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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

高麗の器に伏見人形の鼠を置く

2012年08月14日(火)

 ソウルでご一緒した城戸朱理さんのHPを覗いたら、ソウル滞在中の無駄使いがすっかりばれてしまっていました。我ながらちょっと買物のし過ぎだなあという今回のソウル旅行でした。買物をし過ぎたわりには、最初の目的だった朝鮮白磁の壺は買いませんでした。仁寺洞の骨とう品屋さんには手頃な物があったのですが、なんだか気が進みませんでした。仁寺洞の骨とう品屋さんは、日本からの観光客が多いので、好みは「日本人好み」に傾いている様子です。とりわけ朝鮮白磁は、日本人好みにかなり傾斜しているように見えました。

 で、なんとなく「欲しいな」と手が出たのは高麗の青磁陽紋の鉢でした。青磁の発色がもっと良いものもあったのですが、あんまりきれいな発色が出ている物よりも、これでも青磁の仲間ですとちょっと遠慮しているような鉢を一つ求めました。城戸朱理さんによると、13世紀の物だそうですが、さて、ほんとに700年以上も人から人の手に渡ってきたものなのでしょうか。もし、そうだとしても、この器も私のスーツケースに詰め込まれて海を渡ることなど、器自身想像していなかったにちがいないとか、この器と同じ窯で生まれた青磁の器がもしかすると玄界灘の底に沈んでいるかもしれないとか、物を手にするといろんなことを考えるものです。

 李明博が竹島を訪問しました。竹島は、日韓の間に領有権を巡って決着のつかない紛争が続いている国境の島であり、現在は韓国が実効支配をしています。おやと思ったのは、この李明博大統領の竹島訪問に文学者の金周栄さんと李文烈さんが同行していたことです。新聞はお二人を小説家と紹介しています。韓国を代表する小説家であることは間違いないのですが、私はあえて文学者という言葉を使いたいと思います。
 金周栄さん、李文烈さんのどちらとも、私は面識があります。たぶん「お目にかかってお話をしたい」とお願いすれば、予定をとっていただくことはできるくらいの知り合いでもあります。だから、このお二人は日本にもいろいろと話ができる人との縁を持っているに違いないのです。

 外交官でもなく、武官でもなく、なぜ金周栄さんと李文烈さんだったのだろうと、不思議に思っていたところ、今朝の東亜日報日本語版が、今度の李明博大統領の竹島訪問は「従軍慰安婦問題への回答がない」日本政府への一種のプレッシャーだったと報じています。昨年12月に野田首相と会談した李明博大統領は「従軍慰安婦問題の解決を求めたにもかかわらず日本政府から何の回答もない」ことに圧力をかける意味で竹島に上陸を果たしたとのことでした。政府が何も言わなかったことが、今回の大統領の行動に繋がっているということになります。これで、長く日本との対話の努力をしてきた金周栄さんと李文烈さんが同行した意味が解ってきました。大統領が求めているのは「日本側の言葉」です。

 従軍慰安婦問題についての日本政府の謝罪と賠償を韓国が求めていると新聞は書きます。求めているのは「国による謝罪と賠償」で、これは慰安婦であった女性たちの「公(国)による名誉回復」を求めているのだということは、日本の新聞はあまり伝えていません。公(パブリック)とは何かという議論は1970年代以降、複雑な議論を重ねてきました。必ずしも、国が公で民間が公ではないということにはならないのですが、従軍慰安婦問題に関して言えば、韓国側は「国」がパブリックを代表すべきだという考えです。それから「名誉」。これが簡単なようで、かなり難しいのです。「名誉」について日本政府はどのくらい考えを持っているのか。たぶんあまり持ってはいないのではないかなと言うのが私の予想です。「名誉なんかどうでもいい」と風潮が70年代以降の日本の風潮で、国内的にはそれで、カジュアルで気楽な社会を築くことに成功しましたが、対外的には「名誉なんかどうでもいい」と言うことにはならないのです。名誉を回復させるのは何をどう語るかという言葉の問題にかかっています。ここに、1970年代からの女性の政治的地位の向上という状況が重なります。
 日本政府は日韓の賠償問題は1965年の日韓条約で解決済みという姿勢をとっています。女性の政治的地位が向上したのはそれ以降のことで、日本政府、日本の政治家は1970年代以降の政治意識の変化をどのような言葉で語るべきなのかと問われていると言っていいでしょう。

 韓国政府は日本政府を「健忘症」だとせめているようですが、70年代以降の意識の変化は、日本国内でもあまり意識的に整理されてはいないのです。「健忘症」以前に時代を意識する感覚がまだ生まれてないと言えないこともありません。そこが一番のネックなのではないでしょうか。

 700年も人から人の手に渡って来たらしい高麗の青磁をいじりながら、こんなことを考えることになるとは思いませんでした。水盤として花活けにすることを考えていたのですが、伏見人形の唐辛子鼠を載せてみると似合っていました。伏見人形は豊臣秀吉の文禄慶長の役の頃に流行りだした土人形だそうです。ソウルから帰ってきたら、韓国の文学者の金源祐さんからご連絡をいただきました。今、管理人の豆蔵君に金源祐さんのエッセイを「豆畑の友」にアップするコーナーを作ってもらう作業をしてもらっています。

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