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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

びっくり、びっくり。

2007年05月10日(木)

 ここのところずっとパソコンをいじっていました。いや、私がいじっているのではなくて、ここ(豆畑の友)の管理人の豆蔵さんとうちの息子がいじってくれていました。で、これから始まる新聞連載に備えるという意味もありました。その新聞連載ですが、はじまりは8月頃にずれ込みそうです。

 で、ここ二日の間に、二度びっくり。最初は牛丼パソコンがネットにつながらなくなってしまいました。ああ、これはえらいことだ!うちの馬鹿息子はなにをやらかしたのだ!考えるよりも先に怒りがこみ上げてきました。なんか、私の頭の中では我が息子が中学生で成長を止めてしまって、(ほんとうはもうちょっと分別のある25歳なのですが)それで、きっと何かの作業を中途半端に投げ出したに違いないと腹を立てたのでした。
 結果は牛丼パソコンとモデムのラインがつながっていないという単純なもの。しかもよくよく思い出してみるとラインを切ったのは私でした。

 二度目のびっくりは、これまた牛丼パソコン。今度は電源が入らないのです。スイッチを押してもおしても真っ暗のまま。あの特徴的な唸りも聞こえてきません。うんともすんとも言わないのです。これまた、電源のコードが抜けていました。なぜ抜けたのか?その原因はわかりませんが、息子に言わせると、セットアップのために本体を動かしていたから、ゆるんだのではないかということでした。ううん。名前がなあ、名前が名前だけにあんまり信用していなくて、すぐ不安になっちゃうんだなあと。こう年中驚かせられるのは、ほんと心臓に悪いです。

うなる牛丼パソコン

2007年05月08日(火)

 前のパソコンがだめになったのは確か二月の末か三月の初めでした。それから、ノートブックPCをしばらく使って牛丼パソコンを買ったのは4月1日。うそじゃないって。うそみたいな日に買ったせいでしょうか? これが唸るのです。牛丼だけに。いや、そんなことはないか。

 ぶいんん。ぶいんん。ぶいんんんん。ぶいんんんん。てな具合で、長時間使っているとだんだん音は大きくなってきます。やや不安。音そのものは、私はあまり気になりません。音がしていることが正常なら、なんとなくその音になじんでしまいます。前にぎゃってぎゃっていパラぎゃっていと般若心経を唱えるプリンターを使っていましたが、あれもちょっと好きでした。今のプリンターは静かです。ただ、その音が何かの不具合であることを恐れているのです。仕事の最中にもし「ばきっ」なんて音がして、PCが使えなくなるなんて悪夢以上ですから。今度も前のPCが使えなくなって、なんとか仕事がスムーズにできるようになるまでに、なんと3ヶ月かかりました。

 パソコンって早め早めに入れ替えを考えて行かなくちゃならない道具なのかもしれません。牛丼でちゃんと超漢字Vが使えるようになりました。印刷もできればメールも送ることもできます。超漢字の特徴であるたくさんの漢字表記ができるという点は、一年間、歴史小説を書いてみるといろいろな場面で威力を発揮してくれることと思います。もちろん不具合も出てくるわけで、それはそれでおもしろそうだなあって思っています。

 牛丼パソコンを買ったのは、もちろん安いということもありますが、ウィンドウズXPを使いたかったからです。家の近所の電気屋のPCはどれもウィンドウズビスタになってしまっていましたから。私にとってこれも何か納得のできない話で、使いやすいOSの使いやすいバージョンを選ぶことができないというのは、なんだか道具としては不親切だなあと感じています。単純な筆記具だともっといろんな品物をいろんなバージョンで選べるのにって、やや、不満を感じているところです。もっとも、その筆記具も最近ではモデルチェンジが早くなっていて目まぐるしい感じがしていますが。

ビロードのうさぎ

2007年05月02日(水)

 池袋のリブロの児童書の売り場の前を歩いていて、ショーウィンドに「ビロードのうさぎ」があるのを見つけました。「ビロードのうさぎ」ってあの「ビロードのうさぎ」かしら?と思わず店内に入ってしまいました。まさしくあのビロードのうさぎでした。クリスマスにプレゼントされたビロードのうさぎ。で、プレゼントされた男の子の良い友達になるのですが、男の子が熱病にかかって命を落としかけます。男の子は無事回復するのですが、ばい菌がたくさんついているだろうビロードのうさぎはそのほかの持ち物と一緒に焼き払われることになるという物語です。

