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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

騒然、雑然。今年の桜

2007年04月02日(月)

 東京會舘で結婚式がありました。日大の卒業生で私もお招きに預かりました。皇居前広場から宮内庁にかけての桜がよく見えました。東京は花盛りです。

 冬が奇妙なくらい暖かかったし、ところによってはもう25度を超える夏日のところもあって、なんだか今年の桜は雑然として見えます。こぶしの花も咲いているし、花にらも咲いているし、ムスカリの咲き出してしまっているしで、冬から春へ咲く花と春の終わりを飾るはずの花がみんな開いているなかに、桜が割り込んだような感じで、花盛りのありがたみがやや薄いような、そんな気がします。桜の花が咲くとこれでもう「冷える」日はあっても「寒さ」とはお別れだという安堵感があるのですが、そうした安堵感に乏しいのです。

 で、「お花見」にゆきたいなあと言う気持ちもいまひとつ盛り上がりをかいていましたら、ゼミ生の皆さんがお花見をするという連絡を受けました。それはいいや!でも今週末まで桜は残っているかしら?

名刺の注文

2007年03月30日(金)

 息子に名刺を作ってくれと言われました。会社に入ると名刺を作る人が多いのですが、会社の作ってくれた名刺をそのまま使うのが一般的だということを私は知りませんでした。私の名刺はずっと前から決まったお店で作っています。

 ある時、知人と銀座を歩いていて、名刺が刷り上ったという連絡を受けたことを思い出しました。それで、「ちょっと寄ってとってくる」と言ったら、会社を辞めたばかりの知人がしきりの「え、勤めてないのに名刺を持っているの?名刺って個人でもつくれるの?」とへんな感心の仕方をしたので驚いてしまいました。会社に勤めていない人間は名刺を持っていないと思い込んでいたのですね。社員証はもってませんけど、名刺は小説家のような仕事でも必要な時があります。肩書きに「小説家」とか「作家」と書くのはへんなので、肩書きのない住所と氏名だけの名刺です。
 この肩書きなしの名刺を出すと「僕も肩書きなしの名刺って持ってみたいなあと思うときがありますよ」と言ってくれる人がいます。個人で名刺を持っていることに驚く人もいれば、肩書きなしの名刺に憧れる人もいるんですねえ。

 自分の名刺の注文を出すとき、息子の名刺も注文しました。息子はいちばん安い紙にして、なんとなくそうしたかったので。で、肩書きもなし。今日、息子の名刺の校正刷りがファックスで送られてきました。「Horn」って入れてと言われて、ああ、そうかと気づきました。音楽の場合は専門の楽器の名前を肩書き代わりにいれたりするんです。でも「Horn奏者」ってのはちょっと恥ずかしいのだそうです。まだそんなに仕事がないからっていう意味もあるかもしれません。でも、言われてみれば音楽会のパンフレットにも「Horn」って書いてあって、「Horn奏者」とは書いてありません。名刺のいろいろですね。

 週明けから新しい名刺を持って歩く人もたくさんいることでしょう。

大学卒業と学位は別。

2007年03月26日(月)

 大学を卒業すれば学士の学位はみんなもらえるものだと思ってませんか?私もそう思っていました。一応、卒業と学位は別のものだって理屈は知ってましたけど。まさか、それがセットになっていない学校があるなんで想像もしませんでした。が、あるんです。うちの息子、音楽大学を卒業しているのですが(これは間違いない。なにしろ追試験で大騒ぎになったんだから)でも「学士」の学位は持ってません。なんでも「概論」(かれの場合は音楽学概論です)を履修してないと「学士」にはなれないのだそうです。

 「概論」が必修じゃない学校があるなんて、想像を絶してましたが、彼の学校は概論は必修じゃなかったんですって。「概論なんて誰も履修しないよ」って言うんですけど。演奏をするのに「概論」なんてどうでもいいんでしょうけれども。これを思い出したのは、今日は娘の卒業式なので、朝、「学位記」の話をしていて、そういえばお兄ちゃんの「学位記」って見たことないなあと言ったら「お母さん、忘れたの?僕は卒業しているけど、学位はとってないんだって言ったでしょう」と言われて3年前の驚きを、そのときと同じくらいの衝撃で思い出しました。就職などの時に必要になるのは「卒業証明書」だとか「成績証明書」などなので、「学位」って、とくに学士の場合は儀式というか気分というかそういうもんなのですが、そうか、うちの息子は学士じゃなくて楽師になり損ねているのかって、なんだか複雑な気分。

