木枯らしが吹きました。
2006年11月13日(月)
日曜日は秋葉原で文学フリマがありました。そして前夜から冷たい雨が降って、木枯らしが吹きました。木枯らしが吹くと厚手のコートの季節です。
つんつるてんの学生コートとあんまり生地がよくなよれよれのトレンチコートのほかにもうひとつ、高校の時に着ていたコートがあります。これぞお気に入りのコートでした。ハーフコートよりもやや丈が眺め(七部丈)の紺色のウールコートでした。最初は裏地にタータンチャックの生地を張ったフードがついていたのですが、うるさいのでフードははずしてしまいました。衿はスタンドカラー。背中は腕の下あたりの線で切り替えが入っていて裾広がりのフレアーになっていました。このコートがことのほか気に入っていました。
最初は制服の上には着ていなかったのですが、終いには制服の上でもこのコートを着るようになりました。大学に入ってからもこのコートを着て通学していました。その頃は西荻に住んでいたのですが、近くに詩人の江代充さんも住んでいて「どうも、そのコートを着ると不思議な雰囲気になるねえ」と言われたことがあります。街をすたすたと歩きながら宙を睨んでいる姿を見かけたのだそうです。
そのあと、しばらくしてからラルフローレンのPコートをやっぱり紺色で着るようになるのですが、Pコートを気に入るきっかけみたいなものはこのハーフコートにあったような気がします。去年、久しぶりにベージュのpコートをやはりラルフローレンで購入しました。紺色のPコートの裏地がぼろぼろに擦り切れてしまってから、もうPコートという年でもないだろうと、そのあとしばらくPコートを着なかったのですが、ふとした気まぐれから色を変えて、着てみたらなかなか着心地が良かったのです。ベージュ色のPコートなんて格好悪いと感じていたのに、それにもかかわらず、気に入ってしまいました。
トレンチコートの集団
2006年11月10日(金)
制服以外はとくに服装の規定がなかった私の高校では秋口になると薄い蝉の羽のようなカーディガンを羽織るのが流行ってました。薄さを競うような感じで、みんな白いカーディガンを着ていました。そして冬になるとトレンチコート。
カーディガンは女子だけですが、トレンチコートのほうは男子も着ていました。2年生の11月の修学旅行でも学生服の上にそれぞれが好みのトレンチコートを着て京都の街を歩いていました。夜の自由時間には新京極の通りでお土産を物色してもよいことになっていました。そういう学校は多いらしく、宵の口の新京極の通りには日本中から集まった中学生や高校生が犇いていました。どの学校も制服の上には何も着ていないのですが、私の学校の男子どもは、トレンチコートの肩をそびやかして歩いていました。そのうちのだんだんと、同じ学校どうしで固まりを作るような歩き方になって、トレンチコートの大集団になってしまいました。ちょっと威圧的でした。
その威圧的な集団を「あれ、あんなに固まって歩いている」と見送ったら、そのあとから先生が追いかけてきました。ややあわてた調子で「うちの連中を見かけなかった?」と聞くので、新京極の通りが下る方向をさして「あっちへ行きましたよ」と教えたら、大急ぎで追いかけて行きました。あとで聞くと「あんなに目立つ格好でかたまってはどこかほかの学校とのこぜりあいになりかねない」と心配したのだそうです。実際、新京極のとおりでは、学校どうしがぶつかった乱闘になるなんていうブッソウなことも時々起きていました。
私が灰色のトレンチコートを買ってもらったのは修学旅行の翌年のことでした。ただ安物で、生地がくたくただったので、あんまり気に入りませんでした。トレンチ特有の張りが足りないというのか、あの新京極の通りで先生を心配させたようなびしっとした感じがなかったのです。
学生コート
2006年11月09日(木)
いったいいつ、女子高校生のスカートはチアガールみたいに短くなってしまったのかという話題を時々、いろんな年代の知人と喋ることがあります。「私の頃は長かった」とか「私のときはもう短かった」などなど。いろいろに思い出しているのですが、不思議なことに長い丈から短い丈に以降した時期を知っている人にはまだ巡り会ったことがありません。謎です。
