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これから
2009年03月06日(金)
熊本に行ってきます。飛行機が揺れないといいなあ。
文章は気合だ!
2009年03月04日(水)
そういうわけで、卒業が決まったM君、気合を入れて一日だけがんばってみて下さい。気合が入ると思いがけずすごい文章がかけます。
「なんだかわからん」と思った皆さん。なんだかわからんままにしておいてください。
文集担当のMさん、ごめいわくをおかけしますが、どうぞよろしくおとりはからいお願いします。
誰か法政の学生でここを見ていたら「気合だ!」と叫んでいたとM君にお伝え下さい。ではでは、
本日は私信でした。
出てきた。
2009年02月23日(月)
かげもかたちもなくなちゃった保険証。このコラムを書いているときに「あ、もしかしたら落としたのかもしれない」と思い当たりました。それで遺失物の届けを飯田橋の交番に出しに行くと、(これは再発行をお願いしたときに係りの人から遺失物の届けを出しておいてほうがいいですよと忠告されたから)あったのです。どなたかが警察に届けてくれていました。麹町警察まですぐにとりに行きました。取得者の名前はあかさないということでした。
拾ってくださった方、どうもありがとうございました。
消えたもの。出てきたもの。
2009年02月17日(火)
病院へ行こうと思って保険証を出したのです。それから病院へ持って行く書類といっしょにクリアファイルに入れました。そこまでははっきり覚えています。ファイルをハンドバッグに入れて、病院へ付いたら保険証がないのです。病院に到着するまではハンドバッグは触ってないのに。と、ここまで書いて、突然、思い出しました。病院への道順を調べるためにファイルを一度出しました。
そうか。そのときに落としたのかもしれない。それなら解る。いや、病院へついたら保険証がなくなっていて、それで家に帰っても見当たらないので「謎」でした。病院は順天堂で紹介された糖尿病のクリニック。ほんとにあわててしまいました。
それから、去年の暮れから見当たらなくなっていたストールが出てきました。12月28日に新宿まで買い物に行き、関節が痛みだして、熱も出たので、車を拾って家に帰ってから、ストールが見当たらなくなっていました。クローゼットにしまったような気がしていたのに、ないのです。インド製で手で唐草の花柄を刺繍したもの。同じものを探してもおそらく日本にはないでしょう。で、ものすごくがっかりしていました。だって、刺繍の色に合わせて手袋まで買ったのですから。 こっちは出てきました。クローゼットの中にありました。上に別の上着をかけて仕舞ってあったのです。
消えたものと出てきたものの話でした。保険証は出てこないだろうなぁ。
ジンガロ
2009年02月16日(月)
夏休みに馬に乗りにいったとき、乗馬クラブの壁に「ジンガロ」のポスターが張ってあるのを見つけました。 前回の日本公演の時は「これが最初で最後」と言われていたので、さっそく6ヶ月先のジンガロ公演を予約。それが2月15日のチケットです。
行ってきました。ジンガロ公演。前回はチベット僧の読経の声が入るエキゾチックな演出で、馬の足運びを見せるという興行でしたが、今度はジプシー音楽を背景に猛烈なスピードで馬が疾走する舞台でした。今回のほうが解りやすし、馬術や乗馬を知らなくても楽しめる舞台でした。
場所は木場公園のテント。観客の入場は開演15分前から。テントに入ると馬の匂いがしました。中央に丸い馬場があり、馬場の真ん中に円筒形に水が流れていました。で暗い馬場に馬の姿が。4頭。最初は動かないので作り物の馬かなと思いましたが、なんというか生き物の迫力というのか気配がするのです。すると1頭が頭を下げました。ほんものの馬なんだと確認。馬場が明かりに照らし出されてみると。なんと15頭もの馬がもう馬場に入っていたのです。それだけでもびっくり。
