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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

井上眼科

2007年06月13日(水)

 どうも左目がかすむ。満月が三つに見えるというので四谷のアサクラ眼鏡で検眼をしてもらいました。すると左と右の視力の差がありすぎるうえに、左はレンズで補正をしてもほとんど視力が上がらないということが判りました。で、これは眼科に行く必要があるということになり「どこかにいい眼科はないかしら」と知人に聞くと「御茶ノ水の井上眼科があるよ」という返事でした。

 昔からある有名な眼科だそうです。で、行ってみたらこれがほんとうに大病院でした。診察室だけでも20以上もありました。へえ、こんなに大きな眼科があるんだと、びっくり。これがまた眺めの良いところにあるのです。ニコライ堂の隣の新御茶ノ水ビルの19階と20階。このあたりは高台で、東京の東側を一望のもとに眺めることができます。しかも目の悪い患者さんのいる病院ですから、すべての表示が大きくてわかりやすいのです。眼科じゃなくても、こういうふうに判りやすく表示して欲しいものです。

 で、なんだ左目だけがかすんでいるのか?この原因はわかりませんでした。来週、造影剤をいれて眼球の裏側の血液の流れを観察しますと言われました。はて、なんだろう?

私の後姿

2007年06月10日(日)

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 青森に姜英淑さんと行ってきました。

から馬

2007年06月09日(土)

 今日で東京競馬場の競馬は終わり。来週からは函館、阪神です。東京競馬場の入り口(西門)で函館の宣伝をしていました。おめあてのレースは東京ハイジャンプ。障害競争です。知人と待ち合わせて4レースのパドックを覗いて馬券を買い、馬場のほうへ出てみると、あれ? あれ? なんとから馬が一頭、返し馬に混じって走ってゆくではありませんか。あとから騎手も走って行く。おや、おやです。馬が走って行ったあとだと、人間が小さく見えること。

 で、おじさんが野太い声で野次を飛ばしてました。
「がんばれ!東京競馬場の直線は長いぞ!」
 そりゃ、そうでしょう。もちろん人間の足では馬に追いつくはずもなく、騎手は走ってきた救護車に乗せてもらっていました。から馬で走っていったほうの馬も無事。障害レースは落馬がかなり出ることがありますが、障害の前の平地競馬のレース前に落馬ってのは珍しいことがあるものです。

 今日は珍しいことがもうひとつ。万馬券とっちゃった。と言っても100円馬券ですけど。枠で買った万馬券ということじたいがかなり珍しいと言えば珍しいのです。昨今は馬連とか三連単とか万馬券どころか百万馬券も珍しくはないのですが、私は万馬券は初めて。へへへ(笑)なんとなくね、一番人気が信用できなかったのでばらした馬券を買っていたのでした。言うなれば保険の勝利。

 で、障害レース。障害に出る馬は平地競馬の馬よりも年をとっています。今日のレースに最年長は10歳。人間だったら40歳くらいの馬でした。で、若い馬できれいな馬がいて、とっても気になっていたのですが、あんまり早くはありませんでした。5歳だからこれからまだ走るでしょう。例によって(?)一頭、騎手が落馬して馬がいて、から馬のまま、ちゃんと障害を飛んでいました。空が曇って、時折、雨粒もぽつぽつ落ちるお天気だったせいか黒鹿毛の馬が妙にきれいに見える日でした。

椿事

2007年06月01日(金)

「鍵が開かない!」
いえ、私の家ではなくて、ご近所なのですが、郵便受けで郵便物をとって、家に戻ると鍵が開かなくなっていたそうです。私はちょうど買い物から帰ってきたところで、どれどれとばかりに鍵穴に鍵を入れてみました。通常はすっぽりと入る鍵が3分の2程度しか入りません。鍵穴になかか詰まっているみたいです。

 いたづらをされたのか、それとも中に人が入っているのか、突然のことに、いろいろ想像をめぐらしてしまいました。どうしたらいいんだろう?です。ふだんならすぐマンションの管理人さんを呼びに走るところですが、あいくに管理人さんも不在。しかたがないので管理会社に電話をしてみました。すると鍵屋さんを紹介してくれたのですが、鍵屋さんが到着するまでには1時間以上かかるという話でした。

