Tシャツ
2006年04月24日(月)
Tシャツっていつ頃から着ていたんだろう?高校生の時にはもう着ていたような気がする。だったら中学生の時も着ていたんじゃないかなとうる覚えの記憶を探ってみても、ぼんやりしている。中学生で着ていたのなら、小学生の時にも着ていただろうと思うと、なぜか、自分ではなくて、自分の子どもたちが着ていたTシャツが浮かんでくる。うちの子どもたちは0歳児からTシャツを愛用していました。赤ちゃんで頭が大きいから、肩にホックのついたTシャツでした。
いつのまにか当たり前のように生活の中に入ってきたTシャツですが、なんだか今でも納得の行く、これが好きというTシャツは一枚も見つけ出していません。そのせいか、Tシャツを選んでいる場面は幾つも覚えています。新宿駅で道行く人を見ていたら、突然「そうか!Tシャツは襟の開き方でやぼったくもなるし、しゃれた感じにもなるのか」と気付いて、そのまま高野に走りこんでTシャツを見比べたのは7月半ばの暑い日でした。20歳くらいの時。でも、その時はなぜかTシャツを買わずに、こげ茶色の水着を買ってしまいました。 今までで一番、気に入っていた水着。一度だけ海で着て、その後、あやまってコインランドリーの乾燥機に放りこんだために、ブラのカップ部分が凸凹になってしまった水着です。
Tシャツって幾ら出すのが妥当なのかも、何度も悩んでいます。10000円?ええっ!という感じで、考え込んでしまったのは24歳か25歳くらいの時。原宿のヨージ・ヤマモトのブッテクでした。1984年くらいかな。まだバブルは始まっていなかったけれども、いったい物の値段ってどうなっているんだろう?ってしきりに考え込むことが多くなった時期だったでした。田舎の高校生で、パルコのCMをテレビで見て「パルコって何?」と不思議に思っていたのですが、実際に東京に出てきて渋谷のパルコに入ってみるとますます「???」になって、ついでに原宿まで覗きに行くようになっていた頃です。Tシャツとは関係ないけど小林麻美のパルコのCMは綺麗だったなあ。
今でもTシャツはすごっく高いのを買おうか、それともすごく安いのを買おうか迷ってしまいます。値段の安いほうは下限がありますが、高いほうはいったいどうなっているんだってくらいに高いやつがあるなあと、時々、品物よりのプライスカードを見詰めてしまうことがあったりします。
ポロシャツ
2006年04月23日(日)
ラコステのポロシャツというのが流行っていた時期に自分の服を買う楽しみを覚えました。ブランド物の流行ってそのあたりから一般的になったのじゃないかと思います。それまでブランドっていうと福助の足袋とかグンゼのパンツとか、その程度しかしりませんでした。
ラコステのポロシャツって、色がたくさんあって、選べるというので、人気でした。夏だからふだんは着られないような色もきられるし。男性がなんだか誇らしげにゴルフウェアを着ていたのも、同じような頃か、それより少し前みたいか、でした。カジュアルウェアからブランド物が流行り出したのです。今、考えてみるとすごくちぐはぐな服装をしていたんだなあって思います。
ラルフローレンもラコステのポロシャツの延長みたいな感じで、ポロシャツなんかを買っていました。それからシャツ(Yシャツ)。スーツはカルバン・クラインがかっこよいと思ってましたが、新宿の伊勢丹まで行かなくちゃいけないのが、めんどくさくって、池袋西武でラルフローレンのスーツを買ってました。高級ブランドまで行かない、中級ブランドってとこでしょうか? 女性の職場用の服もA4サイズ以上の書類の入るカバンも探すのがたいへんでした。ほとんど売ってないという状態。ポロシャツってそういう品物が出てくるさきがけみたいに流行り出したような気がします。
銀座の街を行く人
2006年04月22日(土)
昼を挟んで午後にかけて、気温がぐんぐん上がると初夏のような暑さになるのですが、黒雲がもくもくと湧き上がって真っ白な雨が駆け抜けていったり、狂風が吹きぬけたり、ここのところのお天気が大荒れで、ついでに気まぐれです。で、銀座の石畳の歩道を歩く人の服装もさまざま。レインコートのかわりのスプリングコートを着ているひともいれば、革のジャケットの人もいるしキャミソール一枚で歩いているお嬢さんも見かけました。
厚手のウールのジャケットのとなりに、早くも麻の上着を着込んだ人もいるそういう銀座の街を半日ばかり歩き回っていました。今は昔のバブル経済が来たばかりのころはデパートに高級ブランドの売り場が出来て、洋服を鍵のかかるショーケースに並べているのを珍しく眺めました。が、ここ十数年で銀座の銀座通り、並木通りで目立つのは高級ブランドの路面店になりました。それから、ビルに間借りしているような店だったミキモトの小間物(いやあ、古い言葉だ。)を売る店が、改装工事を繰り返して大きくて立派な店舗になってしまいました。
