中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

2010年02月26日(金)

車、MINIじゃないんですかとSみさんから聞かれたので、ここで答えを。MINIはつれあいの車なので、犬厳禁ということになり、少人数の家族ででかけるときは使うけど(運転手はあたしである)、あたしはたいてい犬連れなので、たいていRAV4にのってるわけ。犬どもはなかで、さんぽださんぽだとさわいでるわけ。車には愛着がある。この車は前のセントラ(日本でいえばサニー)が事故って廃車になったあとに買ったのである。セントラの前はわけのわからないスバルかなんかの大古車に乗っていた。当時はまだこっちに移住してなかったので、置き車ていどの扱いだった。そしてその頃日本で乗ってたのは三菱のミニカで、これはひどかった。何回もぶつけてボコボコにしたのはあたしのせいであるが、新車で買って3年もたたないうちに、エンジンがいきなりとまる不具合がおきて、何度も路上で立ち往生したときの恐怖といったらなかった。こっちに来てから、リコール対象になっていたらしいというのを知った。その前は友人から譲り受けた酒屋の配達みたいな軽のバン。これが日本ではじめて乗った車だ。その前に一年ポーランドに、免許とりたてのかたちで行き、そのとき、前任者のN野さんからゆずりうけたポーランド車のポロネーズに乗った。これは免許取り立て女にはもったいないほどいい車だった。しかしあたしたちが日本に帰ったとき、友人が空港から運転して帰って、停めたっきりもう二度とと目覚めなかったそうだ。このほかに、K子が免許とるとき、当時うちの車はぜんぶ手動だったので、がんじょうなオートマ車をといって大古のボルボを買ったが、これは子どもらに「ボロボ」と呼ばれて、しかし免許取り立てガールズには役に立ったと言えよう。それからトメが生まれる直前に買って、トメを生みに病院にいったときは新車のそれで行ったというパスファインダー(日産テラノかなにか)は、RAV4が来るまで、うちの家庭車であったが、オートマのRAV4が来たあと、パッシー(という愛称だった)はしばらくベイエリアにいって娘たちに乗り回され、それから戻ってきてうちであたしの自転車代わりになった。12歳くらいの高齢になって、とうとう処分するときはほんとに悲しかった。あと、娘たちのところに、トヨタのYaris(たぶんヴィッツ)がある。娘が持って帰ってきたときにたまに借りるけど、これにはipod接続のスピーカーがついていてじつに快適。日本では、最近はずっとジャパレンである。熊本空港につくと、ジャパレンの人たちが「伊藤さん、おかえりなさい」といってくれる。長旅のつかれもいっきにふっ飛ぶ。

↓前の日記 / 次の日記↑

   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