 鍵をあけてもらうための救急の鍵屋さんがいるなんてことを始めて知りました。鍵が開かなくなったのは夕方でまだ明るい時間でしたが、これが夜中だったら、と創造すると、「ああ」と思わず絶望的に気分になってしまいました。我が家などは親子でそろいもそろって深夜帰宅なんてこともありますから、三人分の居場所を確保するだけでもひと騒動になるに違いありません。あるいは悪い想像をして気が動転してしまうかもしれません。

 一時間ほどして鍵屋さんが到着。なにやらライト尽きの虫眼鏡のようなもので鍵穴を覗きこみ、それから細い針金で作業をすると、鍵はすっと刺さって、すぐに開きました。鍵穴の中で、小さな針が絡まっていたそうです。鍵穴の中の針そのものに傷がついて絡まる場合もあれば、誇りなどのごみが入って絡まる場合もあるそうです。鍵屋さんの話では電気製品と同じで、鍵にもあたりはずれがあって、故障しやすい製品が多くの製品の中に混じっている場合もあるとのことでした。

 それにしてもなあ。鍵が突然にあかなくなるのはなかなかの恐怖です。

まだ雪をかぶっている八甲田山

2007年05月31日(木)

 青森の八甲田山はまだ白い雪をかぶっていました。今年は平地では雪が少なかったのですが、山の雪は多かったとのことでした。7月のはじめころまで、八甲田山は雪をかぶっているという話です。

 27日の日曜日、八戸は冷たい雨が降っていました。気温は8度もしくは7度という発表でしたが、体感温度はそれ以下の感じです。身体が暑さになじんでしまっているので、とても寒く感じま。青森県の太平洋側では「やませ」と言って夏の寒さがひどいのです。「やませ」を体験するのが二度目ですけど、やあ、寒い、寒い。翌日はよく晴れました。晴れると陽のあたっているところは真夏です。でも木陰などに入ると、ひんやりして、この冷たさは独特です。青森側から見る八甲田山もいいものですが、八戸側から見る八甲田山もなかなかです。山ってみる角度でぜんぜん表情が違います。

 八甲田山の中腹あたりでは、もう新緑が燃えていることでしょう。今週、法政大学の客員研究員として日本にご滞在中の姜英淑さんを青森にご案内するつもりです。
韓国では紅葉狩りを楽しむ習慣があり「丹楓観光」(タンプンカンジュ)と言います。青紅葉という言葉をうまく韓国語でも、英語でも伝えられなかったの「タンプンのこども」という言い方をしたら姜英淑さんが大笑いをしていました。八甲田山のぶなの林は世界遺産になっていますが、新緑の季節に訪れるのは久しぶりです。

情報機器

2007年05月27日(日)

 最初にパソコンを購入したのが95年でした。まだ日本語のヤフーのサイトもありませんでした。なんとなく便利そうな、でもどんな実用性があるのかわからない玩具みたいな道具という印象でした。携帯電話を持つようになってから8年目。カメラ付きなんていらないや!と思っていたのに、そろそろカメラの機能が高い携帯を欲しくなってます。もしパソコンがなければ、カメラ付き携帯が欲しいなんて思わなかったかもしれません。

 木曜日から、それらの情報機器が大活躍。と言いたいところですが、ちょっと機械に振り回されている感じです。地下鉄で移動中に大庭みな子さんが亡くなられたことを知らせてもらったのは木曜日の昼頃。3コマの授業をして、法政の80年館の受付で「休校措置ですね」と受付の人が電話応対をしているのを小耳に挟んだのが夕方でした。一緒にいた深野女史と「あれはきっと多摩キャンパスが休講になったんだ」と話しながら富士見坂を下って、軽子坂の軍鶏料理屋へ。姜英淑さんと韓国から来た5人の女性作家に安宇植さんを交えて会食中に「やっぱり多摩キャンパスは休講でした」という携帯メールが深野女史からありました。で、その間にもいくつかの新聞社からの電話があったのですが、「はしか」休講と大庭さんの件が入り乱れて、だんだんわけがわからなくなってきました。

 金曜日の午前中、静岡新聞の志賀さんから携帯に電話。「大庭さんの追悼文を書くんでしょ?」という質問で「いや、いまやってます」と大慌て。共同通信に約束した原稿でした。で、なんとか午前中にこの原稿を仕上げ、共同の金子さんとのやりとりは急いでいるので家デン(家の固定電話を子どもたちはそう呼んでいます)とパソコンと携帯を駆使しました。なんとなく「市ヶ谷もなあ……」という感じで学校に出てみると、とりあえずは無事。帰りはなぜかぶらぶら歩いていた坂本先生と出っくわして、ちょっと一杯。