 ブロンズ新社というところから出た本で、抄訳と絵は1966年生まれの酒井駒子さんという人です。だから私が持っていた「ビロードのうさぎ」とはまった違う本ですが、買ってしまいました。孫と読むぞ!いや、ちょっと気が早い感じもしますが。この本、うちの子供たちが小さい時に探したのですが、どこにもありませんでした。それから自分の持っていたはずの「ビロードのうさぎ」ですが、こっちは記憶が怪しいのです。どこの版元のどんな本だったか覚えていないにもかかわらず、絵柄の感じがぼんやりと頭の中に残っています。だから、自分の本ではなくてともだちの家で見た本なのかもしれません。あるいは幼稚園にあった本かな?とも考えてみるのですが、それも定かではないのです。どこで読んだのか場所の記憶が消えている本です。子どもの時い読んだ絵本で場所の記憶が消えている本というのは、私にとってはかなり珍しいものです。

 池袋へは共同通信から依頼されたコラムを書くために新潮文庫の「室生犀星詩集」を買いに言ったのです。25歳くらいの時に、中学生、高校生の時、読んだ本をいっぺんに処分してしまったことがあります。室生犀星詩集もその時に古本屋さんに売り払ってしまった一冊ですが(集英社のシリーズものの一冊の室生犀星集は売り払わずに今でも持っています)なんだかこのごろ、中学生の時高校生の時に読んだ本をまとめて読みたくなっているのです。ついでに新潮文庫で堀口大學訳の「青い麦」も買ってきました。これも中学生の時に読んだ本。というか、それで小説を書き出したという本です。こちらは週間新潮のコラムのため。表紙が昔と同じ緑色をしていました。それで帰りに「ビロードのうさぎ」に呼び止められたというわけです。この本は2007年の4月に出たばかりの本なのに、どうしたわけか慨視感があります。なんでだろう?

このごろ食べたもの

2007年04月29日(日)

「あ、そのブッシュを残しておいてね」
 午前様、朝帰りを通り越して昼過ぎに家に戻った娘があわただしくまた出かけて行くときに、台所のテーブルの上をさしてそう言いました。
「ブッシュ?はて?ブッシュとは何?」
「ほら、そのブッシュ大統領が喉に詰まらせて死にそうになったパン」
 ははん、ビアプリツェルのことか。イラク戦争開始前の話ですから、もうずいぶん前のことになりますが、ブッシュ大統領がプリツェルを喉に詰まらせて気絶するという出来事がありました。ご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか?娘はそれ以来、ビアプリツェルと言わずに「ブッシュ」と呼んでいるそうです。塩味の乾パンで、「め」の字みたいな形をしています。ブッシュ大統領がこれを喉に詰まらせたときは、イラク戦争反対派が、世界中から、これをホワイトハウスに送りつけたとのことでした。

 大阪に行ってきました。新聞小説のために堺の街を半日ほど歩き回ってきました。取材というよりの、まあ、歩き回るだけでしたが。で、大阪土産は例によって「昆布」です。なんで例によってなのかと言えば「昆布は大阪が旨い」という偏見を私が持っているからです。なんだかそんな気がしてます。新幹線に乗るために出た新大阪駅で昆布詰め合わせを買ったのですが、「くぎ煮」も発見しました。「新物 タッパー入り」の文句が。
 以前、歌人の道浦母都子さんに聞いた話では、この「くぎ煮」の季節になると、「くぎ煮」にする小魚を生協でも予約をとって販売するそうです。で、それどれの家で甘辛く「くぎ煮」にして、タッパーでよその家にもおすそわけするという習慣があるそうです。
 だから「タッパー入り」に意味があるというわけ。
 「のぞみ」で東京に戻り、そのまま法政大学へ。助手のF女史は「昆布としいたけは親の敵というくらい嫌い」と判って、ちょっとがっかりしているところへ、昆布大好き女を自認するSさんと小魚大好き男のM君がやってきて、なぜかお弁当を食べ始めました。
 そういえば、今年春、卒業したもうひとりのM君が文章表現の先生を唸らせた(感心させた)のも「くぎ煮」の話でした。

