おじゃまします!
2006年05月06日(土)
行方不明になっていたアダプタを見つけました。よく見て下さい。鼻がちゃんとアダプタになっているでしょ。で、このアダプタにそっくりな私の写真(非公開)が家に一枚あるのです。雪の中でベージュのコートを着ているやつ。で、このアダプタはいったい何の景品だったか忘れちゃったのですが、家じゅうで「あまりに似ている!似すぎている!」というので、すっかりマスコットになっていたのですが、ある時、子どもたちが「似ている」を連発するのに頭にきてから行方不明になっていました。
自分で言うのはいいんですけどね。ううん、お腹のあたりとか、ぼんやりした立ち方とか、ぴょっと延びた短い足とか。ま、似てます。でも他人(たとえ子どもでも)が言うと、これが腹が立つんだなあって。
で、机の引き出しからころっと出てきました。「おじゃまします」って感じで出て来たのです。
田んぼの夕景
2006年05月05日(金)
日がかげりはじめていたので、どうかなと思ったら案の定、暗い写真になってしまいましたが、下布施の土地の前は農地整理をされた田んぼが遠い山すそまで広がっています。
このあたりは釈迦谷とか布施とか抹香臭い地名の土地がたくさんあります。東国に仏教が広まった中世に開けてきた土地だと推測しています。近くには閻魔様を祭ったお寺もありますし、立派な鳥居と森のある神社もあります。夷隅鉄道と言って大多喜のほうにことこと走って行く一両だけの電車もあるし、造り酒屋もあります。
敷地の裏の崖の向こうに集落があって、さらにその向こうに大原港がある海があります。太東の海岸植物群生地もそう遠くはありません。
鹿の通り道
2006年05月04日(木)
大原の下布施の土地に行ってきました。小さな家を建てようと建築家の鈴木隆之氏に図面を引いてもらっています。今日は鈴木さんの事務所で働いている人や京都精華大学の学生さんも一緒に土地を改めて測量してみました。東南に向いた敷地で、裏には小さな崖があります。
崖と言っても高さは80センチくらい。小山の尾根が降りてきた最後のところの崖です。その崖の延長のある山に咲いていた藤です。野生の藤なので、花房は小さいのですが、写真を撮ろうとしたら、ふぁっと風が吹いてきてさらさらと花が揺れました。すぐそばにはドウダンツツジも朱色の花を咲かせていました。崖の上がいかにも房総らしい花の豊富な雑木林になっているのです。
で、その崖に細い獣道が通っています。なんでも、鹿の通り道なのだそうです。鹿とか猪が増えていると聞いていましたが、こんな人里に鹿のとおり道があるとは思いませんでした。鈴木さんはその獣道をなくしてしまわないような図面を引くと言っていました。果たして人が出入りしても、鹿が今まで通りに同じ道を通るかどうか解りませんが、時々、鹿が出る庭というのもおもしろいなあとちょっと期待。でも夜な夜な、猪がどどっとと通り過ぎるというのは勘弁してもらいたいなあ。
海の春
2006年05月03日(水)
九十九里浜の侵食を防ぐための堤防にアオサがたくさんついていました。きれいな緑色です。ただこの堤防はかなり九十九里浜の景観を壊していることも事実です。はたしてちゃんと侵食を防いでいるのでしょうか?かえって砂浜が削りとられるようになったという話も地元の人から聞いています。
堤防が出来てからは、地引網を引くこともできなくなってしまったということでした。堤防周辺ではサーファーが波乗りをしていますが、サーファーにとっても危険な存在になっているようです。
黒いウェットスーツをきて、波を求めて、腹ばいで沖へ出て行くサーファーはなんだかペンギンみたいに見えました。波の乗っている時間はほんの少しで、しんぼう強く波を待っているのが長いのですね。
藤の香り
2006年05月02日(火)
水中掃除機が働いていたプールのそばの藤棚に咲いていた藤の花房です。甘い香りが漂っていました。百合の香りに似ていますが、あれほど妖艶ではなくて、もっと上品な香りです。ほんの一瞬香って、すぐに匂いはしなくなりました。
東関東自動車道の側壁にもたくさん藤の花が咲いているところがありました。去年、叔母たちと、母の墓参に行った時に藤が香っていたのを思い出しました。