 土曜日の朝、家を飛び出して羽田から青森に飛びました。深野女史からは「慶応が休講になりました」の情報が携帯のメールに入ってました。もし法政が休講になったら深野さんに知らせてもらうことになっていました。月曜日の授業がある長谷川先生には、休講措置が出たら私からお知らせするお約束になっていました。青森で空港を出てみると、長谷川先生の伝言が携帯に入ってました。「法政が休講になったそうです」そこで深野女史にメールをしてみると、まだ法政の休講の連絡は入っていませんでした。約束していた手はずとちょうど逆になったかたちです。で、それから、携帯メールが大活躍。授業以外の予定をどうするかという相談メールがあっちこっちに飛び交いました。最後は八戸のホテルでノートブックパソコンをネットにつないで予定の再確認。やれやれ。もし情報機器がない時代だったら、月曜日の飛行機で東京に戻って、学校の正門で「へえ、休講になってたんだ」と驚いていたことでしょう。

 いいんだか。悪いんだか。ちょっと複雑な気分。いずれにしてもくたくた。

日芸も全学休講だって

2007年05月21日(月)

 日芸の夫馬先生のMIXIを見ていたら日芸も全学休講ななのだそうです。にわかには信じがたくて、日芸のHPを覗いてら、ちゃんと休講のお知らせがありました。日大の文理が休講になっていたのは知ってましたが、場所は世田谷の桜ヶ丘なので、江古田とは離れているから「まさか」でした。

 ええと人間と一緒にしてしまってはまずいかもしれませんが、昨日、東京競馬場へオークスを観戦しに行ってきました。毎年恒例になっている中央競馬会のご招待です。で、オークスでも桜花賞の一着馬と二着馬が発熱のためにレースに出られず、混戦模様でした。それだけレースそのものはおもしろかったのですが、ううん?これはいったいどうしたことでしょうか?

 吉行和子さんと初めて御話をしました。オークス懇親会のおなじテーブルに吉行さんがいらっしゃったのです。私はこれまでパーティなどでお姿は何度も見ているのですが、御話したことはありませんでした。私が幼稚園の頃、NHKのお話のお姉さんをしていて、その頃からの憧れの女優さんなので「恐れおおくて」お話もできなかったのですが、吉行さんから御挨拶されて、びっくり。あと高橋洋子さんは一年に一度、このオークスの懇親会でお目にかかるのですが、ぜんぜん変わらないのです。女優さんと政治家ってのは、近くでみるといつも不思議だなあと思います。

 それで「はしか」なんですけど、法政大学はどうなっているんでしょうかねえ?私が知っている限りみんな元気で「はしか」の「は」の字も見える様子がないんですけど。

横須賀美術館

2007年05月19日(土)

 浦賀水道は世界でももっとも交通量の多い海域と言われていますが、横須賀美術館は、その浦賀水道を見下ろす走水にあります。観音崎とすぐ下と言ってもいいかもしれません。07年(つまり今年)4月28日にオープンしました。道路からなだらかな芝生の斜面があり、そこに新しい建材を多様した白い平屋の美術館があります。空と海との間にある美術館という感じです。平屋と書きましたが、実は地下は3階まで広がっていて、館内に入るとかなり広々とした空間が広がっています。
 景観のじゃまにならない建物。あるいは景観を一体になる建物という設計です。開館記念の展覧会は「生きる」をテーマにした現代作家のグループ展です。

 グループ展の出品者のお一人で、「うさぎとトランペット」の新聞連載時の挿絵を描いてもらった小林宣孝さんのアーティストトークを聞きに行きました。日本にいるときは潜水艦を書いていた小林さんは、バンコックへの留学をきに「お皿」を書き始めます。それから「枕」を書き始めます。お話を伺っていると人の気配が感じられるものから、しだいに人そのものを描くようになってゆくプロセスがよくわかりました。「うさぎとトランペット」のころには「眠っている人」を描いていて「私を夢見る私」や「小さな死」というタイトルが絵についていました。「うさぎとトランペット」の連載一回目で宇佐子がぱっちり目を覚ますところを描いていただいたのを思い出しました。最近の個展では髭おじさんを正面から描いたポトーレイトが印象に残っています。

