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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

雪の最上川

2010年03月13日(土)

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 山形へは、山形新幹線で赤湯に出て赤湯温泉に1泊。翌日は赤湯から新庄まで奥羽本線を行き、新庄で陸羽西線に乗り換えて酒田にでました。陸羽西線は雪の多い最上川沿岸を走っています。写真は列車の中から見た最上川の景色です。

 朝、赤湯温泉の旅館を出発する前に、旅館の玄関に楽器ケースが並んでいるのを見かけました。大きさからするとホルンやチューバなどの中型から大型の管楽器が入っているようなケースでした。おや、昨夜は同じ旅館に音楽家が泊まっていたのかしらと思いながら、部屋に戻って出発の支度を整えて、玄関に戻ったときにはもう黒い楽器ケースは消えていました。赤湯温泉では快晴。雪の白さがまぶしい日でした。それが曇り空になったのは新庄です。新庄の駅を出るとすぐに雪が降り出しました。真っ白な銀世界。しかし、最上川は冬でも川くだりの船が出ていると知ってちょっと驚きました。なんでも船の中には炬燵もあって、暖かい船内から雪景色を見ることができるのだそうです。庄内平野まで出るとまたまた良い天気。広い平野のあっちこっちにまだらに雪が残っていました。酒田の駅に佐藤先生が来て下さっていたので、ちょっとびっくりしました。

 さて帰りですが、今度は日本海側を新潟まで下って新潟で新幹線をつかまえました。昨日の写真の干した鮭は、新潟の村上のものが有名ですが、その村上の少し前に列車の電圧が切り替えられる場所があり、特急列車の車内がしばらく暗くなったのをもの珍しく感じました。

寒風干しの鮭

2010年03月12日(金)

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 酒田の魚屋さんの前でみつけました。魚屋さん「売ってください」と御願いしましたが、昨年の暮れに50本ほど干した鮭はどれもみな売約済みだとのことでした。「昨日、最後の1本が売れました」と。
 夏頃まで干しておくと身が濃縮されて酒びたしにできるようになるのだそうです。

お雛様のお菓子

2010年03月11日(木)

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 鶴岡のお菓子屋さんのお雛様のお菓子です。
 さくさくした食感で、程よい甘さでした。最初はその大きさに驚きました。売っていたお菓子屋さんはほんとうに小さなお菓子屋さんでした。

山姥と金太郎

2010年03月10日(水)

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 乳母(うば)と姥(うば)は音が同じなので、時々、乳母は姥だと思っている学生を発見します。でも乳母ってお乳を上げなくちゃいけないのですから若い女の人、丈夫で健康で、一人前以上にお乳が出るという女性じゃなくちゃ乳母にはなれません。でも、写真の土人形は乳母じゃなくって山姥。金太郎のお母さんが赤ちゃんの金太郎にお乳をやっているところです。これも「あいおい工藤美術館」で撮影させてもらいました。土人形は庶民のものですが、いろいろな題材があるところがおもしろいです。若い! 山姥のしたに桃太郎の姿も見えていますし、そのとなりの鉢巻をしている女性は神功皇后です。

八幡太郎義家さん

2010年03月09日(火)


 山形の高校の国語の先生、佐藤先生とは時々メールのやりとりをしています。今度、余目の響ホールで山形交響楽団のコンサートがあるのを知らせてくださったのも佐藤先生でした。酒田でもいろいろとお雛様の展示をしているお家を教えてくれました。「酒田雛街道」という催しでお雛様を展示しているとのことでした。
 
 写真のお雛様はお茶屋さんの地主園さんのお雛様。立派な享保雛です。五人囃子ではなくって楽人が並んでいるところが京都のお雛様だなあと思わせます。今でもお茶道具は京都の問屋さんから仕入れているとのことでした。酒田はお米の集散地で、酒田の港から日本海を下った船が瀬戸内海を通って大阪に入ったので、京、大阪との関係が深いのです。