あ、それから源氏物語の藤壷のことも。藤壷宮は、文字通り、藤が植えてある壷(庭)にお部屋があって、向かい側は弘徴殿だから、弘徴殿女御は今頃の季節は毎朝、戸を開けるたびに藤の香りを嗅いで、それこそ嫉妬で「かっ」となっていたに違いないのです。「源氏物語」って読み進めて行くうちに、なんだか弘徴殿女御もたいへんだなあって思うようになるところがおもしろいなあって思います。
去年、この「豆の葉」に写真を掲載したエゴの木は、冬の間に伐採されてしまったので、今年は今頃はここにエゴの木の白い花が咲いてたいんだなあと思い出すだけになってしまいました。
水中掃除機
2006年05月01日(月)
もうすぐ夏と言いたくなるような暑い日でした。昨日、九十九里浜の上総一宮のホテルのプールでみつけた水中掃除機です。こんなものがあるなんて知りませんでした。
この時期のプールはなんとなく「池のふりをしようか、それとも泳ぎに来てよと誘おうか」と迷っているような青い水をたたえています。で、ふっと水の中を覗くと写真の機械が、音もなく静かにプールの水の底を移動しているのでした。プールの端から端まで滑らかに移動すると、また向こう岸まで滑って行きます。どうやれプールの底にたまった泥やゴミを吸い取っているみたいです。あんり静かに動いているものですから、なんだか仕事をしながら物思いにふけってでもいるように見えました。機械でも長い間、水底で仕事をすると、物思いにふける癖がつくのかもしれません。賑やかに唸りながらゴミを吸い取る家の掃除機よりも賢そうでした。
鳩の羽根
2006年04月30日(日)
光が丘公園で鳩の羽根を見つけました。というよりも胴体がすっかりなくなって翼だけになった鳩の死体。翼の付け根はなまなましい赤い血が滴っていました。それが緑色の草とコントラストをなしていて、あたりには羽毛がたくさん飛び散っていました。どうも、鳩の死骸をカラスがついばんだあとのようでした。
その少し前に森の中で、けわしい声でカラスが争っているのも見かけました。何か食べ物を巡る争いのようで、あるいはそこにも鳩の死骸があったのかもしれません。あっちこっちで鳩が死んでいるというニュースを聞きましたし、このHPの管理人の豆蔵さんも鳩の死骸を見つけたようです。
鳩も生き物ですから、死んでしまうのも珍しくはないのでしょうけれども、人が大勢歩く道のそばに落ちているなんてことはついぞなかったことです。草の上にちった鳩の灰色の羽根は、まだ温かいのではないかと思うくらい、鮮やかな色をしていました。鳩があっちこっちで死んでいるというニュースはほんとうのことらしいのですが、原因はわからないままです。 地震なんか来なければいいのですが、ちょっと薄気味悪い感じがしています。ま、地震と鳩の死骸はそう簡単には結びつかないのは、理屈ではわかっていても、妙にそんなことを考えてしまいます。
桜前線を
2006年04月29日(土)
飛行機で青森に飛んで、列車で太平洋沿岸を南下してきました。青森空港周辺にはまだ雪の塊が残っていました。雪の溶けた斜面には黄緑色のふきのとうがたくさん芽を出してしました。
弘前のりんご畑はまだ冬。りんごの木はようやく雪から開放されたところで、新芽を吹くのが今年は少し遅いようです。連休中におおぜいのひとでが予想される弘前城の桜は濃いピンク色の蕾でした。もうひとおしで開花しそうな感じ。ちょっと暖かくなればたちまち満開でしょう。
八甲田山の東側の八戸あたりになると、幾らか新芽が芽吹いた木もありましたが、春らしい気配が出てくるのは盛岡を過ぎたあたりからでした。このあたりで、寝てしまったので、花盛りの桜があちらこちらに点在している様子は見逃してしまい、同行者から聞いただけです。
仙台でももう桜が散り始めていました。松島の瑞巌寺では本堂前の臥龍梅が紅梅、白梅とも満開でした。山門を入ったとたんに甘い梅の香りがあたりに漂っていました。天然記念物の塩釜桜がある塩釜神社に足を伸ばしました。塩釜桜は小型の八重桜ですが、これはまだ蕾。染井吉野の古木や、社殿前の枝垂れ桜や、濃い緋色の緋寒桜などは満開からやや散っているところでした。 桜の名所で大勢の人が来るというよりも、近所の人がもう桜が咲いた頃だろうと、散歩がてらに立ち寄ったり、勤めに帰りにちょっと大回りをして神社の境内を横切ったりする人の姿が目立ちました。北国の人は花が咲くのがほんとうにうれしそうです。 もちろん、青いビニールシートを敷いたお花見の家族連れの姿もありました。
仙台より南はもう桜の季節も過ぎて、新緑の季節へ移って行くところです。
なんかヘン!
