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びっくりちゃんぽん
2006年12月11日(月)
来年、静岡新聞、熊本日日新聞などに連載するのは、秀吉の朝鮮の役の時に平壌郊外で小西行長に拾われた朝鮮貴族の娘ジュリアおたあの物語です。今回は小西行長は熊本の宇土の領主であったところから、宇土を中心に取材してきました。ところが宇土では小西行長は大悪人ということになっていたのには、驚きました。本を読むだけでは解らないこともたくさんあるのですね。なぜ小西行長が大悪人なのかはおいおいに書きます。一般には朝鮮の役を無事に終結させようとした外交官的武将、あるいは商人上がりの切支丹大名というのが小西行長のイメージです。
で、小西行長が大きなミサを上げたお寺があったという大矢野まで足を伸ばしました。そこでいただいたのがちゃんぽん。湊の岸にある小さな食堂で、大盛りのちゃんぽんが有名だそうです。 お店はそれこそ台風が来たら海の波を浴びてしまいそうな湊の岸にあって、外側は新しく作り直されていますが、中にはいると半分は土間、半分は神棚のある座敷という典型的な海辺の家の構造になっていました。 ちゃんぽんはわっといいたくなるくらいの山盛り。お野菜と殻のついたままの小エビが勢いよく油で炒めてありました。麺は、やや太め。ラーメンほど細くはなく、うどんほど太くはないという感じで、やさしい弾力があり、適度にスープを吸っています。東京ではなかなかこの麺が手に入らないとのことでした。殻付きの小エビはワイルドな感じですが、エビの殻と身の間においしいスープが入っていて、噛むとじわりと染み出すところがなかなかでした。このちゃんぽんの味に一端は小エビが殻付きであるところから出ているのでしょう。野菜と小エビの具の山から麺を掘り出すのに一苦労するほどの山盛りでした。ちゃんぽんというと、あんかけのイメージがありましたが、ここのお店では素朴な油炒めの具でした。見た時は驚きましたがお野菜たっぷりでさらりと食べられました。
で、ちゃんぽんを食べながら聞いたのが捨て子の話でした。今でも時々、捨て子があるのだそうです。で、昔の捨て子はちゃんと産着を着せて、名前などを書いた紙が添えられていることが多かったのに、今では丸裸とか大人用のジャージなどに包んであることもあるということで、「どうしちゃったんだろう?」と首を傾げてしまいました。
熊本 大収穫
2006年12月08日(金)
5日 朝焼けの羽田を発って朝一番の飛行機で熊本に行ってきました。来年、新聞連載をするための取材でしたが、思いがけない大収穫でした。熊本の伊藤比呂美さん、どうもありがとう!
熊本の大収穫の報告はおいおいにするとして、ちょっとびっくりな話。白い雪をかぶった日本アルプスをかるがると飛び越えて、熊本空港に着くと早速、呼び出しがかかっていました。「ははん、伊藤さんだな」と総合案内カウンターに行くと「渋滞のために空港到着が遅れる」という伝言でした。
で、伊藤さんは渋滞で遅れそうだと、熊本近代文学館の馬場さんに連絡をとったところ「その渋滞の原因は僕が巻き込まれた事故です」という返事にびっくりしたそうです。なんでも、馬場さんの車の三台手前の車に大型トラックが突っ込むという追突事故で、馬場さんの車は先頭で、後ろからごつんとやられたとのことでした。間の二台はめちゃくちゃに潰れたそうでが、幸い、大怪我をした人はいなかったとのこと。
追突された馬場さんの車も走行には支障がなく、空港まで来ていただきました。なにより怪我がなかったのはほんとうに幸いでした。そういうわけで、空港到着早々かなり驚いた熊本取材でした。
これから熊本に
2006年12月04日(月)
行ってきます。伊藤さん、まっててね。からし蓮根たべたいよ!馬刺しもおいしいし、それから、山形の人からもらった「おふらんす」じゃなくて、「ラ・フランス」持って行きます。いっしょに食べましょう。
秋山会
2006年12月02日(土)
伊藤さんはもう東京にいらっしゃっているのでしょうか?30日の六本木の朗読会には出ているはずだからきっと東京に来ていることと思います。だって今日もか風花の朗読会だもの。で、私は年末恒例の秋山会幹事だってことを忘れてました。今日は秋山会。そういうわけで伊藤さん、風花には行けません。ごめんなさい。来週、熊本でお会いしましょう。ちゃんと朝一番の飛行機に乗ります。