 地主園さんでおもしろい御話を聞きました。お武家さん3人が写っている写真の後方に控えているのは、八幡太郎義家、つまり源義家のお人形です。八幡太郎義家は武家の頭領ですから、五月人形なのですけど、地主園さんのお店の人が笑いながら「そのお人形は私に憑りついたんです」とおっしゃっいました。なんでも雛人形を飾り始めた頃、毎晩、夢の中に怖い顔をした男の人が現れて、じっと見詰めていたそうです。それで、まだ表に出していない人形はないかと調べたところ、昭和6年の新聞紙に包まれた八幡太郎義家さんが出てきたという御話でした。義家さんを雛人形を一緒に飾るようになってからは、夢の中に怖い男の人は出てこなくなったそうです。

 平安朝末期の源義家は武勇で知られた人物で、それゆえに白河法皇の院に昇殿を許されたのですが中御門右大臣藤原宗忠は日記「中右記」に世の中のひとは義家の院昇殿は甘心できないと言っていると書いています。
 源頼朝や足利尊氏も源義家を祖としているので、まだ武家というものが世の中で力を持つ前に、武家の時代の基を作った人物と言えるでしょう。
 だから毛むくじゃらの鐘馗様や神武天皇と一緒に並ぶよりは御内裏様の下段に加わりたいとお望みになるのも、もっともなところがあるのです。
 なんてちょっとおもしろく地主園さんの御話を聞きました。お武家様の祖と言っても周囲はお公家さんばかりの時代の人ですから、夢の中に現れても乱暴狼藉は働かずに、じっと見詰めるばかりというのが八幡太郎義家さんらしく感じました。なかなか美男子の八幡太郎義家さんです。

狆引き官女様

2010年03月08日(月)


 酒田で撮影した写真を見てみると、なぜか肩で腰紐を結った「狆引き官女」さんは写真に収めていませんでした。そのかわりに、腰紐を肩で結った官女さんの掛け軸の絵を撮影していました。昔、京都の二条城に、このようなはかまのつけ方をしたマネキン人形が置いてありました。ずいぶん替わったはかまの付け方なので、覚えていたのです。昨年の夏、二条城に久しぶりに入ったのですけれども、もう肩で腰紐を結った官女さんのマネキンの展示はなくなっていました。

写真は「あいおい工藤美術館」で撮影させてもらいました。もともとは質屋さんだった建物を買い取って美術館にしたとのことでした。大きくて立派なお蔵があり、また天井裏にはたくさんの和服や帯がありました。

鐘馗様が欲しい!

2010年03月07日(日)

 酒田でお雛様を見て、それから目黒の雅叙園でお雛様をみました。家は昨年リフォームしてからまだ物がもとへ戻らない状態なので、とてもではないけれどもお雛様を出す余裕がありません。で、酒田で「狆引き官女」なるお雛様を見ました。犬の狆を引いているはかま姿の官女です。調べてみると昭和の初期ごろまでは、ひな壇に添える人形としてずいぶん作られていたようでした。
 はかまの紐を肩で結んでいるスタイルが多いようです。どうも、このはかまの紐を肩で結ぶスタイルは幕末の宮中の習慣のようで、それが「狆引き官女」に残っているようです。いったい、この「狆引き官女」はどういう事情でたくさん作られたのでしょうか?

 雛人形というわけではありませんが、赤ん坊を抱いている武内宿禰の土人形を見たのも酒田です。こちらは五月人形のようで、神功皇后と一緒に作られたものでした。白ひげの武内宿禰が抱いているのは、神功皇后が生んだ皇子、のちの応神天皇だとのことでした。それに金太郎にお乳をやる山姥の土人形。「金太郎のお父さんは誰なんだろう?」という疑問が、五月人形を飾るころになると、時々、我が家で出ていました。山姥の子なのは熊にまたがってお馬の稽古をする金太郎の御話に出てくるのですが、金太郎の父の話はついぞ聞いたことがありません。さらには、ご存知、桃から生まれた桃太郎。これはお爺さんとお婆さんが大事に育てた男の子です。桃太郎にいたっては父母不在(桃が母か?)。お父さんとお母さんと子どもという組み合わせが五月人形に少ないのをおもしろく感じているうちに、思い出したのが、鐘馗様と神武天皇でした。