桜が咲き始めました。

2007年03月25日(日)

法政大学 日大芸術学部の皆さん
卒業おめでとうごさいます。

 皆さんは言葉を使って人生をより豊かにする術を、学びました。これから皆さんの学んだことを、自分のためだけではなく、ほかの人のためにも活かしてください。それが社会にでるということの意味だと私は思います。誰かを笑わせたり、誰かを慰めたり、誰かの怒りを静かに伝えたり、誰かとともに哀しむためには、言葉というものが、通路になり、航路になり、空路になるのです。言葉に息吹を与えるのは皆さんのおひとりおひとりの心であり、胸であり、腹であります。皆さんの暖かな血が言葉の中に通うとき、言葉は意味を帯びるのです。それぞれの道を歩み、そして、それぞれに出会ったことを物語や詩で聞かせてくださる時がくることを楽しみに待っています。御卒業おめでとうございます。

もうすぐ桜?

2007年03月23日(金)

 なんだかここに来て寒い日が続いたので、ちょっと気がふさいでいました。気がふさぐって言っても、10代20代のころみたいにどうっとふさぐってことはなくてほどほどです。それで思い出したんですが、若いときにどうっと気がふさいでいると、思いっきりおばさんに馬鹿にされました。ああいうおばさんになりたくないなあって思っていたんですけど、なっているんでしょうかね?まるで自分の努力で修行して気がふさがなくなってと言わんばかりの態度でした。でも、修行っていうよりも身体的変化みたいな感じがするんですけど、どうなんでしょうか?

 お天気の変化なんかで気がふさいでいたりしたら、血圧は上がるし、きっとそのほかにもいろいろ欠陥が出て病気になっちゃうんで、身体が防御反応をとっているだけみたいな、そんな気がしていますけど。

 もうすぐ桜です。東京はちらりほらりと咲き出しています。卒業式には咲いちゃうんじゃないかなって、暖かな冬でしたが、まるで劣等生の試験みたいに、春直前で帳尻を合わせた寒さで、桜も困ってるんじゃないでしょうか?でも、どうやっても来週には桜が咲きそうです。

町田に行く

2007年03月20日(火)

 町田の文学館でお話をするために町田まで小田急のロマンスカーで出かけました。そのまま箱根まで行って温泉につかっていたいなあって感じがしました。ここのところ、東京は初雪が降るほど寒いので、少し気がふさいでいて、余計に温泉に行きたかったのかもしれません。初雪と言っても白いものがほんの5分間くらい舞っただけなので、私はその雪を見ていません。小雪が舞うような冷え込みなのに、桜の花は日一日と蕾を膨れませています。来週には咲き出すでしょう。

 町田の駅で電車を降りるのは、駅名を「はらまちだ」と言っていた昔までさかのぼらなくてはなりません。駅前はずいぶん賑やかになっていましたが、駅からそれるとまだ街道沿いのさびしいところもあるようだなと文学館まで歩きました。久しぶりに吉目木晴彦さんとお目にかかりました。文学館でお話をして、それから吉目木さんと少しお話をして、帰りはまた小田急のロマンスカーで帰ってきました。東京の西の郊外って、なんだか風がびゅんびゅん吹き荒れる感じが、どんなに賑やかになったても残るものだなって思ったのは、ここのところの寒さでやや気がふさいでいるせいかもしれません。

大原まで

2007年03月18日(日)

 家を建てるつもりでいる大原まで行ってきました。デジカメが壊れちゃっているから写真は撮影できませんでした。東京を出るときにはまだ雨は降っていなかったと思うのですが、大原の駅は少し濡れていました。大きな雨粒の雨が、数でも数えるようにぽつんぽつんと背や肩それに頭に降りかかりました。

