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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

コンコンチキ コンチキチン

2011年07月21日(木)

 「楽隊のうさぎ」で小倉の祇園祭りを取材した時、京都の祇園会の系統のお祭りですから、お囃子はみやびですよと教えてもらいました。小倉のお祭りといえば「無法松の一生」。歌謡曲で歌われた太鼓の乱れ打ちというのは作家の岩下俊作の創作なのだそうです。でも、そのイメージが定着しているので、お祭りのお囃子とは別に今は和太鼓のコンクールが開かれています。

 九州の小倉から潮待ちの赤間ヶ関と通って瀬戸内海へ、瀬戸内海を東に進んで、淀川を遡り、伏見へという海から川へのルートがあったことをお祭りのお囃子は伝えているようです。祇園祭りの鉾に、異国的な図柄が見られるのも、そうした海上と河川のルートがあったことと無関係ではないでしょう。川端康成の「古都」の冒頭にはキリシタン燈籠が出てきます。それから西洋的な図柄を帯の図にしようとするちょっと変わった問屋の主人。祇園祭りの宵宮で、離ればなれに育った双子の姉妹が出会うこの小説では、当初、古い都と西洋の出会いがモチーフになる予定があったのかもしれないと思わせる幾つかのデティールがあります。笛と鉦と太鼓で奏でられるお囃子にも、どこか、遠い昔に忍び込んだ西洋音楽の面影があるのかもしれません。



 淀屋橋から京阪電車で三条まで。三条大橋を渡り河原町通りにでると、ちょうど山鉾が御池通りを目指しているところでした。並んで進む山鉾を追いかけはしましたが、なにしろ人ごみが苦手。あとで聞いたら、河原町通りと御池通りの交差点でいしいしんじさんも山鉾の巡航を見物していたそうですから、人ごみを億劫がらずにいたら、出会えたかもしれず、ちょっと惜しいことをしました。なにしろ暑い日だったので、人ごみに突入する気力がありませんでした。



 それから八坂神社へ。四条大橋を渡っているときに見知らぬ御婦人から、小さいな保冷剤のパックを「うちから持ってきたものですから使ってください」と手渡されました。あとで、鏡をみたら鬼のような真っ赤な顔をしていました。熱中症寸前だったかもしれません。




 浅黄色の裃姿の人を八坂神社で見ました。きれいな色です。裃って、スーツに似ている感じがしますが、丸の内あたりで見かけるスーツよりもずっときれいな色をしています。お神輿は八坂神社を出発する寸前で、準備が始っていました。でも、いよいよ怪しくなっていたのです。気温と人手で、なんだか頭がくらくら、これはたまらんと、まずペットボトルのお茶を買い、それから「清浄歓喜団」を売っている亀屋清永に逃げ込ませてもらいました。このお菓子は古いお菓子で、お寺のお供物になるのだそうです。ごま油で揚げた硬い皮の中に、香料の入った餡子が詰まってます。



 それでも火照りは引かず、四条大橋のたもとから鴨川の岸におりてしばらく休みました。橋の向こうから、お神輿を担ぐ用意をした人がぽつぽつ集まってくる時刻でした。いやはや、人ごみは苦手です。

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