 鐘馗様と神武天皇は私の弟が持ってました。神をみずらに結い、金色のカラスがとまっている槍を持った神武天皇と髭だらけの鐘馗様を子どものときはおもしろく眺めたものでしたが、この頃はちっとも見かけません。調べてみると、兜と一緒に鐘馗様と神武天皇を飾る習慣は昭和30年代の関東地方でよく見られたものだそうです。鐘馗様は怖い顔をしていますが、その怖い顔が災いして、玄宗皇帝から、せっかく合格した科挙の位は剥奪されてしまった若者だそうです。それを悲観して自殺したのですが、鐘馗様が鐘馗様として長く記憶されるようになるのはその後の出来事のためです。鐘馗様は、病気に罹った玄宗皇帝の夢の中に現れて病魔と闘い、この世では果たせなかった自分の役割を果たす決心をしたことを皇帝に告白。これに驚いた皇帝は鐘馗様は長く祭ることにしたと。現代人の合理主義からすると、理不尽な話ですが、こんな話を調べているうちに、すごく鐘馗様が欲しくなりました。

「鐘馗様が欲しい!」

 それにしても五月人形というものは、御家庭の幸福とはずいぶんかけ離れた伝説上の人物たちが、そろいもそろっているものだと、おもしろく感じました。

ユン・サジン先生

2010年02月10日(水)

 韓国の日本文学研究者のユン・サジン先生に久しぶりにお目にかかりました。この度は、御研究と調査で日本にご滞在とのこと。ソウルは氷点下16度などという日もあり気温が終日0度以上にならないことも、この冬は珍しくないとのことでした。ソウル市内を流れる漢江は、市内で凍っているのはももちろん、河口の仁川あたりも凍っているとのことでした。いや、寒そうだけど、一度、凍りついたソウルや漢江も見てみたいものです。ユン先生と御話をしながら、昔は東京湾に氷が張る日もあったことを思い出しました。

 「東京は暑い!」とおしゃるのももっともです。確かに昨日などは最高気温が20度まで上がったのですから「暑い」と言ってもいいでしょう。東京でも、寒い冬は久しぶりですが、ソウルの寒さは桁が違うようです。韓国の大学は冬休みが長いのだそうです。12月半ばには冬休みになり、2月いっぱいは冬休み。3月にはもう新学期が始まるとのことでしたので、ユン先生の冬休みももうすぐ終わりというところでしょうか。

 日本で連翹と呼ぶケナリの黄色い花をソウルの人々が喜ぶのも、もっともなことです。そういう私はこの週末は山形へ雪を見に行こうと計画しています。それに山形交響楽団のモーツアルトも楽しみのひとつ。

ノーパンしゃぶしゃぶ

2010年02月04日(木)

 ノーパン喫茶なるものが30数年前に流行しました。大学の同級生で、このノーパン喫茶ではたらく女性をスカウトするというアルバイトをしていた学生がいました。銀座の路上でばったり出会った時に、仕事の内容を打ち明けられたのです。その時、聞いた話では、一人紹介すると10,000円、紹介した女性が実際に働くことを承諾すると30,000円の報酬がもらえるとのことでした。努力しだいで稼ぎを増やせるからと、授業料支払い直前のバイトだったようです。パンツをはかずにストッキングだけのウェイトレスさんのいる喫茶店って、いくらお給料がよくても、当たり前の求人広告だけじゃ人は集まらないとのことでした。そりゃ、そうだろうと思っていました。

 タイトルにしたノーパンしゃぶしゃぶが話題になったのは、およそ10年前。ノーパン喫茶流行から20年後のことです。大蔵省の役人が、このスキャンダラスな店で接待を受けていたということで、すっかり有名になったものです。

 私はこの時、首を傾げました。

 ノーパン喫茶ならぬノーパンしゃぶしゃぶなどというものが、流行していたら、汚職事件で有名になる前に、新たな風俗営業として週刊誌やスポーツ新聞がそれを書いているはずなのに、まったくそういうものを見かけなかったからです。それから、その頃はもう、大学へ出て講義を持っていましたが、学生からその手の話を聞くことはありませんでした。なにしろこの手の商売は「若い」人じゃなくっちゃあ、話にならないという商売ですから、大学生はいろんな意味でかかわっていて、流行していれば、なんらかの形で耳に入っていることが多いのです。
 二つ目の疑問は「喫茶」ならともかく卓上に生肉がならぶ「しゃぶしゃぶ」をノーパンの女性に給仕してもらいたいかというものです。私なら「否!」なんですけどね。さて、男の人はどんなものじゃろ? と考えて知り合いの編集者を捕まえて、意見を聞いてみました。だって生のお肉ですよ。いやノーパンのほうじゃなくって、しゃぶしゃぶのほうだけど。

