|
|
|
|
|
|
イギリスに行ってきます。
2009年07月22日(水)
イギリス南部のコーンウォールという町までロンドンから列車で旅をしてきます。まだ使ったことがないデジタルカメラを使ってみようと思っています。
帰りは月末です。では、行ってきます。
お金のなる木
2009年07月13日(月)
「お金のなる木」ほんとうはもっといい名前があるのでしょうけれども、なぜか「お金のなる木」と呼ばれている植木があります。うちの「お金のなる木」は、かれこれ17、8年前に叔母の家に庭先から一株もらってきたものです。ずいぶん大きく育っていました。
それがこの春先から大風が吹くとぼきぼきと折れるようになりました。木としての寿命が来たようです。木と書きましたが、実際は多肉質の植物です。で、100年に一度の不況と言われる時節柄、「お金のなる木」が枯れてしまうのは、縁起がよくない。 でも、大丈夫。「お金のなる木」は挿し木でよく付くのです。で、小さい鉢を3つほど使って挿し木をしました。「お金のなる木」を増やしたわけ。
「お金のなる木」のほうも、寿命が来ると風でぼきぼき枝が折れるのには理由があるようです。折れて吹き飛ばされた枝が、どこかの地面に刺されば、そこから根が伸び、新しい「お金のなる木」になるというわけ。それもベランダでは望みがないなあ、と思っていましたが、今朝、他の植木鉢にちゃんと根を下ろしている「お金のなる木」の小さなやつを発見しました。ことによると、どこかとても遠くへ吹き飛ばされて、そこで根を下ろした「お金のなる木」もあるかもしれません。「お金のなる木」の度胸はなかなかのものです。 思い煩うことなかれというのは、こういうことを言うのかもしれません。
いけども、いけども。
2009年07月08日(水)
時々、原稿を書くのがいやだなあと思うことがあります。もうちょっと正確に言うと「原稿を書く状態に入ること」が嫌だなともたもたするのです。どうして嫌かというと、身体をここという空間に置いたまま、自分はどこか別のところに行っちゃうから。原稿を書いていると時間の進み方も、身の周りの空間の把握の仕方もいつもとはぜんぜん違うものになります。
きっと絵を描いている画家も、音楽を演奏している演奏者もそんな感じなのでしょう。いや、画家や演奏者だけではなくて、絵を観ている人も、音楽を聴いている人も今ここにいるという感覚が薄らいでいることでしょう。時間を忘れて本を読むことがあるように。原稿を書いている時はそれと同じなんです。「原稿を書いている状態」に入るのが嫌だなあと感じるのは、そうなりたくないという意味です。
結果として書き終わるとどうなっているかと言えば、家の中はもののけがいたんじゃないかと疑りたくなるぐらいごちゃごちゃ。どうしてこうなるの! と。若い頃に比べたらだいぶ用心はしているんですけどねえ。それで新聞連載を始める前には、コンテナ倉庫を借りて、家の中のいらないものをそちらに移したりもしましたし、そこまで用心したけれども、思い返してみると去年の4月頃から、用心だけじゃあ足りなくなって、無理に無理をかさねていて夏休みを待っていたにもかかわらず、夏休みは学校があるとき以上の大混乱で、切り抜けるのがせいいっぱい。そのまま秋に日中韓の文学フォーラムに出かけて、ようやく一息ついたのは11月。なぜか奥歯が痛みだしたと思ったら、これが心筋梗塞の前兆で、1月には救急車。12日ばかり入院して、退院した次の日に卒論面接で、そのまま入試の採点へ。
そんな具合だったので「あ、あ、遊びたい!」という心境になり、熊本から博多に出て瀬戸内海を遡って大阪へ。外をふらふら歩き回るのはちっとも苦にはならないのですけど、これが「義務」という文字がつくとあらゆることが「イヤダ!」になる始末。大阪の四天王寺で舞楽を見たのは4月中旬。それから小袖の展覧会も見ました。あと京都もふらふらしたし。映画も観たい。芝居も観たい。取り壊しが決まった歌舞伎座にも行っておきたい。ゴーギャンの展覧会も行きたい。ど、ど、どうしよう。あ、イギリスに行く予約があったのをうっかり忘れていた。というような具合で、何が言いたいかというと、ようやく、もののけがいた家の中を片付け始めたのです。家の片付けをすると「原稿を書く状態」に入るのが嫌になってしまいます。だって、それってもののけを呼び込むのと同じなんだから。
家の主が心ここにあらずの状態になると、それっとばかりにもののけが家の中に入ってきていろいろいたずらをするのです。書類を隠す。なんてのはいつものこと。なぜか冷蔵庫の牛肉がなくなる。(お母さん、それってお母さんが食ったの忘れているんだよと、息子は言いますが)一万円札が全自動洗濯機の中でぐるぐる回っている。3年前に支払ったはずの古本屋から請求書が届く。どうしてこんな物を選んだのだろうと首を傾げたくなる赤いワンピースが出てくる。それもこれも、私が原稿を書いていたために、心ここにあらずで、もののけが忍び込んできたおかげだとしか言いようがありません。
