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紀の膳ツァー
2008年12月20日(土)
法政大学のゼミの諸君と、神楽坂の「紀の膳」に行きました。週末は予約はできないとのことで、ならんで入りました。かなり混雑で、最初はどうなるかと思ったけれども、そこは慣れた店員さんがうまく席を作ってくれました。お礼がいいたくなる手際のよさでした。
粟(あわ)ぜんざいを食べました。栗ぜんざいもあるかど、やっぱり粟(あわ)がいい。あの鳥のえさの粟です。
それから、カナルカフェのデッキに。いつになく良い天気で青い空に飛行船が飛んでいました。そのあとからヘリコプターも、どこへ行くのやら猛烈なスピードで飛んで行きました。
お喋りをしているうちに「冬至はいつだろう?」と言うことになり「今日か? 明日か?」誰も解りませんでした。
冬至は明日12月21日です。駅前のスーパーにそう書いてありました。どおりで、そとぼりの土手を照らす夕日がいやに赤くみえました。
帰りにお風呂用の柚子とかぼちゃを買ってきました。家に帰ってくると四年生が新年の「餃子パーティ」のお知らせメールを回していました。そういうわけで今年もだんだん残り少なくなってきました。
四面魚歌
2008年12月18日(木)
半漁人のぽにょ。買っちゃいました。横から見るとまだ魚の顔をしているところがかわいい。
「お腹のまんまる」女の子は大好き!
メタボなんて言うよりぽにょのほうが好き。 でもメタボな彼は言う 「ぽにょぽにょ言うな。気持ち悪い」と(笑)
「おててはいいなにぎっちゃお」 と歌っていたら 「ちがいます。おててはいいなつないじゃおです。にぎらないで下さい」 となおされました。
「あれはねえ、きっと老年のエロスが働いているんだと思う」 と言ったら 「映画見てないのに、とんでもない説を唱えないでください」 と叱られました。 映画を見たいけど、見る時間がないんだもの(泣) なんで、そんなとんでもない説を唱えたかというと、室生犀星に「蜜のあはれ」という愛人は金魚という小説があるのです。ニックネームが金魚じゃなくて、本物の金魚! ずっとずっと前から「蜜のあはれ」が好きでした。
ああ、忙しい。ぽにょぽにょしてられない!
欅、楓、桜。紅葉は銀杏が独走。
2008年12月02日(火)
今年は10月半ばには、桜の葉が散っていました。だらだらと蒸し暑く、紅葉は冴えた色に紅葉しないまま、かさかさと音が立つような枯れ方をしました。もっとも悲惨なのは欅。我が家から見える欅は、紅葉というよりも立ち枯れたような状態。
そのためか、身辺の病気の人が多いような気がします。へんてこな天気は身体のこたえるのでしょう。
銀杏だけがすばらしい黄色を見せています。でも、もう12月。95年のオウム事件があった年、府中の東京競馬場の近くで、すてきな銀杏並木の黄色い紅葉のしたを歩いた記憶があるのですが、あれはたぶん11月半ば。10年ちょっとで、紅葉が2週間も遅くなっている勘定になります。気候がどんどん変わっているのを、ひしひしと感じています。
秋山駿「忠臣蔵」を読みました。仕事を放り出して読んじゃいました。物語ができる必然が説かれている。そう感じました。世の中が物語を欲する時があるのだと。忠臣蔵の元になった事件がおきた元禄の世を例にとりながら、物語の出来上がる動きを簡潔に捉えているエッセイでした。
湯たんぽ
2008年12月01日(月)
「おたあジュリア異聞」の挿絵を描いている宮本さんのお兄さんから、湯たんぽの話を聞いたのは、たぶん去年の暮れでした。なんでも中国で買ってきた水枕のような湯たんぽがたいそう心地よいということでした。
うちの湯たんぽは息子が生まれたときに買った赤ちゃん湯たんぽです。プラスチック製で、本体の上に覆いがついています。赤ちゃんが低温やけどをしないようにしてあるのです。この湯たんぽを買ったときは、まさかそれから25年以上も役にたつとは思いもしませんでした。これが毎年、冬になると大活躍! 風邪で寒気がするときなどは、この湯たんぽを入れておくと、ぽかぽかして、熱が出るのを寸前で止めることができます。
無印良品の店を覗いたらプラスチックの湯たんぽを大小で売っていました。これはいいや! とさっそく大をひとつ。小をひとつ。チェックの湯たんぽカバー付きで買いました。
それで、そのあとで見つけたのです。宮本さんのお兄さんが言っていた水枕式のぽにょぽにょした湯たんぽを。数寄屋橋近くの雑貨屋さんで売ってました。
ああ、残念なことをしました。こっちの水枕式のほうがよかったなあと後悔しても、遅かりし由良之助でした。ほんとうは水枕式が欲しいのだけど、でも、そうすると家じゅう湯たんぽだらけになっちゃうし、さあどうしようかしら?
