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「従軍慰安婦」の名誉回復
2012年08月15日(水)
従軍慰安婦問題がクローズアップされたのは1991年頃でしたので、かれこれ20年前になります。従軍慰安婦であった女性の「名誉回復」がポイントだと私に話してくれたのは、元従軍慰安婦の共同生活の様子を撮影したドキュメンタリー映画「ナムヌの家」の監督ピョン・ヨンジュさんでした。その頃はまだ20代の女性だったピョン・ヨンジュさんも、考えてみるともう40代になろうとしているはずです。しばらくお会いしていませんが、お元気でしょうか。宝塚の女優さんみたいな風貌の人です。
私が興味を持ったのは、女性の社会的政治的地位が向上したあとに、成人したピョン・ヨンジュさんのような若い世代が、歴史の波の中で翻弄された老女の「名誉回復」を計ろうとしていることでした。過去を置き去りにして、自分の世代の自由を謳歌するという態度ではないことに興味を持ったのでした。従軍慰安婦については、沖縄の従軍慰安婦を取材した「赤瓦の家」を書いた川田文子さんにもお会いしてお話を伺ったことがあります。川田さんが過去を丁寧に辿っているのに対して、ピョン・ヨンジュさんは「現在」をテーマにしていました。
もしピョン・ヨンジュさんから従軍慰安婦の問題は「国による名誉回復」がポイントだと聞いていなければ、いろいろな場面でたいへん困惑を味わったはずです。と言うのも、この問題には「女性の社会的名誉」「ナショナリズム」「性」「歴史観」など感情を刺激しやすいテーマが複雑に、絡み合い、錯綜した経緯をたどっているからです。李明博大統領の「竹島訪問」から「天皇謝罪」発言までの経緯も、従軍慰安婦問題のポイントが「国による名誉回復」だと知らなければ、面喰ったはずです。
この20年間に従軍慰安婦問題は、さまざまな要素が付け加わってしまい、混乱した状態を生み出しています。が、最初の「国による名誉回復」というポイントは今回の李明博大統領の行動や発言を見る限り、まだ生きている問題だと感じました。この問題は1995年の村山内閣の時に「アジア女性基金」が設立される計画が出て、その後、幾多の変遷をへて実際に基金が設立されました。この時、この基金が「国」ではなく「民間」の団体とされたことが、反発を呼びました。設立から2007年の解散まで、それこそもみくちゃの議論や批判が日韓双方から出て、その議論にはとてもついては行けないものを感じました。「国」によるか、「国」によらないかというところが重要なポイントになっています。
「国による名誉回復」は私はピョン・ヨンジュ監督から直接聞いた言葉で、新聞報道では「謝罪と賠償」をいう表現が使われています。「謝罪と賠償」も間違いではなく、そういう要求がされていることも事実でしょう。そして日本側では「謝罪」のほうは軽く扱われる傾向があり「賠償」問題として捉えられることが多いのです。「名誉回復」は「謝罪」の要求のほうに含まれるのですが、これが「賠償」のほうに傾くことで、すれ違ってしまうのです。また日本の政治家も官僚もあまり「名誉」について語る言葉を持っていないために余計に事態が面倒なことになる場面も何度も見ました。
自分自身の権利を放棄するという意味で「名誉なんかどうでもいい」と言うことはできます。また同じ仲間の中で「名誉なんかどうでもいい」と言えば、それは仲間同士で権利を譲り合うことを意味する場面を生み出すでしょう。しかし、外に向かって、仲間以外の相手に向かって「名誉なんかどうでもいい」と言えば、これはもう喧嘩を吹きかけている状態であると言えるでしょう。「内向き」の言葉しか持っていないという状態が、従軍慰安婦問題では時折、火を噴くように現れます。
言葉にこだわるついでに、「従軍慰安婦」という言葉にもこだわっておきます。韓国では「従軍慰安婦」という言葉を使わず「挺身隊」という言葉を使っていました。この「挺身隊」は日本では女学生などが、軍需工場などに動員された時の名称です。この言葉のすれ違いを巡って滑稽な場面が展開されるのを私は何度か目撃しています。それがいつのまにか「性奴隷」という言葉が使われるようになりました。この「性奴隷」という言葉は、従軍慰安婦問題が国際化する過程の中で、英訳する時に使われ始めたのかもしれないと、私は推測しています。そして、この言葉の変遷は、この問題が歴史に翻弄された女性の「名誉回復」から、しだいに国際的な「道義問題」へと展開したことを物語っているように見えます。問題が異様なほど肥大化してしまった結果として「性奴隷」というような刺激的で、しかも空疎で、かつ、当事者双方にとって不愉快な表現が使われるようになっていましました。
「従軍慰安婦問題」が出るたびに、日本の右サイドからの発言も、左サイドからの発言も、私にはどちらも不愉快で憂鬱を生み出します。右はひどく口汚い罵りを投げつけてきます。左は「過去の名誉」については無頓着な表情を見せています。ひどい時には「かわいそうなおばあさん」という表現を使われます。「助けてあげたい」という場合もあります。右は「自己の名誉感情に拘泥し過ぎ」で左は「名誉感情は無視していい子のふりをする」と括っては括り過ぎでしょうか。
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