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ブラックアンアン
2012年07月03日(火)
北原みのり「毒婦 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」を読みました。この事件が発覚したばかりの頃、複数の男性を殺害したという被告の写真が公開され、美人というよりも、まるぽちゃ顔で、かわいいという類いの女性だったのが意外でした。ブスとはっきり言う人もいました。うちの娘が「すごい美人じゃなかったから、みんな、信用したのね」と言った時には、ああ、なるほどと納得したものです。 それ以上の興味を持つこともなく数か月が過ぎました。
ある日、明治大学時代のゼミの後輩と言う方からご連絡をいただきました。ゼミの後輩と言っても、社会人入学をされた方で、年次こそ後輩になりますが、年齢的には私と同世代です。で、木嶋佳苗事件が発覚するきっかけになった埼玉事件の被害者が、これまたゼミの後輩であることをその方からお知らせいただきました。私が卒業してからずっとあとの卒業生ですから、面識はありません。ただ、テレビや新聞の中の事件が、身近に迫ってきた感じはありました。「埼玉事件」の被害者が大学のゼミの後輩で、神田の人。車の中で遺体となって見つかったのは埼玉県富士見市。加害者として逮捕された女性は、板橋のマンションに住み、のちに池袋のマンションに転居していると概況を知れば、ほとんど私の生活圏の中で起きた事件でした。
それで北原みのり「毒婦」を読んでみたのです。この事件は本の表題にもあるとおり100日間の裁判員裁判であり、裁判員制度としてこれは一般の人から選ばれた裁判員の負担に耐えるかということが問題提起された裁判でもありました。状況証拠はあるのに、決定的証拠はないために、複数の事件を一括審理する形になったことが裁判員裁判であるにもかかわらず100日の長い審理になった理由のひとつです。被告は起訴された3件の殺人事件については無罪を主張。状況証拠だけで「死刑」判決が出たことについて、これもまた司法記者にとっては特筆する必要がある事件になりました。
捜査段階では複数の結婚詐欺を働き、詐欺の被害者を練炭自殺に見せかけて殺した女が「ブス」だったという点が強調され、マスコミを賑わせました。この点については、すごい美人だったら、それはそれで大騒ぎになっていただろうと思います。「ブス」という単語が飛び交うマスコミ報道でしたが、娘が言ったとおり「平凡な顔立ち」というところが、被害者にとっては安心を呼ぶところであったのだろうと私は考えてました。裁判の傍聴をした著者によると声に上品な魅力があり、仕草が美しいとありましたから、あるいは、お付き合いの相手としては「親しみやすく」同時に「憧れを誘う」「夢見心地にさせてくれる」女(ひと)であっただろうことは想像できます。 裁判の過程では、司法上の問題提起的な内容が含まれていたために、被害者の人物そのものよりも裁判制度、司法運用がクローズアップされました。
私のゼミの後輩だという方がお話になっていたのは「彼はなぜ殺されなければならなかったのだろう」ということです。裁判傍聴記を読めばある程度の推察はできるだろうと、読み始めたのですが、読めば読むほどわからなくなることが多くなるという経験をしました。北原みのりの観察眼はいきいきとしたもので「わからなさ」を正確に表現して行きます。わからなくなるのは著者の書き方がまずいという意味ではなく、対象の木嶋佳苗そものもが「不可解」な存在なのです。
予想したとおり女性誌に描かれているような生活を夢見るタイプ。しかも売春には後ろめたさを感じていないどころか独特の価値観を持っている。いや、売春という言葉さえ適当ではないくらいセックスに自信を持ち、特別な技能として捉えていること。そのあたりを読んでいると雑誌「アンアン」のパロディとして「ブラックアンアン」というのがあったら、こんな感じなんだろうなあと感嘆してしまいました。で、そのあたりから「なんで殺しちゃったんだろう?」と、殺人の動機がわからなくなったのです。男性を殺さなかくっても「恋の夢を見させる特別な存在」の女性として成功できたような気がしてきました。ただの夢見る夢子さんが、夢を見ることができなくなって追いつめられたということだろうという私の予想が裏切られました。
動機が解らないというのは著者の北原みのりも同様の指摘をしています。
とくに事件発覚の発端になった埼玉事件の被害者は知りあってからほんの数日で死体となって車の中から発見されています。私のゼミの後輩である人物です。検察側主張のように「借金の返済を迫れて」という動機が発生する暇もない早さです。立件された三件の事件の中でももっとも動機については不可解な事件です。
衝動的な殺人とか、理由なき殺人というものとも違うように感じられます。一件ごとに、なにかひどく納得の行く動機がありそうに思えるのです。少なくとも女性には「ああ、そうか」と思い当たるふしがありそうな何かがあるような気がしてなりません。ただ、被告は「無罪」を主張しているわけで、「殺人はなかった」のですから、被告の口から動機が語られるということはありえないことになります。
大きくて暗い洞(うろ)のようなものを木嶋佳苗に著者の北原みのりは感じています。たしかに心に「本物の空洞」を持った人間が今の世には存在しているのかもsれません。私のところのお話に来て下さったゼミの後輩にあたる方も、親しかったお友達が事件に巻き込まれたショックとともに、この「本物の空洞」に触れてしまった驚きをお話しになりたかったのかなと想像しました。
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