 そうしたら「僕、いったことがあります」という編集者が現れました。なんでも、開店記念パーティにマスコミ関係者を大勢招いたそうです。そんな! 公官庁みたいなことをする風俗営業店なんて、聞いたことがありません。「ん? へんだな?」はますます「へんだな? へんだな? へんだ!」に変わったのです。そうこうするうちに開店記念パーティに招かれたのは、マスコミ関係者だけではないことが判ってきました。又聞きの話ですが、警視庁や警察関係者も招かれていたのだそうです。で、ほんとに出かけたのかどうか、までは知りませんが、その店の顧客名簿には公官庁の高級官僚の名前が並んでいるという噂話とジャーナリストから聞きました。
 なんだかヘンでしょ? 風俗営業というよりも、高級シティホテルか何かの営業みたいな感じがしませんか?

 センスが違うと感じたのです。生肉の件といい、開店記念パーティの件といい、お客さんのすけべ心を種にして稼がせてもらっている風俗営業のセンスじゃないなあと。結論を言うと、行政改革、霞ヶ関改革の絡んで高級官僚を陥れようとする策略なんじゃないかと疑いました。「そんなに大蔵省の名前を残したいのなら、検察や警察も検非違使にすればいい」と当時の橋本首相が言ったのもこの頃のことです。結果として大蔵省の名前はなくなりました。プライドが高い組織を改変するための策略だとしたら、ずいぶん、お金をかけるものです。開店記念パーティはご招待だったと聞いたので。

 現在の検察について疑問を呈している本を2冊読んでいます。一冊は産経新聞記者の石塚健司「特捜崩壊」(講談社)。それから郷原信郎「検察の正義」(ちくま新書)。前者はノーパンしゃぶしゃぶが話題になった頃からの特捜に疑問を呈していたので、その頃「これはへんだなあ」と感じたのを思い出したのでした。それから10数年。「検非違使にすればいい」と言った橋本龍太郎氏も鬼籍に入られていますが、今度の小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件では、大掛かりな策略もなく、ただの言いがかりのような嫌疑で、国会議員が逮捕されているように私には見えます。

時間が止まっている

2010年01月30日(土)

「去年の10月以降の書類がありません」
 助手の深野さんがそう言うのです。そうそう、去年の10月に家のリフォームしてからまだ全部、片付いていないのです。お正月にはなんとかなるかと思っていたんですけど、そうはいきませんでした。
 次から次へと目の前に現れることをやっつけるだけが背いっぱいな感じで。

 それで家の中をがさごそやってます。こういうふうになると頭が回りません。前にちょっと思ったんですけど、学校の成績が良い優等生って整理整頓が上手。あれって何か成績に関係しているみたいです。学校の生徒だった頃、先生がやたらに「整理整頓」って言ってたけど、それが成績と関係しているなんて、教わったことはありませんでした。でも、どうも関係しているみたい。

 優等生とはちょっとデキ方が違う詩人とか作家とか、それから画家とか、そういう知り合いが何人かいるんだけど、これが、なぜかみんな、整理整頓ができないというか、まあ、ぐちゃぐちゃなところにいる人が多いんです。ええとけっこう、きれい好きでも、仕事にかかるともののけでも現れたみたいに、部屋が乱雑になるというタイプが多い。ほんとうに「もののけ」が現れているんじゃないかって信じています。ただ、去年に限って言えば、その「もののけ」を呼び出す神通力が少々、低下ぎみでした。なかなか仕事にかかれない。へえ、ものを書くのってこんなに体力がいるんだなんてみょうな感心をしている。「もののけ」が現れないから、部屋がぐちゃぐちゃになることもないのですけど、さりとて片付ける気力もないというまま、ああ、もうすぐ旧正月が来ちゃうんだなあ。困った。困った。

 伊藤さん、そういうわけで、のたりくたりと、春の海になりたい中沢でした。写真はうちのポニョです。映画はまだ見てないんだけど、半漁人のポニョが好きなの。

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