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閻魔様もびっくり
2007年01月03日(水)
お正月でふだん会えない人をお酒を飲みました。スイミングプールに行っているそうです。で、スイミングプールでは高齢の人がかなり達者な泳ぎをしているようで、三途の川をバタフライで渡るとか、いや背泳ぎで渡ったほうがいいなんて話をしているそうです。
みんな、三途の川をみごと水泳で渡るようになったら、川の渡し守は渡し賃6文をもらえなくなっちゃうじゃないって大笑いでした。閻魔様も見物に出てくるかもしれませんね。お正月からいったい何を話しているんだか。やれやれ。能天気だ。
謹賀新年
2007年01月02日(火)
今年もどうぞよろしくお願いします。
伊藤比呂美さん お正月はカリフォルニアで御過ごしでしょうか? その後、お礼もしませんで失礼しました。今年は何度も熊本へでかけることになると思います。どうぞよろしくお願いします。
豆蔵さん 今年はもうちょっとメールマガジンを出せるようにしましょう。豆ちゃん、頼みます!
スタッフ・ルームへお集まりの皆さん ことしもどうぞよろしく。スタッフ・ルームへのパスはお問い合わせフォームからメールを下さい。豆ちゃんからお返事が行きます。
大原 月光洞 今年こそ完成させたいと思います。鈴木隆之さん、どうぞよろしくお願いします。月光洞完成のあかつきには、月光洞合宿朗読会を開きたいと考えています。
静岡新聞連載 「ジュリアおたあ異聞」 誰だっけ2006年の12月末までには100枚原稿を書くって言っていた人は? えっと5月から連載開始です。静岡新聞 熊本日日新聞に連載されるほか、いくつかの新聞にも掲載されそうです。わあ!なんとかしなくちゃ。
メディア・パル 「中学校生活のための50のヒント」(仮題) 法政大学中沢ゼミ四年生に中学校時代のことを話してもらっています。大人になり始めたばかりの時代をどうやって過ごすしたらいいのか、そのヒントがいっぱいの本になりそうです。大人になって行くのってすごくおもしろいことなんだなあと、ゼミ生の話を聞いています。3月下旬発売予定。
新潮文庫「うさぎとトランペット」 「楽隊のうさぎ」続編の「うさぎとトランペット」が6月に新潮文庫に入ります。
師 倒れる
2006年12月31日(日)
走りすぎた御師匠様はばったり倒れてしまいました。 「先生 大丈夫ですか?」 「大丈夫じゃないよ!バカヤロウ!」 というわけで今年も終わりです。来年もよろしく。
燕尾服がうろうろ
2006年12月27日(水)
「なんでリハなのに燕尾なんだ」 は「のだめカンタービレ」の千秋(玉木宏)のセリフ。玉木宏は最初、あまり千秋に見えませんでしたが、だんだん千秋になってきた感じ。 「なんで夜中に燕尾なの」 これは私の昨夜のセリフ。 「だって、このシャツ、15,000円もしたんだ」 という息子。初めての燕尾服です。なんでも第9の演奏にのるので、どうしても燕尾服がいるということでした。世の中にはいろんな仕事があるものですが、燕尾服が必要と解った時に「大阪に音楽家専門の洋服屋さんがあるよ」と教えてもらったそうです。寸法を計って、電話で注文を出すと、なんと翌日には燕尾服が一そろい届きました。で、その燕尾服のための白蝶ネクタイとシャツは「自分で買うから」と息子はバイトの給料日を待ってました。彼はホルンを吹きながら体育館の守衛のバイトもしているのです。 だから、燕尾服がそろったのは本番の前の晩。夜中に家の中を燕尾服がうろうろしているのは、なんだか奇妙な眺めです。テールはかっこよいのですが、なにせマンションなので天井が低く、どうやっても燕尾服の所作と周囲の景色が一致しません。燕尾服は天井が高い建物で着なくちゃ、さまにならないのです。しかも、ズボン丈は私が酔っ払ったまま裾上げテープでくっつけちゃったから、モールがよれています。ステージではどっちみちあんまり目立たないからいいやということになりました。