遠景の馬場に南側に弦楽器のステージが、北側には打楽器と管楽器のステージがあり、この両者がジプシー音楽を奏でます。牧草が雨にぬれたような、幾らか物悲しい音色と、夕日のなかに埃がきらめいているようなにごった感じの音色で、リズムの早く曲が次々と演奏されました。馬も猛烈なスピードで馬場を周回し。馬上の人は体操の鞍馬の演技でもするように自由自在に動き回っています。いや、早い、早い。
どきどきしました。ステントが二個入っている心臓がちょっと痛くなりました。正直、不安でした。すごい!と興奮するのですけど、こんな狭い馬場であんなに疾走して大丈夫なのかなと怖くもなりました。馬上に立ち上がってバイオリンを弾く人もいれば、スーザホンを吹きながら、曲芸をやってのける人も出てきました。あまりに早い演技で、ええと、何が先で何があとなんだかちゃんとは思い出せません。ハイスピードのメリーゴーランドの上で曲芸をやっていると思って下さい。終盤では熊が登場。なんとこの熊が馬ののるのです。熊を連れてきたおじさんが、走る馬と一緒に走って「立て」と叫びます。これが日本語だと気づくまでに少し間がかかりましたが、日本語と気づいた瞬間に熊の馬の上に立ち上がりました。それまで本物の熊だと思っていたけれども、立った瞬間に着ぐるみだと解りました。が、直後に熊は馬から飛び降り客席に乱入。客席の女性に抱きついて、熊使いのおじさんに頭を叩かれていました。
前回の日本公演で、絶妙な馬の足裁きを披露したジンガロ氏は今回は、最後に驢馬に乗って登場。なんとあの耳の長い驢馬まで、疾走していたのです。これにも驚き。疾走する驢馬なんて、しかも人間を乗せて疾走しているのです、初めてみました。驢馬を馬だと思って乗っていたドン・キ・ホーテがみたらさぞうらやましがることでしょう。疾走する驢馬がひっこんだ後は白い馬が馬場の中央に集まり、水を浴び、あおむけになって背中を砂にこすり付けるという場面。それから、北と南の陣取っていた楽団が馬場におりて、スラブ的な音色をたっぷりきかせながら、闇に沈んで行くというステージでした。まじで心臓が痛くなるくらいわくわくしました。
壊れる壊れる
2009年02月15日(日)
家のなかにもののけがいるんじゃないかと思いたくなるほど、散らかることがあります。もののけはほんとうにいるのかもしれません。
退院してきてから、ものが壊れる。壊れる。身代わりになっているみたいにいろんなものが壊れました。まず洗濯機。これは11月ごろからエラー表示がでて洗濯が途中で止まってしまうのです。1月に修理依頼いしたんですけど、まだ修理屋さんが来ないの。もう一度、修理依頼をしなおさなくちゃ駄目みたい。
急須の蓋が真っ二つに割れました。これは退院した日のこと。洗っていたら、真っ二つになっちゃったんです。それから、ガラスのポットの底が抜けました。割れなかったけど、お茶がどんどん漏ってしまって使い物になりません。さらには私の部屋の時計が止まっちゃいました。電池を入れ替えたんだけど、ぜんぜん動かない。ドイツ製の安い時計だから20年も使ったら寿命なのかもしれません。
なんでこんなに次から次へと壊れるのだろうと不思議になるくらいです。時計は昨日、新しいのを買ってきました。日本標準時を自動で受信するという時計で、ちくたくちくたくという音がしません。いつのまにか時計屋さんって少なくなっちゃったのはどういうわけでしょうねえ?携帯とかパソコンとかそういう機器で時計の役割も持たせちゃっているのでしょうか? 2年ほど前にいつも使っている時計を修理にださなければならなくて、修理から戻るまでの間の合わせで腕時計を買おうと思ったら、街から安売りの腕時計が消えているのに気づいて困ったことがありました。