んなことは言ってられないので、机周りを片付け始めました。これが「いけども、いけども、どこまで続くぬかるみぞ」という状態。もののけさん、もし私の嘆きが聞こえたら、ちょっと姿を見せてくれませんかね。いえ、いたずらをするなとは申しません。お姿をひと目だけ見たいのです。どうも、数々のいたずらの性質から見て、ものすごく怖い妖怪変化とは思えないのです。きっとかわいらしいお姿をしているのではないかと推察しています。そのかわいい姿を見ることができたら、この「行けども、行けども どこまで続くぬかるみぞ」の状態もまあ、笑って片付ける気になるかもしれません。
K2旅行記 始めました。
2009年07月05日(日)
韓国の女性作家 姜英淑さんとの往復書簡「K2旅行記」始めました。ほんとうは今年の初めにはもう姜英淑さんのお手紙は届いていたのですが、私がちょっと救急車で運ばれて、最初の旅行があの世に行くというとんでもない展開になりかけたので、遅れました。
姜英淑さんは2年ほど前には、法政大学の研究員として半年、日本にご滞在でした。2006年のことです。その時は、春の熊本、初夏の青森、夏の大阪と御一緒に旅行をしました。写真は青森の酸ヶ湯温泉で撮影したものです。姜英淑さんと私で、あちこちと旅行をした様子をお互いに報告しようというページです。写真も撮影してこようと思っています。で、もうコンパクトなデジタルカメラを購入してあるのですが、まだ使い方がよく判っていません。少し研究してみます。
姜英淑さん、私もすぐにお返事を描きます。まっていてください。
皆様、姜英淑さんと私が世界を旅します。どうぞ楽しみにして下さい。
いろいろ
2009年06月26日(金)
伊藤さん、タケをお大事に!
日比さんが東京にお引越しです。近かくなりました。まだお目にかかってません。近々にお目にかかって高台にあるという新居のお話もうかがいたいと思います。かわいいポポとリリの様子も聞いてきます。
で、その日比さんの新しいお住まいのある高台の下を小田急で通り抜けて箱根塔ノ沢の福住旅館に行ってきました。このHPの作成会社の金承福さんと一緒。ほんとうは芦ノ湯まで行きたかったのですけど、飛んで行って飛んで帰らなくちゃいけなかったので、塔ノ沢にしました。それに福住旅館の円風呂に湯坂山の新緑が移っているところも見たかったし。
金承福さん、それから韓国の作家の姜英淑さんと三人で青森の蔦温泉に行ったのはもう2年も前のことです。金承福さんは蔦温泉をすごく気に入ってくれたようです。だから、木で作った円い湯桶のふちを、銅の枠で囲っている円風呂もお気に召していただけるんじゃないかと思いました。
旅館について女中さんと話していると、少し前まで蛍が飛んでいたとのこと。宿の前を流れる早川は、前日までの雨で水量が増してごうごうと音を立てていました。早川に蛍が飛び交うのは例年6月10日前後なのだそうです。私、今まで一度も蛍を見たことがないのです。だから来年はぜひ蛍を見に来たいと思いました。金承福さん、来年、また、蛍見物に付き合って下さい。
あれはペギー・ロッシュだったのか
2009年06月14日(日)
銀座のシネスイッチで映画を見てきました。和光の裏と覚えて出かけたのですけど、道を一本間違えて、少しうろうろ。初めて行く映画館でした。
見たかったのは「サガン」。この間「ココ・シャネル」を試写会で見たついでに、こっちのほうも見たくって出かけました。「ココ・シャネル」は仏、伊、米の合作でシャネルは「英語」を喋ってました。歌を歌うところだけ仏語。サガンが英語! なんてことはないだろう。フランス映画だしと思いつつ、映画館の前に到着。
チケットを買って、少し時間があったので、2件となりの洋服屋を覗いて、お買い物。映画館は地下なので、ゆるくカーブした階段をそろりそろりと下りていました。左目が曇っているので、初めての階段を下りたり登ったりする時は、ゆっくりお婆さんふうに行かないと、思わぬときに躓くのです。すると上の方から「お客様」の声。洋服屋さんに忘れ物をしたのでした。「映画に見に来たの」をしゃべっていたのが幸い。店員さんが追いかけてきてくれました。 これは、本当にお婆さんだなと思いながら、再び、階段をそろりそろり。と、今度は下から「先生!」。ゼミの島田君が白いYシャツにネクタイで、受付にいました。今日はなんだろう! 