今夜(27日)と明日(28日)池袋の東京芸術劇場でベートーベンの第九協奏曲にのる(彼らは演奏に加わることをそう呼びます)そうです。18時30分開場。19時開演。指揮は宿木允人。もしお閑がありましたらお越し下さい。
余談 テレビ・ドラマどからどうでもいいって言えばどうでもいいのですが、秋吉久美子の音大理事長ってものすごく不安。子どもが録画していたビデオをちらちらみていたので、昨晩、秋吉久美子が音大理事長って気付いたのですが……。燕尾服のまま「のだめ」なんか見てるんじゃないとか言っていたら、秋吉久美子がでてきたの。
ストッキングとタイツ
2006年12月25日(月)
馬の足を見ているうちにストッキングとタイツが欲しくなりました。で、買っちゃった。イタリア製のストッキングとタイツ。ううん。サラブレッドの足ほど細くなくてもいいからもう少し面積が小さくなるといいなあ。お花模様のレースのストッキングなんだけど、なんか大輪の花が咲いちゃったんですね。まあ、馬だって腰のあたりはそうとうにしっかりとお肉がついていますが……。
ディープインパクト
2006年12月24日(日)
ここのところしばらく中山競馬場に行っていなかったのですが、有馬記念見てきました。やっぱりディープインパクト無敵でした。第4コーナーを曲がってところで騎手の武豊が鞭をひとつ入れただけで、すっと上がってきてそのまま三馬身差でゴール・インでした。これで12戦で1位が11戦、2位が1戦。2着は去年の有馬記念ですから、無敵です。
が、今日は第7レースに「ターキー」って馬が出ていて、馬のくせに「七面鳥」なんて!という単純な理由で単勝を買ったら、これがちゃんと来ました。「ターキー」さまさまでした。昨日、東武デパートでターキーを買おうかどうか迷って結局買わなかったのですが、今日はぜんぜん迷わずに買ってました。(ターキー違いだけど)えへへ(笑)です。買ったと言ってもたいした額ではないのですけど。
あと珍しかったのは9レースつまり有馬記念で、ゲート・インで拍手が起きたことかな。出走馬のなかのただ一頭の牝馬、スイープトウショウがどうしてもゲートに入らなくて、無理に入れようとすると後ろ向きになり、お尻からゲートに入りそうになるで、大騒ぎ。まず方向転換にひと苦労。それからやっと前を向いたら今度はてこでも動かず。かなり頑固なお嬢さんです。騎手が尻尾をひっぱって、ようやくゲートに入った時には満員のスタンドから拍手が沸きました。
そういうわけ、いや、どういうわけか、今年はターキーではなくて、ロースト・ビーフを昨日、買ってあるので、これからホース・ラデッシュをすりおろして食べることにします。馬の「ターキー」が稼がせてくれたぶんは明日の宴会のシャンパン代くらいになりました。
宴会・パーティ・宴会
2006年12月21日(木)
伊藤比呂美さんのお家で宴会を開いてもらったのは今月の初めのことでした。なんだか、もう遠い昔に感じられるのは15日の野間賞のパーティからすうっと宴会とパーティ続きだからかなあ。伊藤さんお元気でしょうか?もうカルフォルニアにお帰りになられたのでしょうか?「もう好きなことをどんどんやりたい」と熊本空港でおしゃってましたが、私のほうも「好きなことをやりたい」っていう心境になってます。
伊藤さんの言う好きなことは好きな仕事って意味ですが、私のほうは、まあ、惰眠とか馬鹿騒ぎとか、自分でもあんまりろくなことじゃないなあって気がしてます。すごく「なまけもの」なの。