それにしてもここ2週間は「壊れる壊れる」です。なんだか電気釜の怪しい動き方をしています。これって家の中のもののけが身代わりになってくれているみたいな気がします。もしそうなら、ふだん、家の中を散らかすくらいのいたづらは大目に見てあげてもいいんだけどなあ。
「おたあジュリア異聞」完結
2009年02月14日(土)
今日「おたあジュリア異聞」完結します。夕刊ですからまだ配達にはなっていないと思いますが。ともかく今日で最終回です。というのは静岡の話。熊本日々新聞で読んでくださっている皆さんはまだ数日続きます。たぶん、来週の半ば頃に完結です。
皆様、御愛読ありがとうございました。
飛行機では離陸後の10分間と着陸前の10分間はたいへん緊張するそうですが、連載小説も最初の1ヶ月と最後の1ヶ月は、ちゃんと書き始められるか、ちゃんと終われるかで、緊張します。急性心筋梗塞の入院騒ぎはちょうど、その1ヶ月手前のことでした。 飛行機なら着陸のベルト着用のサインを点灯させて、客室乗務員もコックピットも緊張するようなタイミング。ミニチュアの模型のようだった滑走路が、パイロットの視界の中でだんだんとリアルな大きさになり、誘導灯も目視できるようになってきているところって感じです。もう着陸態勢に入っちゃっているのに、中断させたくなかったのです。
飛行機と違って着陸に失敗しても、乗客が死ぬようなことはない(あ、書いている作家本人が死んじゃうのは別ですが)ので、その点は気楽といえば気楽ですけど。 とにもかくにも、皆さんのご協力と御はげましで完結までこぎつけました。どうもありがとうございます。 「おたあジュリア異聞」は集英社から本になる予定です。本にするには手を加えようと考えているので、やや時間がかかるかもしれません。本ができましたら、またお知らせします。
田原総一郎ノンフィクション賞
2009年02月13日(金)
というわけで、退院しました。入院中お世話になったお医者さん看護士さんどうもありがとうございます。御礼申しあげます。
で、ここからは心臓に悪い話。作家の宮崎学さんが私を大急ぎで探しているという報告は、息子からも、このHPの管理人の豆蔵さんからも報告が入っていました。 「はて、なんだろう?」とは思いましたが、集中治療室から出てきたばかりじゃあ、どんなに探されても何もできません。それで、豆蔵さんにも息子にも「心筋梗塞を起こして入院中だ」と伝えてもらうように頼んでおきました。
そんなに大急ぎなら一週間も過ぎてしまえばもう「御用済み」だろうと思っていたら、退院してみると宮崎さんから「連絡を下さい」と留守電が入っていました。
私が歯槽膿漏の痛みを抱えていた時、新幹線の中で数学者の森毅さんに出会ったことはこのコラムにも書きました。森さんとは同じ車両だったので、新幹線に乗り込むときにご挨拶をして立ち話をしてます。「この頃、知り合いがようけい死によって」というお話をしたのです。同じ新幹線には宮崎学さんも乗っていました。が、こちらは恐ろしいほどの痛みで、それどころではなかったのです。この時、ホームを歩いている二宮清純さんも見かけました。なんだ、この新幹線は、月刊誌の目次みたいじゃないかと、思いつつ、歯医者さんに電話をしたのです。痛みが尋常ではなかったので、飛び込みで診療してもらう気になりました。例の痛いで歯医者さんに連絡をとったのはこれが最初。
宮崎さんを一番最近に見たのはこの時ですが、そんなわけでお話もしませんでした。この時の痛みの帰結はここまでに書いてきたわけですが、今度はその宮崎さんから「連絡を下さい」の伝言。
電話してみました。すると、宮崎学、魚住昭、佐藤優で「田原総一郎ノンフィクション賞」を作るのだというのです。こう言っちゃあなんですが、想像するだけで、なんか心臓に悪そうなメンバーだなあと、電話を聞いている私。出版社やテレビ局の支援を受けない独立系の賞にするということで、資金援助を申し入れた版元もあったけれども断ったということでした。ますます心臓には悪そうな話であります。
