのです。それが賭博です。天武天皇は銭を普及させもしましたが、同時に賭博にも夢中になってしまったらしいです。で、賭博を最初に禁止したのが天武天皇の皇后だった持統天皇でした。天の香具山に白い衣が干されているのを眺めながら、ああ賭け事だけ止めさせなければと思ってのかどうか解りません。

 マネーゲームなのか、つまり賭博みたいなものなのか、それとも、まともな投資、田んぼに種籾をまくようなものなのか、どちらだろうと人の興味をそそるライブドアのかげに隠れて、西武鉄道の株式虚偽記載事件はネットの掲示板などでもあまり関心を集めてはいないようです。関心が向かない理由のひとつに一般の人は会社の資金集めの方法などを知らないということがあるでしょう。さらに言えば、何か悪いことには違いないけれどもオーナー経営者が逮捕されなければならないほど何が悪いのかはっきりしないということも、関心が薄い理由になるでしょう。会社は社員のものだと考える日本的経営のもとでは、会社の出資者に興味を持つ必要がなかったという点がこうした関心のなさの根にあります。

 ライブドアが「ホリエモンの国盗り物語」なら西武鉄道のほうは「西武処分」とでも名づけたくなるような権力による強制的な企業の解体の様相をみせています。西武鉄道の場合は、会社は社員のものという感覚よりももうひとつ古くて、会社は創業一族のものという考えに根ざしたまま運営されて来ていたのでしょう。企業というものに対する考え方の50年から100年くらいの歴史を、去年の秋からの半年あまりで、西武とライブドアという会社をモデルに復習させてもらうような気持ちでここのところのニュースを見ています。

 西武鉄道のような考え方のもとでは、株式会社という仕組みは大きな資金集めの仕組みであると同時に、その裏には「大きな事業は株式公開によって公的性格を帯びなければならない」という良識(ボン・サンス)は幾ら説明して理解されないでしょう。では、ライブドアの買収の対象になったニッポン放送や、それに関係するフジテレビの「会社は社員のもの」という感じ方は、ボン・サンスに近づいているのでしょうか?フジサンケイグループにもかつて創業者一族との確執がありました。それを考えると、ボン・サンスに近づいているように見えるのですが、やっかいなことに「会社は社員のもの」という考え方感じ方は資本に対する興味を失わせてしまうという欠点を持っていると言えます。

 社員は自分がもらう給料には興味を持ちますが、会社の資本にはそれほど興味を持たないのは当然のことです。創業者やその一族は資本に興味を持つ存在です。株主もまた興味を持つのは社員の給料ではなく、会社が上げた利益に興味を持ちます。この違いが重要な意味を持っているのだなあと、新聞やらテレビを眺めています。それにしても、新聞もテレビも資本を集める仕組みを支える哲学を承知している取材者は少ないようです。興味をもたなければ、資本に対するボン・サンスも育たないということになります。

 このごろ、ボン・サンス(良識)というのは、それだけ独立して存在するのではなくて、みもふたもない現実主義、例えば資金調達とか、マネーゲームと言われるような投機など、簡単に言えば「お金が欲しい」と叫びたくなるような心境などに現れる現実主義と、恋人どうしなのだと思うようになりました。恋人というよりもボン・サンス(良識)は現実主義のミステリアスな愛人と言ったほうがいいでしょう。

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