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うさぎとトランペット 「無口な女の子」

2004年12月26日(日)

 『うさぎとトランペット』(新潮社・1890円)

 そうだ、「うさぎとトランペット」の主人公は耳の良い無口な女の子にしようと直感的に考えました。それがいちばんふさわしいような気がしたのです。こういうプランはたいてい急に思いつくので、なぜそう思ったかを説明しようとすると後から無理に説明をくっつけたようになってしまうことが多いのですが、今度の「うさぎとトランペット」は書き進んでゆくうちに、どうして無口な女の子を選んだのか、自分でもだんだん解ってくる感じがしました。

 しかし、その前に大問題がありました。前作の「楽隊のうさぎ」の時は私が音痴だというのが大問題だったのですが、これは小説では音は読者の皆さんに想像していただくわけで、実際に本から音が出るのではないので、一件落着。作者である私はリズム感が悪くて、歩き方がへんで、時々、自分でもあひるみたいだなと思うくらいなので、とても打楽器奏者にはなれません。

 で、今度の大問題というのは私がおしゃべりだということでした。生まれた時から喋っているみたいな子だとしょっちゅう言われました。まあ、生まれた時はさすがに「おぎゃあ」と泣いていたのでしょうけれども、最初に「パンツ」と言ってからずっとしゃべり続けているわけです。「パンツ」の次は「帽子」という言葉を覚えて「帽子、帽子、帽子」と唱えながら縁側を歩いていた話をエッセイに書いたことがあります。で、無口な女の子を主人公にして小説が書けるのかというのが大問題でありました。

 書き出してみるとこれがおもしろほどどんどん書ける。ほんとうにこんなに無口な子を書くのがおもしろい仕事だとは思いませんでした。

 じっといろんな音に耳を澄ます女の子。そういう宇佐子を主人公にしたこの小説は少し変わった小説と思われるかもしれません。ふつう小説は主人公の身の上にいろんな出来事が起こるものです。でもこの「うさぎとトランペット」の宇佐子の身の上にはそういう波乱万丈のドラマは起きません。耳を澄ます女の子の周りでいろんな出来事が起きているのです。

 5年生になった宇佐子は自分がいじめられたのではなく転校生であるミキちゃんを巡ってクラスの中に緊張関係ができてきたのに耐えられなくって熱を出してしまいます。そのミキちゃんは四年生の時にお母さんを亡くして、あんまりクラスの中のことには興味を持っていません。「うさぎとトランペット」の中ではベルディのレクイエムに良く似た「BR」という曲を夏の吹奏楽コンクールで、宇佐子とミキちゃんが聞く場面では、ミキちゃんの心の中を通り過ぎた夜と嵐が8分の自由曲の中に凝縮されている様子を隣りの席の宇佐子が感じ取っている場面を書きました。この場面は私が好きな場面のひとつです。ミキちゃんが体験した「嵐」や「夜」は言葉にするとうそ臭なるような痛烈なものですが、隣りの宇佐子が感じ方を書くことによってそれを描くことができるのです。

 言葉にできないものを言葉で表現するのは、小説をいう表現技法の持っている最大の特徴と言えるでしょう。宇佐子を書いているうちに私はそのことを改めて再認識しました。それに私たちは、いつもいつも何かを自分で体験して感情や考えを作り出しているわけではありません。耳で聞いたり、目でみたりすることで、自分が体験していないことについても、想像力を大きく広げているのです。耳で聞くことにも目で見ることにもドラマがあるということができるでしょう。だから、宇佐子の耳を通してドラマを描くのはたいへんに楽しかったのです。
「楽隊のうさぎ」の読者の方は、宇佐子の家の前に立っていた素焼きのうさぎは、「楽隊のうさぎ」の主人公の奥田克久が、彼を支配しようとしていた同級生の相田と出会う場面でちょっとだけ出てくる素焼きのうさぎだと気付いていただけたかもしれません。奥田克久と相田はまるで、大人になりかけた熊の兄弟が、偶然、秋の山道でであった時のように、テリトリーを犯す敵でありながら、どこか幽かにひとつの巣穴で育った時の懐かしさが残っているという場面でした。あの場面で克久のうさぎは素焼きのうさぎとして固まってしまいます。その素焼きのうさぎは、実は宇佐子のお父さんが娘の誕生を祝って門柱の前に据えたものでした。

 「うさぎとトランペット」では「楽隊のうさぎ」の花之木中学吹奏楽部は顧問のベンちゃんが学校を移動してしまったために、かつての吹奏楽部ではなくっています。実際、そういう現実に突き当たった経験を持っている人も多いでしょう。そして続編を書くにあたって、「楽隊のうさぎ」の冒頭に登場した宗田、川島、有木の3人のうち私は有木をミキちゃんのそばにより沿わせることにしました。花之木中学吹奏楽部でクラリネットパートで部長を勤め、高校生になってからは「本気でやらない部活なんて」といったん入部した吹奏楽部を止めてしまう青年です。宇佐子が高らかなトランペットの響きを寝床の中で聞くのはこの有木の一人での練習の音です。クラリネットパートだった有木がほんとうはトランペットをやりたくて、中学のときから密かにトランペットを吹いていたというのに驚いた読者もいるかもしれません。もともと「楽隊のうさぎ」はそれぞれがすごく孤独で独立しているのに、、共同作業をする吹奏楽に興味を持ったことから書き始めた小説ですが、有木はそういう特徴が出る登場人物でした。そしてそれはどこかミキちゃんが急激に(まさに運命の扉が開くように)経験した「夜」や「嵐」をごくゆるやかに時間をかけて経験している青年というイメージにつながりました。無口な宇佐子はばらばらになってそれぞれの道を歩いている花之木中学吹奏楽部の部員の声や音もよく聞いてくれたと思います。

 「BR」が映画「バトルロワイヤル」のテーマで、その「バトルロワイヤル」に興味を持っていた小学生の女の子が同級生を殺害するという凄惨な事件を起こしたのはまったくの偶然でした。私はこの偶然に驚きました。次のトピックでは「楽隊のうさぎ」と「うさぎとトランペット」、伊藤比呂美さん風に言えば「楽うさ」と「うさトラ」ですが、そこで使った音楽を紹介します。

 挿画・装丁の小林孝亘さんについてはこちら

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