ノンフィクションというのは、取材で小さな事実証言を積み上げ、さらには、その事実や証言のウラもとるので本はいきおい厚くなるのです。8ポ2段組400ページなんて当たり前。賞を制定するなら、その分厚い本なり原稿なりを読まなくちゃならないのです。運動なら心臓リハビリでどの程度の運動が可能か知れべられますけど。読むのもけっこうこれで身体を使うのです。なにもフィクションの作家である私をひっぱりださなくても、ねえ。昨日まで病院にいたんだし。「女の人にひとり入ってもらいたいんで」というのがその理由でした。
急いでいたのは記者会見までに、私の意志が知りたかったというのが理由でした。1月22日に記者会見があったそそうです。 「それで、もうどなたか決まったのでしょ」 「いや、選考委員をさっき言った『3人ほか』ということにして、『ほか』は誰だと聞かれたけど、交渉中ということになってます」 そんなあ。ああ、やっぱりこれって心臓には悪いよ。運動検査じゃなくて読書検査ってのがあればやってもらわなくちゃ。1日に200ページ以上は読むなとか。
この件を知人に話しすと 「それでどうしたの?」 と聞かれたので 「うん、と言っちゃったんだ」 「じゃあ、やっぱり今までと変わらないじゃ」 とまあ、そういうことなのです。どう考えても心臓に悪そう。
糖尿病教室
2009年02月12日(木)
インシュリンの注射は、ご飯が最初に出た時から始めていました。最初に習ったのが「低血糖症とその対処法」。インシュリンを使い始めたらまず、これを覚えておかなくちゃならないみたいです。インシュリンを使い始めたらずっと使い続けなくちゃいけないと聞いたことがあったので、その点をヨシダセンセにお尋ねしてみました。
幼稚園や保育園には小さいのに、とても冷静で博士みたいな顔をした坊やが必ずクラスにひとりくらいはいます。ヨシダセンセは小さい時はきっとそういう坊やだったのだろうなと思わせる先生です。で、そのヨシダセンセは「ううん、づっと使い続けなくちゃいけないかどうか、今のところちょっとわかりません」でした。わからないということは、使い続けなくてもいい場合もあるわけだなあとぼんやりと理解。2、3日したら「注射じゃなくてお薬の服用に戻せるかもしれませんよ。今は心臓を保護するのに即効性の注射を使っていますけど」というお返事がきました。
この即効性という意味がよく解らなかったのですが、要するに何かを食べる直前に注射をするとすぐに効き目が出るという意味らしいのです。だから最初に看護師さんから低血糖の説明があったわけです。それから「退院後に通う病院を決めて下さい」とも言われました。順天堂は大混雑ですから、慢性病の糖尿病の治療に通うのは不向きなので、どこか病院を決めてから退院して欲しいということで、決めなくちゃ退院させないよとまで言い出しそうな感じでした。最初は自宅の近くが良いとのことでしたが、お話をして行くうちに飯田橋に順天堂系列の専門クリニックがあって、ビジネスパーソンのための夜間診療もしているということが解り、その病院がよさそうだと、そこに通うことを決めました。 その間にも、ご飯のたびに血糖値の測定とインシュリンの注射の方法を練習していたわけです。
火曜日に糖尿病の授業をふたつ受けて下さいと言われた時「90分ですか?」と尋ねると「60分です」というお答え。「試験もあるのかしら」と半分冗談で聞いたら「試験はありません」というお答えでした。でも試験問題はありました。