学校ではネクタイを締めているところは見たことがなかったのですけど、やっぱり男性はネクタイを締めるとなかなか立派に見えます。 「ねえ、ここって全部、禁煙かしら?」 「あ、全部、禁煙です」 「じゃあ、外に行って煙草を吸ってくるから、チケットの半券を返してもらえないかな」 「再入場券があります」 てなことを問答をして外に出してもらい、煙草を吸って戻りました。だって、この間、見た「ココ・シャネル」はずっと煙草を手放さずに、コレクションの準備をしていたんだから!それにサガンもシガレットは大好き。うちに30年前にサガンと対談をした時、もらったサイン入りの肖像写真があるけど(どっかにあるはず。でも、このごろ、見ていない。探せばあるはず)その写真も煙草を吸ってました。
で、30年前の夏、サガンに会った時からずっと気になっていたことがあったのです。サガンの隣にいた栗毛色の髪をした背の高い美人は、誰だったのだろう? ってことが。サガンとは親密な様子で、吸いかけの煙草を二人で吸ってました。編集者? 日本の編集者とは雰囲気が違うのですが、フランスの編集者って付き合ったことがないからわからないし? マネージャー? そう思ったほうがすっきりするのですが、外国の作家ってマネジャーがいるのかしら? って疑問は消えず。この時は小学館の女性週刊誌の依頼で、サガンと対談したのですが、小学館の編集者も「?」でそれが誰だったか判らないのでした。だからなぞのまま。
サガンとの対談はホテルオークラでしました。ロビーでデビ夫人を見かけて「あれ、デヴィ夫人は日本にいるんだあ」見とれたのを覚えています。で、編集者と一緒に客室へ。なぜかダブルのベッドルーム。きているはずのカメラマンの姿は見えず、編集者と顔を見合わせて「???」でした。どう考えても部屋の真ん中にダブルベッドがあるその部屋では対談ができるはずがありません。フロントに問い合わせたり、会社に電話をかけたりのてんやわんやがあって、結局、ホテルサイドか小学館サイドか、ミスの原因は判らないのですが、フロアを間違えていたことが判明。あわてて階段を駆け上がると、なぜか、また、デヴィ夫人と遭遇。と言ってもすれ違っただけですけど。
サガンの到着が遅れたので、まあ、相手様が来ないうちになんとかすべり込むことが出来ました。この時、サガンは初来日で、あとで五木寛之さんとの対談の中でご本人が言ってましたが、超過密スケジュールを組まれていたそうです。だから、お話なんか「もう、うんざり」という顔をしてました。で、聞き手の私のほうはひたすら「隣の女の人は誰なんだ?」という興味と、サガンの首に豆絞りの手ぬぐいが巻かれていたのが気になって仕方がないという状態。自分の緊張をそっちにそらしているということもあったと思います。それから、サガンの肌がめちゃくちゃにくすんでいたこと。艶がないというよりも、粉をふいたような状態。無数の小じわがあり、それを大きな皺が分断してるという感じ。これには写真を撮っていたカメラマンの人が驚いていました。 対談は小学館の週刊誌のためでしたが、あとで新潮社の「波」に7枚(枚数は間違っているかもしれない)ほどのエッセイを書くことになりました。これが、今まででいちばん悪戦苦闘した原稿でした。たった7枚のエッセイで10日間以上も書いては直し書いては直しをしたあげくに「書けない!」と絶叫。当時、住んでいた西荻窪の家の近くの蕎麦屋でざる蕎麦を10枚食べてもまだ書けないし、最悪だったのは眠くすらならないという状態に追い込まれたのでした。 だって原稿を書こうとすると「あの女の人は誰だったの?」という疑問が頭をもたげてきて、これはあんまり依頼された原稿とは関係がなさそうだから書けないなあと、筆が止まっちゃうのでした。今だったら、うまくこ疑問を原稿の中に取り入れちゃうかもしれませんが、その頃はまだそんな芸当は思いも付かず、次に浮かんでくるのは、カメラマンをも驚かせたサガンの皺、皺、皺。まさか「サガンは皺だらけだった」と書き出すわけにも行かず、また、そうは書きたくもなく、さあ、どうしたらいいんだの10日間でした。
結局、豆絞りの手ぬぐいをスカーフ代わりに首に巻いていたことは書けそうだと書き始めはしたものの、「豆絞り」と文字にして書いたとたんに、頭の中に「へい! いらっしゃい」となぜかおすし屋さんが浮かんで、そこからどうしても前へ進めないという状態に。ざる蕎麦を10枚食べたのは、この時。ざる蕎麦で邪魔なすし屋を撃退してなんとか原稿を書き上げました。