それにしてもあんなに短い丈のスカートでは「スケバン」なんて出来ませんねというのは共通した意見です。まあ、現役の高校生を知らないので、おばさんたちはそんなことを言っているのですが。で、スカートが短くなったせいか、高校生が着ているコートも丈の短いピーコートが多いようです。もしかするとピーコートが制服として取り入れられるほうが先で、それから短いスカートが流行りだしたのかもしれません。
中学校の時、学校指定の学生コートを買ってもらいました。紺色のステンカラーのコートでした。このコートは形はともかく、生地が安っぽくて好きになれなかったのですが、高校生になっても着ていました。ちょっと意地みたいなものです。高校では制服以外に服装の指定はなくて、トレンチコートが流行ってました。衿が大きくて肩章がついているもので、色は紺、灰色、茶色、カーキ色など様々でした。こういう派手なトレンチコートは生地のよしあしがはっきりわかります。もっと平たく言うなら、値段が出てしまうのです。安いコートを着るくらいなら、中学の時の学生コートでいいやっていうことでつんつるてんの学生コートを着ていました。
小学校はジャンパー
2006年11月05日(日)
会う人ごとに「いつまでも寒くなりませんねえ」と言うのが最近、挨拶の代わりみたいになっています。一の酉が過ぎたというのに、寒さ知らずのお天気です。今日も地下鉄の中であった人が「だって夏の背広着ているんです」って教えてくれました。初夏から夏にかけて着る合着の背広で外出できてしまうこのごろのお天気です。
で、コートの話の続きです。小学生の時、何か記憶に残っているコートってあるかしら?と考えてみたのですが、これと言って記憶に残っているコートがありません。雪の日に家の前で撮影してもらった写真では大きな格子の柄のコートを着ているのですが、このコートの記憶がないのです。千葉県の最南端の館山では、冬でもセーターがあれば充分で、あまりコートを着ることがなかったのでしょう。
横浜から館山に越したのは小学校に入学する年でしたが、男の子が長ズボンを履いているのを、奇異に感じました。もっとも、館山の子には半ズボンというものが奇妙に見えるようです。ずっとあとのことですが、高校のともだちが「東京の子どもが足を出した半ズボンをはいているのが気持ち悪い」と言っていました。我が家では逆で子どもが長ズボンなんて履くものではありませんとばかり、冬でも弟は半ズボンで過ごしていました。東京の子どもの半ズボンを気持ち悪がっていたともだちによれば、草むらの多い田舎では、半ズボンは虫刺されや蛇に噛まれるなどの危険があるそうです。へえぇ、そんなものかしらと、妙に感心しました。気候的には横浜よりはずっと半ズボンに適したいたのに。
コートとは縁が遠のいた小学生時代を終わって、中学生になると、制服の上に着る学校指定の学生コートを買ってもらいました。私はちょっとした意地で、この学生コートを高校生になっても着ていました。
コート 大好き
2006年11月04日(土)
夏の初めに買ったローライズの半ズボンは結局、外出の時に履くことはなかったなと、思いながら鏡の前で履いてみました。そこへ息子がやってきて 「ああ、エッグ・スタンドだ」 うまい!座蒲団2枚なんて、言いたくなるくらいの絶妙のタイミングだったんですが、丸いお腹がつまり玉子ってことでしょ、それって。まったく(ぷんぷん)。
コートはそんなことありません。だからコートが大好き。でも夏の初めにアニエスbで見つけた麻のコートは細身過ぎて入りませんでした。まったく(ぷんぷん)来年は麻のコートを注文で作っちゃおうかな。でもなかなか気に入る生地ってないのです。
いちばん最初に着たコートは弟とお揃いでした。白と赤が霜降りになった毛糸のコートで、フード付き。フードの縁と袖口には黒いウサギの毛が張ってありました。コートを着て撮影した記念写真はカラー写真が出始めたばかりの頃のものですから、今ではもう薄茶色(セピア色)になっています。出始めの頃のカラー写真って色あせしやすかったのです。今年はフードとか襟元にフェイクの毛皮がついたコートが流行るみたいですね。
落ち葉の匂い
2006年11月03日(金)