二度目の火曜日に糖尿病教室に行くと受講生は4人。おじさんが二人とお婆さんそれに私。午前中は糖尿病一般についてのお話。毎日、病室で出されているご飯は身長を基準にしたものだそうです。実際に食べた感じで覚えて下さいという説明。すると私の隣にいたおじさんが 「俺に食べさせないで女房に食べさせてくれ」 といいました。確かにそのほうが実際的かもしれません。 「奥様にも入院してご飯を食べてもらうコースもあります。保健適応ではありませんが」 というお答えで、へえと思いました。 説明が進むうちにまた隣にいたおじさんが 「こういう糖尿病のメニューを弁当にして届けてくれるとか宅配してくれるってのはないのかしら」 と言うのです。すると 「割高ですけど、そういう宅配メニューもあります」 「それを注文して女房に食べさせればいいんだ」 とおじさん。確かにそれはいい考えです。 「奥様だけじゃなくて一緒に食べて下さい」 それはそうだ。 「病院のご飯はおいしくないかもしれませんが、食べた感触で一日の摂取量を覚えていただくといいのです」 と先生。するともう一人のおじさんが言いました。 「病院のご飯はまずくないよ。おいしいです」 そうなんです。病院のご飯はおいしかったのです。 午前中はこんな具合でお終い。 午後は「糖尿病と使用する薬」の話。プリントが配られました。プリントを見ると最後に括弧の中に正解を書き入れる問題が10題ほど出ています。10題のうち2、3題はひっかけがありそうな曲者の問題。ほうらね、試験はないけど問題は出てくじゃんと思っていたら、お話の最後のほうで、この問題をとくことになりました。どういうわけだか、ひっかけ問題ばかり私の回ってきました。ま、私が講師でもスムーズに講義を終わらせるために同じ選択をしたかもしれませんが。
授業のあとで病室に来たヨシダセンセが「お教室はどうでしたか?」と尋ねるので「糖尿病のことがよくわかりました」と当たり障りのないお返事をしました。 「間食をしていただきたくないというのがあのお教室のねらいなのです」 と、これを聞いて、それまで糖尿病一般について円を描くように教えてもらったという印象が、急に一本の筋が通って全体の狙いが見えました。ああ、そういうことかと納得。何かを食べれば血糖値は上がるのは当たり前なことで何も食べないわけには行きません。そこで、一日24時間のうちにどうやって血糖値が低い時間帯を確保するのか、それが重要だということになるわけです。お話していて、そのポイントがぴんと来たわけです。
病院にいる間に次々にいろんなことを説明されました。説明されて理解できるうちはいいけど、もっと年をとったらどうなるのでしょうね?だんだん新しいことや面倒なことは理解しにくくなるわけで。 大学の教授会でさえ、新しい概念や考え方が入っているたびに、もめるというのではなくて、概念の理解や考え方の理解がうまく行かなくて迷走することがあります。そんなの年中で、説明ってのもなかなかむずかしいもんだなとため息が出ることも珍しくありません。
それはともかくとして、これで退院です。家からはもう退院用の靴も上着も届いていました。でもスカートだけは届いていなかったのです。スカートがなくちゃ病院の外に出られないじゃん。たぶん娘がそうしたのでしょう。やれやれ。もちろん、翌日には息子と娘がスカートを持って迎えに来てくれました。
ハニートラップ
2009年02月11日(水)
ハニートラップは通常は男性に対して美女がしかける甘い罠ですが、私の場合は「甘味の罠」。心臓神経症の頃、かなりの鬱状態で、心臓神経症も鬱状態の延長でおきたのですけど、この「鬱」を乗り切るのに、大量の糖分を摂取しているんです。簡単に言えば甘いコーヒー、紅茶それにコーラを飲んで鬱を迎え撃っちゃったんです。甘味は気分を安定させて頭の働きをよくしますから。たぶん糖尿病と高脂血症はその後遺症みたい。お医者さんが聞いたらなんというか解りませんが。