サガンの隣にいて青いブラウスの襟を整え、サガンの吸いかけのたばこを吸っていたのはペギー・ロッシュでした。映画を見て30年来の疑問が氷解。サガン役のシルヴィ・テステューもサガンの表情や喋り方の特徴をよく映していましたが、ペギー・ロッシュ役のジャンヌ・バリバールも驚くほどペギー・ロッシュの特徴を出していました。サガンよりも記録の写真や映像は少ないはずだから、これには驚きました。で、そのペギー・ロッシュは誰なのかというと元モデルで、後に「エル」誌の編集長(だから、なんとなく編集者の匂いもしたのねと、映画館の座席で納得)それからスタイリストとなり、サガンとは15年間、同棲していたという人物でした。なるほど。なるほど。で、映画を見ていた気づいたのですが、あの夏のサガンはまだ40代前半の年齢だったわけで、それであの皺では、カメラマン氏も驚くはずです。たくさんの皺に中に、写真でよく見知っているサガンの顔がうずもれているという感じでした。うずもれてはいるけれども、消えちゃっているわけではないの。むしろこんなに皺だらけでもサガンはサガンの顔をしているとそういう顔をしていました。カメラマン氏と「カミュは交通事故で死んじゃったけれども、サガンは助かったんだから」という話をしました。
カナルカフェに蛍
2009年06月10日(水)
市ヶ谷経済新聞によると外堀のカナルカフェで蛍がいるらしい。それから東京大神宮のせせらぎにも蛍がいるとあった。「へぇ」である。というのも、実は蛍をまだ見たことがないので。
子どもの時、家の近くの農家の知り合いが「蛍をみにいらっしゃい」と誘ってくれたことがあったのを覚えているのだけれども、実際には見に行ったことがない。田んぼ一面に蛍が飛んでいるという話を聞いただけ。で、それからすぐに農薬の影響で蛍はいなくなってしまいました。そのうちに蛍見物に行きたいなあと思いながらもまだ見たことがないのに、案外、近くにいるものだと感嘆。関東は今日、梅雨入りしたそうです。
家の中でキャンプ
2009年05月29日(金)
水曜日から給湯管の工事をしています。お湯が来る管なの。で、台所と洗面所とお風呂場とトイレが、交互に使えなくっています。昼間はトイレも使えないんだけど、工事が止まる夜はトイレは使えます。でも、台所は水曜日から金曜日の夕方まで使えませんでした。
それで缶詰でご飯食べています。家の中でキャンプ状態。この間、伊藤さんと明治屋に行ったんだから牛肉の大和煮とコンビーフを買ってくればよかったなあと少々後悔。それにしても小さな子どもがいないと、家の中のキャンプもそう悪くはないなあと思っています。
缶詰は「万が一」の時に食べるものだからと、子どもの時に言われてました。「万が一」ってどんな時なんだろう?と思っていました。「大洪水」「大地震」「高潮」「津波」などが「万が一」なのだと聞かされていました。あんまり、子どもの時に何度の聞かされので、感覚が逆転して、缶詰を食べると「万が一」になりそうな気がします。例外はキャンプでした。これは缶詰を食べてもいいの。
洗面台とか流し台を動かすと下から、昔の壁紙(クロス)や床のシートが出てくるんです。こんな柄だったなあって、すっかり忘れていても実物見ると思い出します。
よなよなエールとKOEDビール
2009年05月28日(木)
伊藤さん、ありました。よなよなビールじゃなくてよなよなエールでした(つまりビールなんだけど)それからKOEDOも見つけました。両方とも缶ビールを通信販売で買うのが一番手軽な入手方法みたいです。しかも両方とも複数の種類が出ております。
以上、調査報告でした。
伊藤さんと行った靴屋で靴を買う。
2009年05月27日(水)
伊藤さん、無事にアメリカにご到着。なによりです。靴を買いました。伊藤さんと靴屋さんに行った翌日、あの靴屋さんに行ったんです。
正確にはサンダル。ええと、足首と足の指の上と、その両方ともをマジックテープで止めるドイツ製のサンダルです。赤いやつ。ほんとうは、上履きみたいな金色のバレーシューズが欲しかったんだけど、そっちは、私の足にあうサイズが品切れでした。24センチなの。で、なぜか、どれもこれも24センチだけないのでした。 どうして24センチだけないんだろう?よっぽどあの靴屋さんは24センチの人が好きなのかしら?
実はあの靴屋さん、伊藤さんと行った時が初めてではありません。昔、数えてみると10年くらい前かもしれないけど、一度、靴を買いました。履きやすくて気に入っていたんだけど、どういうわけか、すぐに穴があいたの。ええと、私が靴の木型を無理やりに入れたせいかもしれません。でもすぐに穴が開いちゃったから、それからあの靴屋さんで買い物をしていませんでした。
伊藤さんと一緒に覗いたら、ちょっとまた欲しくなったの。それから明治屋の玉ねぎ、おいしかったです。ごちそうさまでした。
↑前のページ / ↓次のページ
|
|
|
|
|
|
|
|
|