2006年04月27日(木)
耐震誤事件に絡んだ人々が逮捕されました。なんかヘン。自動車教習所で民事、刑事、行政の責任は別個に問われるって習わなかったかしら?で、この事件の場合は民事上の責任と行政上の責任はあきらかにあるとして、刑事の責任は刑法の規定が曖昧なので、なんだかむりやりに別件逮捕して、詐欺罪にしちゃおうって感じです。これってなにかヘン。刑事事件にして行政上の責任をうやむやにしてしまうのでしょうか?どうもこの逮捕ってすっきりしません。
で、ホリエモンは容疑否認のまま、保釈請求が認められました。こっちもこれまで報道されているところで見る限り、裁判はおおもめになりそうな気配がします。これも刑事責任の規定が曖昧で不明確な事件で、仮に有罪だったとしても、果たして上場取り消しになるような事件なのかどうか?かなり疑問を残したままです。
なんかヘンついでに、バクダットをアメリカのラムズフェルド国防長官とライス国務長官が電撃訪問しています。メディアに姿をとらせているところをみるとデモンストレーション的な要素が大きいようですが、これもなんかヘン。アメリカもイラクから逃げ出したがっているのでしょうか?手を引くための儀式なのかしら?で、日本の自衛隊はアメリカが手を引くまで付き合わされるはめになるのでしょうか?なんかヘン。
キャミソール
2006年04月26日(水)
今年はなんだかいつまでも寒くって、キャミソールなんて感じではないというか、うっかり薄着で出歩くとか風邪を引きそうです。キャミソールとタンクトップってどうちがうんだろう?と時々考えるのですが、どうも肩日紐の違いみたいな気がします。服飾事典を調べたわけではありませんが。キャミソールは肩が紐のように細いもの、タンクトップはランニング型のもの。そんんふうに使い分けてはいますが、よく思い出すと例外もたくさんあります。
最近のファッション雑誌を眺めていると、今年の夏の流行は、1950年代から90年代までの総集編みたいな感じです。というよりも、もう「流行」ってのは古い概念になったんじゃないかと思いたくなるくらい、あらゆるスタイルが出回っているみたいな印象を受けます。こらからは、みんながミニスカートとかみんながキャミソールなんてことは起きないのでしょう。
私はみんながミニスカート時代に小学生で、ホットパンツなんてのも流行りましたが、みんながタンクトップという時代に大学生になりました。1978年の夏はすごかったなあ。だってものすごく暑くって、それでみんなが(中高年以上は除く)タンクトップだったのですから。タンクトップの大流行。フェミニンなキャミソールはもう少しあとの流行です。流行が多くの人の関心を集めていた時には親のいいつけを守って「流行を追いかけるのは恥だ」って思っていたのですが、このごろは自分の育った時代のセンスに染まって「流行を追いかけるのは楽しい」になってます。でも、それってひと時代前のセンスで(あくまで自分の育った時代)今でもファッションは、はっきり言うと所得格差の表現みたいになりつつあるなあと街を眺めています。そう言ってはみもふたもないのですが、もともと服飾というのはそういう物だったのですから、本来に戻ったのでしょう。
で、キャミソールなんだけど、これはちょっと高いのが欲しい。高価な品物って、威圧的なところがあって、キャミソールっだと、その威圧的な感じが、まあ、着ている本人を安心させてくれるのです。Tシャツみたいに高いのを買おうか安いのを買おうか迷うことがないです。
↑前のページ / ↓次のページ
|