久しぶりにラルフローレンに入ってみると、さらに高級品を扱う店に様変わりしていて、小柄であまり日本語の旨くない店員さんがいました。フィリピンの女優のルビー・モレノに似ている感じ。浅黒い肌のとてもきれいで、目が少しだけとび色でした。幾つかの品物を見せてみらいながら、この人、きっと英語だったら、とても滑らかに喋るんだろうなと想像していました。韓国の漢江の南になる江南の街も銀座みたいに高級ブランドばかりで、しかも、日本と同じようなブランドが並んでいますが、高級品ほどどこの国でも同じなって時代がやってくるのでしょうか?若い、いや、実は年齢がよく解らない女性(二十代後半から30代前半くらいか)が、ふたりの店員にかしずかれて、服を選んでました。ざっと見積もって50万円くらいのお買い物のようでした。
シャンペン
2006年04月20日(木)
サガンの小説を読んでいるとシャンパンを飲むシーンがたびたび登場します。サガン自身もシャンパンがすきだったようで、飲みすぎてアル中状態になったこともあれば、酔っ払い運転で交通事故をおこしたこともあるようです。 日本ではシャンパンてのは、まずいもんだと思っている人も大勢います。たぶん、それは結婚式で形式的に出されるシャンパンがものすごくまずいスパークリングワインだったころがあったのと関係しているのでしょう。結婚式のお料理が昔にくらべて、すばらしくおししくなっています。レストランでの披露宴というのも珍しくなくなりましたが、一時期、まずいものと言えば結婚式の見た目だけ豪華な食事というのが定説という時期がありました。シャンパンもその頃に「まずい」という濡れ衣を着せられたようです。
今度は7月撤退だって
2006年04月18日(火)
イラクに派遣されている自衛隊は7月撤退を模索しているというニュースがありました。昨日の共同通信が伝えています。こういうのって、たぶん政府内部だけでなんとかしようとしても、なかなかうまく行かないってとこがあるのではないでしょうか?世論の後押しとか、野党の追及とかそういうものが、力になるってところがあると思います。
こうも撤退時期が報道されるのに、なかなか実現しないということは、5月にできない撤退は、7月にもできないってことになりはしないだろうかと気がかりになります。少なくとも、こうした小さな報道を見る限り、撤退には3ヶ月くらいの日にちが必要だということがはっきりしてます。これまで、おおよそ3ヶ月おきに部隊の交代が行われてきましたから、次の部隊が出発するのは5月中旬とのことです。政府はイギリス、オーストラリアと共同で撤退しようという考えのようです。そうならざる終えないでしょう。だから放っておいて良いということにはならないのではないでしょうか?
はとが死んでいる
2006年04月17日(月)
豆蔵さんの日記を見ていたら鳩の死骸の話があった。それからMori君のブログにも鳩の死骸が。こちらは自動車教習所の車に引かれたらしいんだけど、鳩が車にひかれることじたいがヘン。ダッテトベルンダモン。
テレビのニュースで北海道では雀が大量に死んでいたというニュースがあって、都内でも鳩が死んでいると言っていた。ええとヘンなのは今年は鳩や雀だけではないのです。まず桜。卒業式の前に咲き出して、これは入学式までもたないと思ったのだけれども、持つどころか、まだ花が枝にぽつぽつとある。ゆっくり散って行くと言えば聞こえがいいが、なんだか保存料でも使ったみたいにもっています。
家の花壇に去年の秋に植えたムスカリが花盛りなのですが、水仙も同時に咲いているし、さつきも咲き出してしまって、順番がめちゃくちゃ。それだけ天候不順ということになるのかもしれません。昨日も今日も寒かったし、東北ではまだ雪が降っているところもあるそうだし、春が来たようなそうでないような、奇妙な陽気。 それにしても鳩はなぜ次々に死んでしまうのだろう?昔むかし、10年くらい前に、家の玄関の前に死んだ鳩が落ちているという椿事があったのを思い出す。鳩の死骸は裏の桜の木の下に埋めたのだけれども、その桜も若い葉の間にまだ花を幾らかつけてます。
はい(英語)
2006年04月16日(日)
伊藤比呂美です。遊びにきました。せっかくはじめたのに書くことがありません。詩かく気にならないし、気楽ーーーに書くなら植物のことしか書きたくないし。
こんなやりとりがあるとおもしろいと思うんですがね。以下参照。
中沢 寝てみたいのは何時代の人ですか? 回答例 平安時代の殿上人/元禄時代の裕福な町人など。で、その理由はなんですか?