話は戻りますが、一般病棟に移ったときから、内分泌科の先生たちの治療も始まっていたわけです。火曜日は眼科を受診。「白内障」と聞いたときは「しめた!」と思いました。網膜症と違って白内障なら手術で症状が改善します。もっとも、網膜症があるかどうかはまだ解らないのですけど。で、同じ日に保健委員先生が糖尿病の病状説明。 ご飯は糖尿病用のメニュー。少なかったご飯の量が増えたのは、木曜日でした。ご飯を増やしましょうと言われて楽しみにしていたら、おかずはふえずにご飯の量が2倍になりました。その昔、糖尿病にかかるとご飯をひかえろと言われたのですけど、今はたんぱく質などを控えてかわりにご飯を食べるようにと指導しているみたいです。昔のお医者さんはこんなに豊富に食べ物が出回る時代がくるとは思わなかったのでしょう。
金曜日になると「退院は火曜日に糖尿病教室の授業を2つ受けてからにして下さい」と言われました。だから退院は翌週の水曜日ということになりました。糖尿病の教育入院のコースに割り込ませてもらったみたいです。血糖値の測定とインシュリン注射はご飯を食べ始めたときから、少しづつ覚えるようにしてました。
病棟実習生君がハンマーと音叉を持って病室に現われたの木曜日の午後。反射神経の検査と手足の神経の検査をさせて下さいということで、応じました。 「どうでしょう」と尋ねると「まだ二人の患者さんにしか試していないのでよく解りません」というお返事でした。イング先生が来て同じ検査をしたのが金曜日の午後でした。この日は息子が彼女を連れてやってきたので、彼が帰る時、病院のエントランスまで見送りに行きました。病院の入り口のあるレストランは「山の上ホテル」が出しているレストランでした。「へぇ、山の上ホテルなんだ」と3人で覗きこんでしましました。息子が「ご飯を食べて行こうかな」というので「それでもいいよ」と言ったのですが、水道橋のシビックホールでのリハーサルに間に合わないかもしれないと、ホルンを背中に背負ってエレベーターを降りてゆきました。
翌日の土曜日、夕方、娘が来たので、やはり帰りにエントランスまで見送り。娘はレストランでサンドイッチを、私はお砂糖を入れないストレートティを飲みました。日曜日にはお見舞いにもらったお花がくたびれてきたので、片付けました。病院の入り口の日比谷花壇を覗いたらいんげん豆の花を売っていたので、これを買ってきて活けておいたら、月曜日には花が散って、小さな豆がなりました。熊本から大きな花かごが届いたのは月曜日。菊の花が良い匂いをたてていました。看護師さんが感心してみていました。
二度目の月曜日はいちばん閑な日になりそうだと思っていたら、午後になって予定になかった心臓リハビリの呼び出しがかかり、例によってストレッチと自転車漕ぎを20分。ついてにウォーキングマシーンで20分のお散歩もしました。病室に戻ってくると病棟実習生君が現われて「もう一度、検査させて下さい」と病室にやってきました。同じ検査を再度試みた病棟実習生君は、首をかしげています。 「さしつかえない範囲でいいですから、先生の検査と君の検査はどの程度、結果が違うのか教えて下さい」 と尋ねると 「先生の検査だと足には少し感覚の鈍磨があるのですが、僕の検査だと正常なんです」 というお答えでした。 インゲ先生の叩く音叉はたとえて言えば遠くで聞く除夜の鐘ですが、病棟実習生君の叩く音叉は大げさに言えば鐘の中に頭を突っ込んでいるような感じでした。叩いたとたんに部屋の空気がび〜んと響くのです。 そのことを告げると 「でも、思いっきり叩いていいと教わったのですけど」 と腑に落ちない顔でした。 そうねえ。思いっきり叩いていいと教えてもらったのがどんなシチエーションかにもよるなあと思ったものです。慣れない道具をおそるおそる使っている様子を見た先生が「思いっきり叩いていいよ」というのと、20代前半の青年が力任せに叩くのでは、まったく力加減が違うわけで。
医学生というのは教室で勉強して試験を受けたりレポートを書くほかに、手の技を覚えたり、目を利かせたり、患者さんとの応対にも慣れなきゃならないので、なかなかたいへんです。
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