時間が消えている
2008年11月24日(月)
航空幕僚長の書いた論文が問題になった時、この幕僚長は警察予備隊創設から自衛隊創設さらにはそれからの50年以上に渡る歴史をどう考えているのかな? と疑問に思いました。
時間が消えているという印象を持ちました。時間というものを、人間の外にある物理的なものとして捉えている人には奇妙な言い方に聞こえるかもしれません。しかし、時間は人間の心のうちに取り込まれてはじめて時間となるという考えかたもできるのです。それを仮に物語の時間と名づけてもいいでしょう。物理時間に対して物語時間というふうに並べてみることができます。
田母神論文の場合、欠落しているのは戦後自衛隊の物語時間です。旧日本軍は、外国に対して信頼を失ったばかりか、日本国内でも信頼は失われていました。そこから始まる自衛隊の歴史認識が航空幕僚長の論文は完全に欠落していました。旧日本軍には陸軍と海軍はありましたが、まだ空軍はありませんでした。だから航空自衛隊は、戦後の新しい自衛隊です。そう言ってよければ、航空自衛隊は空軍であり、自衛隊の陸、海、空の三つの軍の構成の中では唯一、旧日本軍の構成に含まれてはいなかった組織です。「軍」という言葉が素直に使えないところに、田母神論文が出てくる不満の温床があるのでしょうけれども、それにしても、物語時間が終戦前でとまってしまっているのを感じます。
厚生事務次官の殺害事件で、警視庁に出頭した男は「犯行は年金テロではなく、34年前に自分の飼っていた犬を保健所に殺された報復だ」と言っているそうです。もしこれがほんとうなら、この男の物語時間も30数年前で留まってしまったか、あるいは緩慢な流れになってしまったか、この男の人生の中のどこかで時間が消えてしまったかのいずれかではないかと思います。
1985年から1995年にかけて私はずっと「時間ができない」あるいは「時間が消える」という主題の作品を書いていました。今でも物語時間という言い方は理解されにくいので、その当時書いた作品があまり理解されたとか、読者に受け入れられたとは思っていません。けれども、このごろに奇妙な事件を見ていると、あの時間に関する認識はそれほどおかしなものでもなかったのだなあと改めて思います。
時間が消えてしまったために、時間を取り戻そうとして起きる事件というのはこれからも、幾つもおきることでしょう。それらは、一般的には「狂気」のなせる業と解釈されて行くことになるでしょう。人間の心と時間の関係に私が興味を持ったのは、「狂気」の裏側の「正気」に対する興味でしたから、作品には大事件を描くことを避けてきましたけど。
クレジットカードの与信引き下げ
2008年11月18日(火)
デパートで買い物をしたら、このカードは使えませんといわれたのは10日ほど前のこと。 「この頃、こういうことが多いんですよ」 と店員さん。 たぶん与信枠(いわゆる限度額)いっぱいまで使ったのだろうと、あとでクレジットカード会社へ確認をするつもりで、すっかり取り紛れていました。それにしてもそんなにお金を使ったことがないのに、どうしてだろう? と首をひねってました。
クレジットカード会社はその時の金融情勢に応じて、与信枠を広げたり、引き締めたりしていることを以前、説明してもらったことがありました。問い合わせをしなかったのは、このところの金融危機で、たぶんそんなことだろうと高をくくっていたところもありました。
今日(18日)になって、ロイターがクレジットカード会社各社が与信枠の引き下げや、貸し出し利率の引き上げをしていることを報じていました。アメリカではクリスマス商戦がこれから始まるのですが、今年はどこも売り上げの落ち込みが予想されているそうです。さらには消費者がクレジットカードを使ってクリスマスを乗り切り、年明けに債務不履行に陥ることも予想されるので、クレジットカード会社は与信枠を引き締めているというロイターの記事でした。というよりも、その記事のニュアンスは、クレジットカード会社そのものに与信の体力がないというものです。貸し渋りをせざるをえないというニュアンスでした。
個人の消費者への与信は、企業の運転資金などにくらべればずっと小さな規模でしかないのに、それでも、与信の引き締めをしなくちゃならないところまで来ているということでしょう。
デパートの店員さんが 「このごろ、こういうことが多いのです」 というくらいですからかなりの広がりがあるのではないのでしょうか?それでどうしたかと言えば、その時はふだんはあまり使っていないもう一枚のクレジットカードで支払いを済ませました。