伊藤 そりゃーー奈良時代の知識人。景戒から類推するに、なんかよさそうだから。 鎌倉時代の坊さん。意識してセックスしてそうだから。 戦国時代の人。血を知ってるだろうから。江戸時代の遊びなれたさむらいの妾腹の次男坊。誠実そうだから。 中沢さんは?
中沢 やあ、伊藤さんこんにちは。で、話の続きですがねええとね、私は平安時代の五位くらいのこれから出世しようと思っている若い貴族の坊や。教育のしがいがありそう。すごくまじめに女性との交際を勉強すると思う。宮中でいじめられないために。
伊藤 でも平安時代の男ってなんかペニスがふにゃにゃけていそう。 そんな小説が太宰にあったな。
中沢 室町末期の殿上人。あのねえ、退屈しているくせにいらない教養をたくさんもっていそうだから。若干、退廃しているけど、気位は高いそう。
伊藤 顔が思いうかばないわね。 津島さんのナラ・レポートに出てきたような人かな。
中沢 津島さんのナラ・レポートとちょっと違うなあ。それより秀吉が猿って呼ばれていら頃のお公家さんね。近世だったら、そうねえ、やっぱ回答例に書いたみたいに金持ちの商人 かな。理由は不誠実だけど外聞の悪いことは絶対しないから。
伊藤 てろれんっとした態度でいらつきそう。魚やの勝つぁんなんかならいいな。イキがよくって。さばさばしていて。 こないだ見た映画、なんといったか、幕末太陽伝、そのフランキー堺の役の男 ならやってもいいわん。
中沢 だって伊藤さんがごついのばかり並べるから、てろてろしたのを選びたくなっちゃった。ま、お茶でもどうぞ。
イラクの自衛隊は
2006年04月16日(日)
イラクの自衛隊はどうしちゃっているのでしょう。3月に撤退準備を開始して、5月には完全撤退なんてニュースも流れていましたが、どうもそうは行かないみたいです。で、どうなっちゃっているんだろう?
新聞は民主党の小澤さんのニュースばかり。しかも選挙にかつ戦術の話ばかり。で、誰がイラクの自衛隊はどうなっているんだって追及するんでしょうか?こういうのは野党の役割でしょうに。
最初は1年という期限だったのですよ。それを延長して。次には3月撤退準備説が新聞に小さく書かれて。でも、大方の人は自衛隊がイラクに派遣されていることさえ忘れてます。戦争は出かけて行くよりも帰ってくるほうが難しいのは昔も今も変わりがありません。
それにしてもどうなっているんでしょう。イラクが民主化されてめでたしめでたしなんてことはありえないのですから、真面目に撤退の時期を考えるべきです。ずるずるといつまでもイラクに自衛隊を派遣しておくべきではありません。
祝 伊藤製作所豆畑支所開設
2006年04月15日(土)
伊藤比呂美さんのページができました。朗読会がご縁で伊藤さんのページを作ろうということになりました。
伊藤さんは現在、カルフォルニアにお住まいです。なんの話を書こうかな?植物の話かな、食べ物の話かな。と迷っていました。これからおもしろいお話を書いてくださると思います。
それにお互いのコラムに入れるように、パスワードも知ってます。さっそく伊藤さんの部屋に遊びに行ってきました。伊藤さんもこちらにお越しになるといいなあと思ってます。伊藤さん、待ってます!
伊藤比呂美さんは「群像」に長編詩を連載中です。
きょうは焼き鳥
2006年04月14日(金)
この間、司修さんに連れて行ってもらった神楽坂の小料理屋さんでねぎをおいしく焼いてもらったのですが、その連想で今日は焼き鳥。いや、昨日、たけのこと一緒に煮た鳥が冷蔵庫に残っていたのです。
このごろ、家には誰もいないという日は珍しくないので鳥を焼いて一杯飲もうと思っていたら、なぜか息子も娘も帰ってきました。で、しょうがないからレバーも焼いて、ついでに牛肉とアスパラとしいたけも焼きました。春のしいたけもなかなかおいしいです。
子どもの時は焼きしいたけって嫌いだったのに。はしかの時になぜか焼きしいたけが出てきて、泣いちゃいそうになりました。横浜に住んでいたんですが、房総に旅行した親があまりのしいたけの立派さに感激し、さらにその値段の安さに驚いて買ってきたしいたけでした。煮るのがもったいないって理由で焼きしいたけになったのですが「うぇ」という感じでした。子どもの味覚って野菜系の味の濃さは受け付けないのですね。
そういえばお弁当の昆布巻きはいつもお湯で洗って味を薄めて食べてました。今日も東京は夕方から雨になりました。春の雨でしいたけが育つのですが、南房総では浸水騒ぎがあったほどの豪雨が降ったというニュースを聞いたのは昨日のことです。まるで夏みたいな豪雨だったようです。いったいどうなっちゃっているんでしょうか?
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