 大阪へ行く朝のことに話は遡りますが、家を出る直前に宅急便が届きました。かなり重量のある段ボール箱で「はて、何だろう?」とあけてみると、これがたけのこ、たけのこ、たけのこ、大小合わせて、10本もありました。「ややや!」です。
 熊本で私が「たけのこ、たけのこ、たけのこ」と騒いでいたのを熊本近代文学館の馬場さんが覚えていてくれて天草に住んでいるご両親から送っていただいた物でした。
 「ややや、これは大変だ」
 せっかくの掘りたてのたけのこです。早くゆでなくては!しかし、ああ、どうしよう、新幹線に乗らなくちゃと騒いだ挙句に、大きな物二本は近所のとんかつ屋さんにもらってもらうことにしました。で、息子にとんかつ屋さんへのお使いを頼んで、新幹線に飛び乗りました。
 残ったたけのこは、翌日の夜、大阪から帰って(法政大学経由です)ちゃんとゆでました。で、おいしくいただきました。鮮度が良いので、ものすごく歯ざわりの良いたけのこでした。
「たけのこのおいしさが判らないなんて、天罰がくだるぞ!」
 というのがうちの娘の意見です。
 でもまだお礼状を書いていません。馬場さんどうもありがとうございます。ご両親によろしく言っておいて下さい。今夜、かならずお礼状を書きます。ほんとにお礼も言わないうちにおいしく食べてしまってごめんなさい。

 池袋の東武デパートにある一保堂に新茶を買いにいったら、新茶が出るのはゴールデンウィークが終わった頃です」と言われました。一保堂のお茶は宇治でも京都に近いほう、つまり北(店の人は上と言ってましたが)のほうの露地で作っているので、出回るのが遅いのだという説明でした。遅いというよりもそのほうが余り前なのでしょうけれども。八十八夜までもうすぐですから。

坂村健先生に会う

2007年04月23日(月)

 久しぶりに、たぶん1年ぶりか2年ぶりか、坂村健先生にお目にかかりました。お元気で、今度はコンピューターの話はなしでもっぱらワイン談義でした。そこで話題になったのが「スシポリス」問題。日本の農水省が「正しい」日本食レストランを認定しようとしたところ、アメリカのマスコミから「スシポリス」と揶揄された一件です。坂村先生は毎日新聞のコラムでこの騒動に触れていて、そのコピーをいただきました。

 私も「正しい」日本食を農水省が認定するというニュースをネットで見ていました。農水省は「スシポリス」と揶揄されてトーンダウンしてしまいましたが、正直言って食べ物に「正しい」というのはややずれた発想だなと思いました。食べ物なのだから「おいしい」でしょう。もっとも、農水省が考えていたのは「正統派」の日本食ということのようでした。「オーソドックス」ということでいえば「正しい」よりも「正統派」とか「純粋な」とか「直伝の」とか、いろいろな言い方があったはずです。非難されたら、それは説明の良い機会だと考えるような柔軟性がほしいなあと思いました。で「正統派」の日本食も楽しむし、伊藤比呂美さんのお気に入りのカルフォルニア巻きのような日本食から発生したバリエーションも楽しむという感じを生み出せばいいのです。でも○か×かという発想が裏に感じられたので、なんだかいやだなあって感じがしました。

 「オーソドックス」も「バリエーション」も楽しむという点では坂村先生と意見は完全に一致しました。つまり○か×かではないのです。坂村先生も毎日新聞のコラムに書いてましたが、基準というものについての感じ方がなんだか○か×かになってしまいがちです。そう言えば、○×式大学入試の弊害なんてことが言われたのは1951年生まれの坂村先生が大学入試を受けた頃ではないでしょうか?今頃になってほんとうにその弊害が出ているのかもしれません。なんて話にはならずに、話題はひたすらどうやって、さまざまな味わいを楽しむかという方向へ行きました。いや、ほんとうに楽しい一夜でした。ワインの香りについてのお話もおもしろかったし、いかに日本の和食がフランスのニューベルキュイジーヌの料理に影響を与えたかという話題も愉快でした。終いには日本食に造詣の深い外国人を表彰しちゃおうってな話にまで発展。

 その日本食、いわゆる和食ですが、大正時代にものすごくフランス料理の影響を受けたのです。時代はめぐっていて、相互に良い影響をしあうというような感じになっているのでしょう。そういう現実の共同作業を役にたって、しかも人を楽しくするような、そういう政策をやってほしいんですけど。無理だとは言いません。きっとこれからいろんな意味で贅沢を知って世代がお役所の上のほうのデスクに座るようになったら実現するでしょう。

ノートブックパソコンを家の外に持ち出してみました。

2007年04月18日(水)