子どもが小さくて、クリスマスを楽しみにしていた次期にはクレジットカードを使って、支払い時期をずらして、お金の不足を切り抜けたこともありました。クレジットカードの使い方の本などを見ると不足を補うためにカードを使うのは、あんまり褒められたことではないのですけど、そういう使い方をしている人って多いのではないでしょうか。だとすると、この冬はあてがはずれたり、番狂わせであわてたりする人が多くなるでしょう。尋常じゃない事態がもっと目の前に押し寄せてくることでしょう。
個人向けのクレジットが貸し渋りから貸しはがしに発展するなんてことは想像しにくいのですが、起きるとしたらどんな形でおきてくるのでしょうか? そういうことも少し想像しておいたほうがよさそうな気がしてきました。
とぼけた秋のポケット
2008年11月02日(日)
11月をまたずに東京には木枯らしが吹いてしまいました。10月は韓国での韓日中3カ国の文学フォーラムへの出席から始まって、週末ごとにソウル、春川、大阪、沖縄、大阪と動いてました。
なんだかとぼけた秋でした。いつまでも蒸し暑く、夏の終わりもなければ、秋の始まりもない。そういう秋でした。そんな10月の終わりに、一日だけ、ぽつんと良く晴れて空気が澄んだ日がありました。その日、ひょんなことから三浦半島を南下して葉山まで下りました。
とぼけた秋がポケットの中からそっと出してくれた上天気。日景茶屋がうみっぷちに出しているレストランのテラスで午後の海を眺めていました。凪いだ海にたつ小波は、潮目の違うところで、方向を変え、幾つもの潮目が小高い山に囲まれた湾の中にあることが見ていてわかりました。
秋の海は、もちろん夏の海ほどではありませんが、けっこう賑やかでした。鰯の生簀に、漁船。趣味で釣りをする人のモーターボート。繋留されているヨット。ウィンドサーフィンの帆。などなど。ウィンドサーフィンをしていた人が、帆を降ろしてサーフィンの板とゴムの櫂だけで海の上をすいすいと渡っていました。まるで忍者。それにしても、ゴム製の櫂一本でよくあれだけ進むものだと感心しました。さすがに陸地が近づくとくたびれた様子で、櫂を漕ぐ手を止めて、海にぷかりぷかりと浮かんでいました。
この眺めもとぼけた秋がポケットから出してくれたとっておきの景色のひとつでした。
東京に木枯らしが吹く
2008年11月01日(土)
伊藤さん、昨日、東京に木枯らしが吹きました。
夏の終わりもなく、秋の初めもなく、なんとなくだらだら暑いまま、突然の木枯らしでした。例年よりも17日も早いのだそうです。なんということだ。
笑福亭仁鶴の太閤さん
2008年10月27日(月)
大阪に行ってきました。大阪の帰り道で京阪電車に乗ってみました。淀川に沿って走る京阪電車には前々から乗ってみたいと思っていました。
10月19日に京阪中ノ島線が開通したばかり。電車の駅には中ノ島線開通のポスターがありました。笑福亭仁鶴が五代友厚、福沢諭吉、太閤秀吉に扮したポスターでした。洋服に蝶ネクタイの五代友厚のキャッチコピーは忘れてしまいましたが、和服に羽織を着た福沢諭吉のキャッチコピーは「これがあれば適塾に通うのに便利でした」というものでした。着物は一万円札の福沢諭吉の肖像が着ているものに似せていました。
さてさて、太閤さんはと言えば「いざ、大阪経済復興の陣じゃ」のキャッチコピーに唐帽を被った姿。唐帽は、冠の両側に丸い耳のような張り出した部分がある被り物です。 これまた豊臣秀吉の肖像でおなじみの被り物。
笑福亭仁鶴さんに一番、似合っていたのは、太閤さんの扮装。似合っていただけじゃなくて、ポスターの仁鶴さんはうれしそうでした。うれしそうなうえに、その微笑にはちょっとはにかんだ感じもありました。そのポスターを見ていると、やっぱり大阪の人は太閤さんが好きなんだなあと思えてきます。駅に張ってあったポスターを失敬したくなるくらい笑福亭仁鶴さんの表情の良いポスターでした。
沖縄に行ってきました。
2008年10月23日(木)
那覇もさすがに朝晩は涼しくなったということでした。 沖縄は沖縄タイムスの新沖縄文学賞の選考会でした。
国際通りをぶらぶら歩いていたら、いきなり「中沢さん」と声をかけた若い女性がいました。私はしばらく「???」でした。顔を見覚えがあるのですが、うまく名前と結びつかないのです。最初は法政が日芸で教えたことがある学生かもしれないと思ったせいで、とっさに誰だかわからなかったのです。綿矢りささんでした。 「どうしてこんなところにいるのですか?」 と聞かれても、それはこっちが言いたいセリフだとばかりに答えられませんでした。
韓国で開かれた文学フォーラムで綿矢さんにお目にかかったのはつい一週間ほど前でした。ソウルから春川に移動したあと、ふたりでお喋りをしながら散歩しました。で、那覇の国際通りに現われるとはお互いに思っていなかったので、びっくりでした。
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