秋山会のことは、まえに熱海で見た冬の花火の話題でここに書いたことがあると思います。一年に一度、文芸評論家の秋山駿さんを囲む会をやっています。だいたい今頃で、秋山会が終わると師走に突入という感じです。秋山会だから晩秋の最後ってわけでもないのですけれどもね。で、今年は練馬のお蕎麦屋さんで、日の高いうちから一杯楽しもうという趣向です。ではいってきます。
大急ぎの秋
2006年12月01日(金)
皇居の周りをタクシーで走ったら、今が紅葉の盛りでした。大急ぎの秋です。ほんの2週間前までは、紅葉の気配さえなかったプラタナスの木とか欅とかが、もう赤く黄色く染まって散り始めています。
雨がふると、散った木の葉がアスファルトや石畳に張り付いて湿った音を立てます。ここのところ、夕方になって急に雨が降り出すというようなことが続いて、かさをお借りしたのですが、それを置き忘れるなんてことが二度も起きたので、ちょっとぼけてるかなあって反省しています。反省だけなら猿でもできるなんてCMが昔ありました。
猿といえば、うちの娘は「チンパンニュース」を見ないと寝ないというへんてこな習慣ができたみたいです。 深夜番組で動物のための動物による動物のニュースだそうです。何の話でしたか?そうそう今年の秋は大急ぎだという話でした。というわけでもう12月になってしまいました。
不倶戴天の敵
2006年11月26日(日)
睦み合って、この世の外に抜け出られるような恋人とめぐり合う。これはもう望外の事と、そういう予感のする恋に迷い込んだところがどこでどう掛け違えたのか、すれ違ったのか、もつれにもつれて、この世にあるうちはすっきりすることがないという筋書きを考えてみました。ともに天を抱かず、つまり不倶戴天の敵になるというやつです。同じこの世の外に抜け出さなくちゃどうしょうもないにしても、正反対のベクトルというシニカルな結果になると物語ってどうかなあ?
ま、そんなことになったら、読むほうもかなりシニカルになっちゃうでしょうけど。ああ、コートが欲しいという物欲に駆られた結果として、ずいぶんシニカルな物語を考えちゃったもんだ。
物欲に駆られる
2006年11月23日(木)
ああ、コートが欲しいよ!なんて言ったら今年はもう一着作ったじゃないって言われそう。
はい。確かにつくりました。出来上がって日にすぐに横浜の会合に着て出かけたら「これからオペラを始めるのですか?」って言われちゃいました。緑とグレーの織柄で、薔薇の模様だから。娘は「なに、その派手なの」って言ってました。確かにボタンにライトストーンが入っているから派手って言えば派手です「いいよ、いいよ森の妖精か、緑のおばさんみたいで、素敵ですよ」って息子が言っていました。お前、それってぜんぜん褒めてないって(ぷんぷん)とくに「緑のおばさん」ってところが。横断歩道で旗を振ってやろうかしら。裏地はブルーにして、内ポケット(いわゆる隠しってやつ)をつけて「EMIKO」のネームも入れちゃいました。「えっ、本名でネーム入れたんですか」とゼミ生のM君。悪いか、本名でネーム入れて。でも、このコートって合着なので、文学フリマがあった日曜日(12日)から急に冷え込んでもう着られなくなっちゃったんです。来年の春までお預け。
で、見つけちゃいました。革のなめしがものすごくいいコート。細身のトレンチ。でもちゃんと私でも入るサイズ(これがそんじょそこらでは見つからないの)店員さんも「軽くて着心地が良くて、しかもお安いですよ」って、私もそう思います。ただ「お安いですよ」という比較対照がエルメスなのが泣き所。そりゃ、エルメスに比べればお安いです。舞い降りてた物欲大魔王と戦いながら、公孫樹の紅葉が見事な光が丘公園を散歩してきました。え、コートなしで散歩していたのかって?もちろんコートは着てました。ベージュ色のPコートを。
そういうわけで、今夜の東京はちょっと寒くて寂しい雨が降っています。カルフォルニアの伊藤さん、もうすぐ東京のお越しとのことですが、暖かくしてやって来てください。そうだ、とてもごついところが伊藤さんによく似合う裏革(バッグスキン)のコート着てましたね。あれがもう必要になってます。あのカウボーイが着ているようなコート。
休日の電車
2006年11月19日(日)
先週は日曜日に、今週は土曜日に午前中の電車に乗りました。平日の午前中とちがって圧倒的に遊びに出かける人の多いのんびりした電車です。で、日曜日の電車がずいぶん華やかになったなあと思いました。おしゃれをしている人が多いのは当然と思われるかもしれませんが、一昔前は、普段着は「安い服でいいや」という感じで、なんとなく張り合いのないものを着ている大人の間に着飾った子どもが混じっているという感じでした。