いつもは寝ぼ助の娘が朝早くに支度をして出かけて行きました。なんでも仙台へ紅葉を見に行くのだそうです。ここのところ、毎年、秋が来るのが遅くなっていますが、11月になるとさすがに寒くなってきます。飯田橋あたりでも、毛糸のマフラーをした人の姿を多く見かけるようになりました。
デパートなどのショーウィンドーを見ていると、けっこうデコラティーブなファッションが流行っているみたいで、網タイツなんかがかなり出回っています。こういうのって流行っているときしか買えないので、今年は余分に買っておこうかしら?25年ほど前にパリに旅行したときも、網タイツが流行していたのですが、東京に戻ってみるとほとんど売ってませんでした。そういうものを東京の女性も身につけるようになったというのか、それとも流行に時差がなくなったというのかどちらなのだろうと足の装飾を眺めています。いや、落ち葉の匂いの話を書こうと思っていたのに、話がそれてしまいました。
網タイツの話にそれてしまったついでに、思い出したことをひとつ。若い女性が網タイツをはいているのを見ると「昔の年上の女の人は意地悪だったねえ」とついつい昔を思い出してしまいます。ちょっと色っぽい服装をしたり、変わった身なりをするとじろりとした目で眺めて皮肉っぽいこ言葉を投げかけてきたりしたものです。ああいう意地悪な感覚って、なんだったのかしら?あんな目で眺められたら、デコラティブなおしゃれなんて出来たものではありません。そういう意地悪がなくなって良かったなあって思います。
そうそう落ち葉の匂いの話。飯田橋から市谷に続く外堀の土手を夜、歩くと桜の落ち葉の匂いがします。春の花の時にはそれほど匂うということがない桜ですが、秋の落ち葉の季節にはほんとうによく匂います。桜餅のあの葉っぱの匂いです。この匂いに包まれると桜餅になった気分(笑)昼間の人通りの多い時にもきっと匂っているのでしょうけれども、夜8時を過ぎて人が少なくなった土手は、闇が甘く匂っています。
緑色のコートに青い裏地を付けたものを注文しました。隠しのポケットを入れてもらって、名前の刺繍も入れてもらいました。もうすぐ出来上がってくるはず。注文服なんて作る人は少なくなってしまいましたが、ポレタ・ポルテよりも、なんとなく出来上がるまでの時間が楽しみです。
寝てくらす。
2006年10月30日(月)
3日ばかり寝て暮らしました。おきている時間もなかったわけではありませんが、ぼうっとしてました。寝てるとしあわせ!
お正月も寝てくらしていることが多いけれども、お正月になる前にちょっと一休み(このなまけもの!)で考えたんだけれども、散らかっているのが楽しめる家ってつくれないかしら? 一番簡単なのは、家そのものが広いことです。この場合は散らかっているのを楽しめるというよりも散らかる場所を移動させる(結局、最後は家じゅうが散らかることになるかも)に過ぎないのかもしれない。しかし、何かうまく散らかっていることが楽しめるようなインテリアなり設計なりがありそうな気がしてます。
で、よく考えてみると(寝ながら)家の中が散らかって困るのは、物や道具がごちゃ混ぜになってしまうからです。で、寝室、書斎、台所、食堂っていうふうに空間が区切られていれば、物や道具がごちゃ混ぜになるのはかなり防げるでしょう。狭い家でもそんなふうに空間を使うことはできないかなあって思ってました。あと、空間には、物や道具を受け入れるための許容限度みたいなものがあって、それを超えると散らかっていることを楽しめなくなっちゃうんだなあとか、寝ながら考えていました。重量オーバーじゃなくて、こういうのをなんと言ったらいいのでしょう。つまり、散らかっていることを楽しめる家にするには、その許容限度を探さなくちゃけいないわけだねなあんて、寝ながら考えていても、許容限度は探せないのですが、寝ていたせいで、頭はすっきりしました。頭の中にも許容限度があるみたい。
耐震偽装事件と高校の必修科目未履修問題
2006年10月29日(日)
昨年の秋に表沙汰になった耐震偽装事件といい、今度の高校の必修科目未履修問題といい、組閣が終わると、こうした広範囲に影響のでる問題が転がりだしてきます。それも、メディアを通じたリークの形が二度も続くとなると、新大臣がスタンドプレーをやっているんじゃないかしら?と勘ぐりたくなります。それとも、官僚が新大臣を困らせるために、情報を投げているのかしら?