 アーティストトークが終わったあと、横須賀美術館の館長の原田さんも交えて、テラスでしばらく御話をしました。浦賀水道を行くタンカー、貨物船、客船、などなどさまざまな船を眺めながらのお茶でした。レストランは六本木に本店があるイタリアンレストランだそうです。おなじテラスで犬のバグを連れた人がお茶を飲んでいました。バグは暑さでちょっとお疲れぎみでしたが、レストランのボーイさんから、タッパーに水を入れたものをもらって満足そうにしていました。ボーイさんがテーブルのお客さんに水を持ってくるついでに、犬にも水を持って来てくれたのでした。ちょっといい感じの眺めでした。でも夏になったら、ものすごく混雑しそうな美術館でもあります。

方の会 市川夏江さん

2007年05月14日(月)

 銀座のみゆき館劇場で方の会の「文の屋の女たち」を見てきました。昭和の初期の遊郭の物語です。10歳になるかならないかの女の子が、郷里の親からお金を無心される場面で、主人から「一度、田舎に帰って家の様子をみてきてはどう?」と進められる場面で、家に帰らずに借金を増やすことを承諾する場面は、なぜか、今この時代でもああいうことはあるよなあという気がしました。もちろん、娘の身売りなんてことはないのですが(表向きないことになっているとも言えますが)子どもは親のむたいな要求に黙って応じてしまうことがあります。昭和の初期の遊郭なら、それが親のむたいな要求だと誰にでも判りやすいのですが、今の時代では、ちょっと判りにくいかたちで、そういうことがありそうです。例えば「良い私立中学に入れ」というような要求だったりと言うと、お金の無心するのとは違うと言われそうですが、無条件で頷く子どもの心根はあまり変わりがないところがありそうです。

 脚本は座長の市川夏江さん。舞台では文の屋のやり手婆を演じています。花魁が一人、殺されたのか、自殺したのか、ともかく部屋で死んでいるのが見つかったというところから始まり、死んだ花魁の身の上が徐々に明かされた行くという芝居です。最後にやり手婆の独白は前述の無言で頷いた少女の心理と響き合って、品の良い美しさが漂っていました。古い時代の物語ではあるけれども、最後の独白を聞いていると、時代の新しい古いでは分けられない人間のプライドについて聞かされているようでした。


 銀座のみゆき館劇場はビルの地下にある小さな劇場です。芝居が終わって階段を上っていると、舞台を終えたばかりの市川さんとばったり出会いました。
「あ、米元さん」
 顔を見て、私のことをすぐに思い出していただけたようです。米元は私の母の旧姓です。市川夏江さんと私の母は中学、高校の同級生でした。
「そうです。その米元の娘です」
 そうご挨拶しました。親族を除けば、母が生きてこの世にあったことを知っている人も少なくなりました。ましてや娘時代のことにまで遡って知ってい人はほんのわずかです。母が亡くなってからもう27年になります。生きていればと、ちょっと母の年齢を数えたりしました。いつもお芝居の案内をいただいても、なかなか伺えないのですが、行くだびに、なんだか若々しく、品良く、美しくなられる市川夏江さんです。

ややや、上智大学は全学休校だって

2007年05月12日(土)

 ネットで「はしか」のために、上智大学は全学休校に入っているというニュースを見つけました。上智大学と言えば、私が勤務している法政大学とは、お堀伝いにお隣どうしのようなものです。電車の駅も飯田橋・市ヶ谷と四谷は並んでいます。ということは……。

 前兆というのか、大学院生が次々とおたふく風邪とかはしかなどの子どもがかかる感染症にかかったと聞いて驚いたのは、昨年の夏休みのことでした。そのときの説明では、大学院生は学習塾や予備校など、若い人が多い場所でアルバイトをしているので、そういう場所には子どもがかかりやすい感染症の菌がいっぱいいるんだという話でした。菌の濃度が高いので、大人(この場合は大学院生)も感染しやすくなるっていう話だったのです。

 連休前にやはり大学院の講義の途中で「首都圏ではしかがはやっているみたいですよ」という話題が出ました。そのときは何気なく聞いていました。春から晩春、初夏にかけては感染症の季節で、子どもが保育園に通っていた時には、毎年、なにかしらの感染症で登園停止になっていました。そういうふうに病気をしないと免疫力がつかないのですが、それが判っていてもそのたびにあわてふためいていました。

 大学が「はしか」で全学休校になったなんて話は初めて聞きました。全体に免疫力が低下しているとか、あるいは、感染症の菌のほうが強力になっているとか、そいう変化があるのでしょうか?

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