 敷地の西側のがけに生えていた木を切ってもらっているところです。工事のためには、この崖の木を切らなければならないのが少し惜しいです。というのも直径15センチくらいの幹がある椿は、山桜、椎の木などが思い思いに生い茂っている崖ですから。椎の木には自然に椎茸が生えていたそうです。
「切り株からまた芽が出ますよ」
「切り株から芽が出て生い茂るころには、私はおばあさんですね」
 「あはは。」
 時間が螺旋に進んで行く、そういう感じがこのごろはしきりにします。もう20年くらい昔、にも誰かと同じような会話をした記憶がありました。ええと、あれは誰とだっけ?と考えていたら、館山にある父母のお墓を思い出しました。お墓は山の斜面にあるのですが、ある時、母が斜面に生えていた大きな椿の木をさして「この木がなければ海がよく見えるのに」と、たまたま墓参りに来ていた隣の墓の家の人に言ったのだそうです。すると隣の人は「ああ、そうですね」とうなづいて、それから三日ばかりして、墓地の行くと椿の木はみごとに切り倒されていて、母を驚かせました。隣の墓地の人の人の仕事が元は樵だったと知ったのはその後でした。
 「樵じゃあしょうがないなあ」て半分呆れたように母が話していました。で、その母のお骨をお墓に収めてしばらくたってから「切り株が残ってますからまた生えてきますよ」と樵さんが言ってくれたのです。

 崖の木を切って、昨日、燃やした熾きが、敷地の中で今日もまだ暖かくともっていました。お芋をアルミホイルに包んでん投げ込んでおけば、こんがり焼けそうなとぼり方でした。

悲惨な生活

2007年03月15日(木)

 「眠眠打破」と回転すしで生きてます。なんで回転すしなんだ?とお思いの向きもあるかと存じますが、なんと言ってもこれが一番早くご飯を食べて勘定ができるから。

富士山こんにちは。

2007年03月14日(水)

 東名高速を飛ばして静岡まで行ってきました。富士山こんにちはです。翌日、安倍川の土手を画家の宮本恭彦さん、司修さんとちょっとだけ歩いてきました。川風の猛烈に冷たくて、意気地なしの私はそうそうに車の中に逃げ込んでしまいました。

 司さんが「やっぱり富士山はてっぺんが平らじゃなくちゃねえ」と言っていました。安倍川から見る富士山はてっぺんにちょんとしたトンガリがあるのです。なんだかかわいらしいようなトンガリですが、司修さんにとってはそのトンガリがものすごく気になるらしいのでした。山は見る方角によってすごく姿が変わります。

 帰りも東名で帰ってきました。静岡のインターをあがるとすぐに富士山が見えて、そのままずっと富士川まで富士山を眺めながら車を走らせました。春先だというのにこんなにずっと富士山が見える日も珍しいです。なんだかちょっと得した気分。富士山ってのはやっぱりちょっと特別です。出たり消えたりするところがいいなあって、思います。法政大学のビアソナードタワーから見るよりずっと大きな富士山でした。あたり前だけど、100キロの速度で眺めるとどきどきします。

潮の満ち引きと月

2007年03月10日(土)

 潮には大潮、小潮、長潮などがあって、月に満ち欠けと連動しています。お彼岸前の潮は大潮までは行きませんが、それでもかなり大きな満引きがあります。

 春の海。そういっていい時期で、沖縄では「ハマウリー」という行事や「清明祭」という行事があると聞いています。海岸に下りて、禊(みそぎ)をするのだそうです。有明海でも岩場で岩海苔をとる人の姿をみかけました。海の中にも春が来て、海苔やわかめなどの海草が育つ季節です。が、なぜか熊本では半そでで歩いていました。とても暑かったのです。こんなお天気はやっぱり珍しいということでした。ようやく冬が過ぎて、やや肌寒いくらいの風が気持ちよいという春の陽気ではありませんでした。

 干潟が広がる海辺へくるとそのたびにやっぱり鈍くなっているなあと感じざるおえません。月の満ち欠けと潮の満ち引きに鈍くなっています。天と地とが連動して作り出している時間感覚の外で出てしまっている感じです。2月はパソコンは壊れるわ、時計は修理に出さなくちゃならないわで大騒ぎ(すごく個人的に)でしたけれども、そのおかげで一ヶ月ほど、腕時計なしですごしました。でも、それで潮の満ち引きや月の満ち欠けに敏感になったわけでもありません(笑)

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