結局、ほんとうにところはわかりませんが、そういう勘ぐりがひとり歩きをするだけでも、行政や政治に対する信頼はそうとうなダメージをこうむることになります。私が考えるようなことは、おそらく、日本中の多くの人が考えるに違いないからです。
必修科目未履修問題では「それにしても私立高校の数がすくないなあ」って首をひねっている人がいました。確かに。確かに。もっと私立高校で未履修がありそうな気がします。07年には大学全入時代が来るとか、いや、もう実質全入になっているとか言っている時代に「受験」を理由に履修科目を減らしていたというのもなんだか納得できない話です。学校の認識になにか時代錯誤的なものがあったのではないかしら?とつい考えてしまいます。今、校長先生くらいになっている世代ってものすごく受験が厳しかった時代に大学生になってます。受験者の数はどんどん増えるのに、大学の数が少なかった時代の受験生でした。「受験生ブルース」なんて歌が流行していた頃です。その当時の記憶って、なかなかしみ込んで離れないのではないでしょうか?
とすると、たぶん、メディアの報道が信用されていないのです。報道が信用されないから、「受験生ブルース」を歌っていた往時の記憶で、受験用の学校を作ってしまうという事態になったのかもしれません。
耐震偽装事件のほうはすっかり矮小化されてしまいました。たぶん、危ない建物はもっともっとたくさんあるのでしょうけれども、一部の人が大きな打撃をこうむる形で終わりになってしまいそうです。
現代文学とエロティシズムの変容
2006年10月27日(金)
タイトルのテーマで横浜で講演します。今月の文芸雑誌は新潮、すばる、文芸が新人賞を発表していますが、セックスの描写が、以前と比べてずいぶん変わったなあと思うと同時に、性のモラルの変化もそこに感じます。性のモラルは日本の文学では恋愛小説を書くうえで大きな障害になっていました。また性のモラルというものが、男女差に基づいていたので、不合理な男女差別を生み出している感じも強くありました。が、ほかのことと違って、なんとかなるものではありませんでした。
簡単に言うと何をすてきだと感じるかは、まあ、理屈ではなくて感覚の問題であり、身体的な反応だからです。昔は(昔って言ってもほんの2、30年前)は理屈っぽい女なんて、女のとしての魅力がないなって平気で言っている男性がいたものです。「あなたが魅力を感じないのは勝手です」と応戦しておくよりほかになかったのですが、今はそんなことを言う人はほとんどいないでしょう。魅力を感じないというよりも、近寄りがたいと思う人はいるかもしれませんが……。そのあたりの変化についてお話したいと思っています。人間って、頭の中にしみ込んだ理屈で、身体の感覚も変わるんだなあと驚くような気持ちになることがあります。その一方で、ただ口先だけで理屈をこねても、身体がついてこないというようなこともままあるので、その兼ね合いを眺めるにはエロティシズムというテーマはおもしろいテーマだと感じています。
松山に行ってました。
2006年10月25日(水)
四国、愛媛県の松山です。そうあの「坊ちゃん」の松山で、道後温泉には入ってきました。おいしかったのはおこぜ。白い身はお刺身に。皮と肝を添えて。骨はから揚げにして、頭は麦味噌で味噌汁に。ああ、おこぜや、おこぜやって感じでした。そうそう松山は、俳句の革新運動を起こした正岡子規の故郷でもあります。
おどろいたのはヒレステーキ。とっても上等なヒレ肉(もちろん牛)を鉄板でステーキにしてもらったのですが、最後にお好み焼き用ソースがじゅっとかかって、「あれれれれ?」でした。お好み焼き用のソースは嫌いではないのですが、あんな良いお肉にかけなくってもとい感じでした。このステーキ屋さんの人気メニューはソバメシ。熱した鉄板の上で、白いご飯と焼きそばをお野菜といっしょにじゅうじゅうといためて、これまたお好みソースをかけて出来上がり。テイク・アウトもできて、サンダルをはいたお兄ちゃんが「コンビニに行ってくるから、その間にそばめしを作っておいて」なんて注文してました。上等なヒレ肉を持っているのが、不思議な感じの庶民的なお店でした。
町の真ん中にお城の山がデンとありました。この山がロープウェイを使って登らなくちゃならない高さ。あんな山の上のお城に住んでいたお殿様は寂しくなかったかしら?毎朝、御家来衆が登城してくるのが待ち遠しくはなかったかしら?それとも自然に孤高の気が養われて、気高いお殿様になったのかしら?そうではあっても毎朝、登城する御家来衆は容易じゃないねえというお城でした。お城の周りを路面電車が市内いたるところ150円という運賃で走ってました。電車は窓枠まで木星の古い型から、最新式まで、いろんな種類のが混じってました。窓枠まで木星の古い型のやつは、走る時
うぃんうぃんごとごとぶううんぶんごうごう
と賑やかな音をたてて走り回っていました。
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