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ゲルの解体とまぐろと詩人

2010年11月15日(月)

あと二日で移動なのでむちゃくちゃ忙しい。仕事で忙しいとかいってたきのうとかおとといなんて目じゃなかった。犬のかんづめはなくなってるし、出さなきゃならないゆうびんはあるし、銀行にはいかなきゃならないし、洗濯物はたまってるし、まだいろいろとしとくべき買い物はあるし、毎回毎回どうしてこうもゲルの解体と移動がたいへんか。こんなにたいへんではモンゴルの人たちはおちおち暮らしていられないではないか。つまりあたしは、モンゴルの人でもまぐろでもくじらでもなくて、ねっからの定住農耕民のくせにこういう遊牧民のような、回遊魚のような生活を、営んでおるから適応しないのである。今回は日本に帰りついてもしばらく放浪するので、なんだかとっても落ち着かない。片づけなくちゃいけない仕事は、最後のひとつを残してほぼ制圧した。ところがこの最後が。某所に詩をかいておる。某手帖とか某イカとかなら気楽(まだ気楽という比較級)、いくら長くなってもどんなに逸脱してもOKだ。でもここは、字数も行数も制限がある。短い詩は、S匠に言われなくとも苦手である。その上、なんとなくこっちにも「詩」みたいのを書かないと、という意識がある。その上いつものことだが、書き方をすっかり忘れておる。この「『詩』みたいの」という意識は、まったく、詩を書く上での、なんというか、がん細胞みたいなものなのである(いや比喩としては最低、だってがん細胞のことなんて何も知らないので、ことばを使った気がしない)。しかし、いやしくも詩人が、詩を書いているという状態は、なんかとってもfestive!  お、英語なまりが。

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