今朝、おきて鏡をみたら、おばあさんがひとりにっこり笑ってました。ふううん、こういうおばあさんになるのかって、ほかの人の顔をみるような気分で眺めてました。なにしろ、親が40代で亡くなっちゃっているので、我が一族で久しぶりのおばあさんの出現になりそうです。宴会続きでくたびれているから「おばあさん」が顔を出しちゃったみたいです。
師走
2006年12月20日(水)
師も走るから師走って言うのだそうですけど、今の先生は一年中走っています。大学へ出ているとそう思います。だってみんな、70歳近い先生まで足が速いんですもの。足が速くなくちゃ先生はできないなあって感じがしています。
猫も働いている熊本大学
2006年12月17日(日)
「猫の手も借りたい」忙しさという言い方があります。15日を皮切りになんと30日までなんらかのパーティもしくは宴会の予定が入っていることが判明して、こういう忙しさは猫なんかに手を貸してもらうのはもったいないなあと思っている今日この頃です。
熊本のお話の続き。伊藤比呂美さんのご紹介で熊本大学の先生方にお引き合わせいただきました。伊藤さんはしばらく日記をお休みしていますが、とても元気です。で、熊本大学ですが、こちらはほかの大学と同じように「猫の手も借りたい」ところを通りすぎて猫も働いている熊本大学と言われているそうです。大学はどこも大学・大学院改革で大忙し。何が忙しいって会議が増えるし委員会がたくさんできるし、学内を歩いているだけであっという間にどんどん仕事が増えて行くという事情に変わりはないようです。
熊本大学ももとは夏目漱石も先生はしていた第五高等学校ですから、猫も働きなれているのかもしれません。「我輩は猫である」とばかりに校内をゆうぜんと歩く猫が数匹いました。1限の始まりは法政大学よりも1時間30分早くて8時から。その時刻に学生食堂がもう営業をしていて朝ごはんを食べている学生がいたのには、感心しました。けっこううまそうな朝ごはんでした。
ひともじのぐるぐるを
2006年12月15日(金)
前回、近代文学館のシンポジウムのために熊本に行った時、ひともじのぐるぐるを喜んでいたのを馬場さんが覚えていてくれました。で、ひともじ(細い葱)をぐるぐるまいたものです。だからひともじのぐるぐる。でも今回はひともじのぐるぐるにめぐり合えなかったのです。残念。残念。でもこれから春までに何度か熊本に行くことになります。
宇土は静かな町で、町の至るところに桃色の石で作った井戸がありました。轟水源から引いた水を共同で使用していたそうです。江戸時代に作られた水道を今でも利用している家もあり、水道組合で管理しているとのことでした。肥後の石工は江戸城の石垣を組んだことでも知られています。江戸城の石垣を組むとき、先頭に立ったのは加藤清正です。秀吉の晩年、つまり朝鮮の役の頃、肥後の国は北の熊本周辺を加藤清正が、南の宇土を小西行長が領地にしていました。が、今の熊本では加藤清正は偉大な英雄で、小西行長は「大悪人」なのは、加藤清正との確執が原因の一端にあるようです。男の嫉妬って400年たっても消えないのねえという話かもしれません。ああ、恐い、恐い。もっとも加藤清正公に聞いたら嫉妬なんかじゃなくて「義憤」とか「公憤」と言うかもしれませんが。
ひともじのぐるぐるを探しに、「つるや」デパートの地下に入ったのですが、ひともじのぐるぐるはありませんでした。おみやげに熊本城の絵の入った包み紙の「朝鮮飴」を買いました。朝鮮の役の時の保存食だそうですが、これが鹿児島の兵六飴とかぼんたん飴に似た感じの柔らかな食感です。おもいっきり片栗粉がかかっているところがなんだか豪快でした。なんで朝鮮の役の時に加藤清正が虎退治をしたのか? その謎が少しだけわかったような気がしました。どうやら朝鮮の役は、加藤清正のお膝元では「勝った」ことになっていたみたいです。
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