天神祭で見つけたもの。
2011年07月28日(木)
梅雨明けの頃から、夏を挟んで、秋まで、いったい日本中でどのくらいのお祭りがあるのでしょうか? ちょっと有名なものを思い浮かべただけでも、次から次へときりがなく浮かんできます。「内需拡大」なんて経済学の言葉を知らない昔の人は、神様と遊んで愉快に過ごして、友人知人が遠方から訪ねてきたり、贈り物をしたりして、いつのまにか暑い盛りが過ぎて行くと、そういうふうになっていたようです。「こんな暑い時に」 稲垣さんとの待ち合わせより少し早い時間に天満に出て、いつも覗く天満3丁目の古本屋さんの矢野書房に顔を出しました。すると「暑い時に」というご挨拶。ほんとに暑かったのですが、これは天神祭りの頃の決まり文句の挨拶でもあるようです。店主一人の古本屋さんですから、お祭りのときは役員に出てお店を閉めているかもしれないと思いつつも、覗いてみたのでした。 天1、天2、天3と続く天満の商店街は、聞くところによると日本一長い商店街だそうです。ずっとアーケードが繋がっています。アーケードの中にはシャッターを閉じたままのお店もちらほら。なんだか賑わいからは遠い感じがする天満の商店街です。個人経営のお店はどこも苦しいようです。お祭りで大勢の人が出て、子ども神輿や笠踊りなどが繰り出していますが、やっぱり、日頃の寂しさは残っていました。シャッターを下ろしたお店の前に「亀すくい」の露天がありました。金魚すくいはいたるところで見かけましたが、「亀すくい」はここだけ。男の子が器用に緑色の小さな亀を掬っていました。 矢野書房さんは「今年はお祭りの役員は勘弁してもらって店を開きました」とのこと。そんな四方山話をしているうちの、表では賑やかにお神輿を担ぐ声や、お囃子の音が聞こえてました。古本屋さん、喫茶店、レストランや食堂、それから八百屋さんに魚屋さんなど、個人経営のお店は、よそから来る人間には、その土地に知っている人を作るためのよいきっかけになってくれます。それでいろいろなことを教えてもらったりもします。しかし、コンビニやスーパーそれかチェーン店のコーヒーショップなどは、そういう気の合う知り合いができるということはあまりありません。どこに行っても同じサービスを受けられるけれども、いつまでたっても「どこかに知らない人」でしかないということが多いです。「あのお神輿が走るから、危なくって」「え、お神輿が走るのですか」 なんて言っているうちに、わぁと声が上がってお神輿がお店の前を走り抜けました。「ほんと。走っている」 唖然とする私に「だから、役員で出ているときは子どもに怪我をさせないように、気が気じゃありません」 アーケードの中を走るお神輿のあとを、小さな子どもがこれまた全速力で走って追いかけていました。 矢野書房で東京へ送ってもらう本を幾つか選んで、それからしばらく天満の商店街を歩きました。で、天満宮へ。天満宮の大門にはびっくりするほどの大きな茅(ちがや)の輪がありました。この大門はお神輿が出入りするために、一般の出入りは止められていたので、わきから天満宮へ入りました。お社の前には立派な鳳神輿と玉神輿、それに地車があり、それぞれの「講」の人たちが集まっていました。「講」というのは、それぞれの役割を負った氏子の集まりみたいだなあと、眺めていて、気付いたことがあります。それぞれの「講」でいろいろな品物を売っているのです。扇子とかストラップとか、グッズを売って、そのお金がお祭りの資金になると、そういう仕組みらしいのに気付きました。なんか大阪らしい方法だなあと、ミュージシャンのライブなどでは珍しくない方法ですが、お祭りだとひどく珍しい感じがしました。 幾つもある「講」の中に生きた牛を連れてきている「講」があります。天神様のお祭りだから牛が出てくるのは納得ですが、この牛がおとなしいこと。鼻面を人が撫ぜても、大きな目を見開いてじっとしています。「3歳の女の子の牛だからおとなしいよ」とおじさんが見物の人に話していました。 やじろべいの「豆蔵」を見つけました。「お迎え人形」という特大の人形が並んでいる中に、なぜか遠くを見ている「豆蔵」が。これは、さっそくここのHPの管理人の豆蔵君に見せなくっちゃと、お写真をぱちり。 八軒屋浜へ出てみると、お化け屋敷が。靖国神社のみたま祭りに出ていたお化け屋敷を外から眺めましたが、同じお化け屋敷か、違うお化け屋敷かどうかはわかりませんでした。でも呼び込みは、靖国神社とはまったく違ってました。「はい。おもしろいよ。笑えますよ。お話の種に見て行ってちょうだい。絶対に笑えます。笑えること保障します」 大阪では「笑い」はとても価値があるのだと、大阪女性文学会の尾川さんから聞いたがありましたが、お化け屋敷まで「笑い」が売り物とは。お化けも大阪ではコメディアンのようです。そう言えば天満宮のそばに評判の寄席の「繁盛亭」がありましたっけ。 飴細工屋さんが露天の店を出しているのは初めてみました。次から次へと注文だ殺到して、手を休める閑もない飴細工屋さんでした。 氏子の集まりの「講」は町内会と同じと、関東者の私などはそう思い込んでいるのですが、どうも天満宮の「講」は町内の集まりのほかに、料理人の集まりとか、市場で作っている「講」とか落語家の「講」など職業的な集団の「講」もあることに、あっちこっち見て歩いているうちに気がつきました。隣近所のお付き合いのほかに同業者の結びつきも強い商人の町の大阪の面目がそれぞれの「講」にあるようでした。
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