 ノートブックパソコンを家の外に持ち出してみました。実はこれが二回目です。3月にも静岡にノートブックを持って行ったのですが、このときはケーブルを忘れて、ネットには接続せずに、たんにワープロとして使用しただけでした。今度は、豆蔵さんに秋葉原についてきてもらったときに買ったケーブルを持ってきました。

 で、なんとなく使ってみているのですが……。やっぱり万年筆とは勝手が違います。ええと、ホテルの部屋に入るとここは原稿が書けるかなって反射的に考える癖ができていて、たとえ原稿がなくても「あ、この部屋で原稿を書いてみたいなあ」と思う部屋があります。居心地の良い部屋です。日本のホテルや旅館はそういう部屋に通されることはめったにないです。たいてい寝るだけっていう作りになっています。で、ノートブックですが、そういう勘? みたいなものがどうもしっくり働きません。まあ、原稿がせっぱ詰まっていれば、どこでもどうにでもなってしまうんですけど……。なんていうのか、マシーンも部屋も、自分の三者三様に戸惑っているという感じです。ま、ちょっとずつ慣れていくしかないですね。とは言え、工業製品というか、電気製品(パソコンの場合はいずれでもあるわけだけれども、いずれと呼んだらいいのか解りませんが)って、なんというか、この「慣れ」ができるまえにモデルチェンジしてしまって、それも戸惑いのひとつになっています。

 長く使える物っていうのがだんだんなくなってきていて、自分もそれにならされているようです。着るものがそれで、あんまり長く着なくてもいいやっていう気になっています。それでも気がつくと5、6年は着ているんですけど。

 仕事をするために、道具に一生懸命慣れようとすると、だんだんと自分のものの感じ方が変わっていくのに驚いたりしています。物に愛着とか執着を持つほうだったのが、そういう感じ方が薄らいでいくっていうのか、そういう自分の変化を感じます。頑固に手書きの原稿だけでやっていくっていう方法もあることは解っているんですけど。そういう頑固は歳をとってからやればいいやと思っていましたが、どうもパソコンというマシーンは歳をとってからが頑固モードに入ることを許してくれないような予感がしています。あるいはこの予感は的中せずに、技術革新の時期が終わって、ある程度、パソコンの機能が安定してデザイン的な洗練もひと段落して、落ち着くなんて時期もくるのかもしれません。いったいどっちなのだろうかしら?

スタッフルームに入れないよ(泣)

2007年04月13日(金)

 例の牛丼パソコンからスタッフルームに入ろうとするのですが、どうしてもスタッフルームに入れません。気拒否されてしまいます。どうして?どうして?何で?何で?豆ちゃんどうしたらいいんだろう?

 ひょっとしてスタッフルームの内側から鍵かけたりしているんでじゃないでしょうねえ?んなことはないか。そういうわけで、もしスタッフルームに書き込みをした方がありましたら、お返事できないのですが、許してください。どうにかして、スタッフ・ルームに入れるようになってみせようと思っています。

 あ、もう一台のノートブックパソコンからはきっと入れるんでしょうけれども、そっちはまだ試していません。配線をつなぎ直すのが、ちょっと手間です。

ボタンホールの桜

2007年04月09日(月)

 なんだか騒々しいようなさびしいような今年のさくらが散ってゆきます。さくらは花びらがひとひらひとひら散るのですが、強い風に吹かれると、ひとつの花がまるごと散ってしまうこともあります。散るというよりも花の首が折れるといったほうがいいのでしょうか?

 そういうふうに、まるごと飛んできたさくらの花を「ボタンホールにさしてはどうか」とゼミのお花見の時にすすめると前ゼミ長は真面目な顔でボタンホールにさくらの花をさしていました。これがなかなかよく似合うのです。ボタンホールに花を挿すというのは、翻訳小説を読んでいておぼえた手です。ボタンホールでなければ胸ポケット。カットと縫いのしっかりした男性の上着でなかければできない業(わざ)ですね。そういえば、卒業式前の追い出しの飲み会の時には、4年生の男性諸君はそれぞれに違う色のガーベラの花を一輪づつ胸にさして現れました。駅の花屋さんで思いついて、一人一本ずつ買ったんだそうです。なかなかやるものです。選んだ花の色がちゃんと個性とあっていました。