小さな子どもを抱っこしたお父さんが増えたのも最近の日曜日の電車の眺めの新しいところです。こういうことって、ある日、「あれ!」という感じで気が付くのですが、ではいつからかな?と思い返してみても、なかなかいつからなのかわかりません。そうして、赤ちゃんを抱っこしたり、小さいお嬢さんに擦り寄られたしている若いお父さんの身なりがとてもよくなっています。それぞれによく似合うものを着ていて、なかなか感じがいいです。平日だと、来ているスーツの印象から、この人は商社か、金融関係かなとか、きっとメーカーの営業さんだな、あるいは、建設会社みたいなどと、見当がつくのですが、日曜日はそれぞれの職業はあまり見当がつきません。それより、何か家庭の個性みたいなものがその服装に表れているような気がします。
先週の日曜日は秋葉原で開催された文学フリマのために、今週の土曜日はつくばエクスプレスに乗るために秋葉原にでました。こんなに毎週、秋葉原にでるようになるなんて思っても見ないことでした。
伊勢丹
2006年11月16日(木)
伊勢丹で最初にカルバン・クラインの麻のスーツを買ったのはまだ大学生の時で、これは今考えるといささか老けた感じの買い物でした。もっともその頃は、老けた感じというと地味と同義語で、20代後半から30代の女性の服といえば、家庭の主婦向きという感じでしたから、麻のスーツなんて珍しかったのです。で、今、これを書いていて、カルバン・クラインのコートって買ったことないなあと気付きました。
なぜか突然、赤が着たい!という気になったのは、母が亡くなる前の年の11月でした。もっとも、その頃、母は寝たきりの状態で、病院に入院していました。今で言えば介護状態ですが、その時分は介護なんていう言葉もありませんでした。で、介護状態はこれからどくくらい続くのかまったく解らなかったのです。5年かもしれません。10年かもしれません。実際は翌年のお正月過ぎに容態が急変して亡くなったのですが、伊勢丹で赤いセーターを買ったときはもちろん、そんな運命になっているなんて知りませんでした。
カルバン・クラインの赤いセーターは肩の部分が水平に開いているという変わった形でした。病院にいた母をお正月に館山の家に連れ帰りました。片道5時間くらいの道のりを寝台付きの自動車で帰ったのです。久しぶりの館山の家でした。母が使っていた部屋からは洗面所が見えるのですが、その洗面所で赤いセーターを試しに着て鏡に姿を映していると、蒲団の中から 「それ、よく似合うね」 と言ってくれました。その時の声は左半身が麻痺して、発音も不明瞭になった人の声とは思えないほど鮮明でした。お正月を館山の家で過ごして、病院に戻って一週間ほどで、突然、容態が急変したのです。病院から「すぐに来て下さい」という電話をもらったのは、息子の3歳の誕生日を祝うケーキの蝋燭を吹き消している時でした。
木枯らしの歌を思い出したくて……
2006年11月14日(火)
なんか木枯らしの歌があったなあと、考えているのですが、思い出せそうでなかなか思い出せません。
コートの話の続きです。こんな木枯らしが吹き始める季節に新宿のサブナードで臙脂色のコートを一着買いました。気まぐれだったので、後からサンローランのものだと知りました。というか、会計の時にあんまり高いのでぎょっとしたのです。でも、ものすごく気に入っていたので、やや(値段には)諦めの心境で買ってしまいました。臙脂色で、やはり腕のしたあたりの線で切り替えが入っていました。切り替えのしたにはたっぷりのタックがとってありました。背中のタックのとりかたが美しいのと、臙脂色の生地が玉虫で、光の具合で黒く見えたり赤が勝って濃い赤に見えたりしました。袖の肩のところにもいくらかピンタックととってありました。ピンタックでぎろがった袖が袖口のカフスできゅっと締められるという形でした。丈は膝丈。
このコートで感心したのは、袖を通さずに肩にかけているときの広がり方の美しさでした。外国映画を見ていると肩にコートをかけているシーンをみかけますが、なるほど、肩にコートをかけるためにはそれなりの設計がいるのだと納得したものでした。高校生の時から着ていた紺色のハーフコートをお別れをしたのはこの頃だったかもしれません。臙脂色のコートを気まぐれに買った翌年には上の息子が生まれましたから、もう25年も前の話です。
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