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ニュースが少なかった3つの理由
2005年01月05日(水)
メディア対応の鈍さ遅さには年末年始であったことのほかに3つの原因が考えられます。
1、プライバシーへの配慮 2、誤報への恐れ 3、経済、政治、外交の取材力の衰え
この三つは関連しているように思われます。ジャーナリズムとりわけテレビの報道番組がワイドショー化したと言われるようになったのはおおよそ20年前です。
きっかけになった事件は「ロサンジェルス疑惑の銃弾」事件と呼ばれる保険金詐欺事件でした。また、それより少し遅れて消費税の導入や、リクルート事件はニュースとワイドショーが結びつきやすい要素を持っていました。
95年の阪神大震災のときにはまだそれほど激しいメディア批判はありませんでした。が、あとになってヘリコプター取材の危険や騒音による救助活動の阻害などが問題とされました。そして、同じ年のオウム事件ではテレビや活字メディアで流された情報に激しい批判が浴びせられました。
メディア批判がさらには激しく火を吹くのは97年です。この時はテレビ朝日の政治部長「自民党を潰す」という発言が国会で問題になってのですが、私の感覚では、金融危機などの表面化で、それまでの言論のミス・リードが一般の視聴者や読者にもかなり理解されるようになったのではないかと思います。この年はタイのバーツの暴落をきっかけとしてアジアの金融危機が起きた年でもあります。
メディア批判の声が高くなると共に左翼批判の声も高くなりました。が、どこにどのようなミス・リードがあったのかという検証はあまりされませんでした。むしろ批判はプライバシーの保護や誤報への非難という理解されやすいところで広がって行きました。メディアスクラムというものが報道被害の代表のように言われ始めたのは2000年前後であったと思います。
こうした雰囲気の中でメディア、とくにテレビはプライバシーの保護や誤報には神経質に気を使うようになってきています。この気の使いかたはどちらかといえば「問題をおこさない」というかたちで、消極的な方向へ流れがちなのも事実です。モザイクを使用した画面が圧倒的に増えたことからもそれが伺えます。
プライバシーの保護と報道の自由はバランスをとることが難しいふたつの概念です。取材力は弱くなっていることは、こうした批判のためにテレビ局がスポイルされたためとは言えないと思います。報道番組がワイド・シショー化した過程で、進行したもうひとつの現象があります。(この項、明日に続く)
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