 なかなかやるといえば、しょっちゅう、法政のゼミに遊びに来ていた日大OBのN君。今日は卒業式と携帯電話で聞いて「ちょっと待ってて。内緒にして待ってて」と言って、学位授与式のある教室の前に駆けつけたそうです。で、卒業生に一本づつ祝福のバラを差し出したとのこと。これもなかなかやるわい!でした。私は卒業生の皆さんから、オールド・ローズと観葉植物を組み合わせた豪華な花束をもらいました。風の強い日で、花束を持っていると吹き飛ばされそうになりました。気の早いさくらがもう満開というくらいに咲いていた晩です。さくらは年をとった木から咲き始めるのだと聞いたことがあります。あれから二週間。学校の雰囲気はがらりと変わって新入生が右往左往しています。

牛丼パソコン

2007年04月08日(日)

 もう一週間も前のことですが、秋葉原に行ってきました。パソコンを買って、デジタルカメラを買ってそれから電子辞書を買って、ええとええとって感じです。

 牛丼ってパソコンを買いました。ちゃんと段ボールの箱に「牛丼」って書いてありました。まさか、丼型をしているなんてことはないかしら? とおそるおそるですがあけてみました。黒い小型のパソコン本体です。「並盛り」とか「特盛り」とか「大盛り」なんてグレードがありました。機械音痴の私にこんな怪しげなパソコンを買う能力はないので、豆蔵さんにお供をしてもらいました。昔ね、五木寛之の小説に「男だけの世界」というのがあって、その文庫本を放り出しておいたら、なぜか私の母が猛烈に「くだらないものを読むな」と怒り出したことがありました。そんなに「怪しい」小説じゃなかったんですけど。たぶんタイトルに刺激されたんじゃないかしら? で秋葉原の牛丼パソコンを売っているお店は「男だけの世界」って感じです。売り場をよっく見るとお客さんには男の子以上の男っぽい女の子や、お姉さんも混じってはいるんですけど。

 牛丼パソコンはあくまでもパソコンの本体だけなのでOSやアプリケーションは自分でいれなくちゃいけないということで、昨日、豆蔵さんはふたたび我が家に出張してきてくれました。OSがウィンドウズXPと超漢字Vを入れてもらいました。超漢字Xは秋葉原駅前の巨大なヨドバシカメラで買いました。本屋で言うと平積みのような具合になっていて、けっこう売れていました。で、今日、その超漢字を開いてみると、原稿用紙の升目が入った用紙が見当たりません。探し出すのにけっこう時間がいるかもしれません。ウィンドウズのほうはメールの末尾に自分の名前とメールアドレスを入れたいのですが、これがどうしたらいいのか判りません。さらにメールを印刷しようとすると、これもまた駄目。さてどうしたものか?

 超漢字はたくさんの漢字が使えることが特徴のひとつですから、歴史小説を書くにはぴったりで(たとえば人の名前なんか、これなしにはできないでしょう)どうしても静岡新聞の連載を始める前に、使えるようになりたいです。超漢字に搭載されている統合辞書もかなりつかえそうなので、なんとしても、仕事に使用できる状態までパソコンを飼いならす(いや牛丼だけに食いなれるかな?)必要があり、ややあせりぎみです。自分のパソコンだけではなく、原稿を受けるほうとの兼ね合いもかんがえなくちゃならないし……
 わーい、豆ちゃん、助けてよ!

青森で雪に降られました。

2007年04月06日(金)

 4日午後、東京から八戸まで新幹線で、八戸から青森までは在来線でというルートで青森を往復してきました。

 東京駅を出るときにふっと丸ノ内方面を見ると、出来上がったばかりの高層ビルの壁面のガラスに黄色みを帯びた黒雲がもくもくと写っていました。へんな空模様だなあと思うまもなく、青い稲光がぴかぴか、大粒の雨が降り出しました。この雷雨の様子は夜のニュースでもやっていましたけど、黄砂はあまり話題になっていませんでした。ソウルは高校まで閉鎖になるほどのひどい黄砂に襲われていると聞いたばかりですが、東京に雷雨をもたらした雨雲にも黄砂は混じっていたようです。

 途中、盛岡あたりはすばらしい夕焼けでしたが、青森では白いものが舞っていました。寒いこと、寒いこと。冷え込みが厳しいのは想像以上でした。翌日の朝にはうっすらと白い雪が積もったそうです。そのころはまだ寝てましたけど(笑)いつだったか4月20日ころに北海道で雪に降られて震え上がったことがありました。東京の桜の頃って、北国ではまだそんななのですね。仙台あたりでは梅の花が咲いていました。福島あたりでようやくちらしら咲き出した桜をみかけました。関東平野に出てくると、これはもう花盛りという景色を帰りの電車で見ました。

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