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日系人の現在
2012年06月22日(金)
行きがけに、LAで、数年前にアメリカに移住してきたMさんに会ったのはもう書いた。Mさんは日本人用のフリーペーパーの編集をしている。編集室は天井が高くて、アメリカ的な空間だったが、日本語が飛び交っていた。バンクーバーで、Eちゃんをつれあいに紹介する前に、まず日本語でつもる話をしたくて、ホテルのバーで二人で待ち合わせて日本語でしゃべりまくった。もっとしゃべりたかったが、レストランの予約をしてあったので、つれあいたちが加わり、しかたがない、英語に切り替えた。無念であった。Eちゃんはもうこっちに長い。あたしより長い。息子のTくんはいきいきとしておもしろい青年だった。外見はトメと同じくあんまり日本人っぽくなく、そしてトメと同じく日本語ぺらぺらであった。8年も日本人学校(文科省のやつ)に通わされたといってて、3年だとEちゃんにいわれ、「ぼくにとっては8年だった」といってたのがおかしかった。その日本人学校はSDにもあり、ほんの一学期間、カノコたちを通わせたことがある。いやがるのですぐやめてしまった。Tくんの通ったのもSDのも、土曜日だけで一週間ぶんの勉強をやろうというところだ。あたしが昔ワルシャワで働いていた日本人学校は、現地の学校をかりてふつうの日本の学校みたいに毎日授業があった。しかしポーランドの現実からかけ離れていて、狭い日本の仮想現実しかないようで、とてもばかばかしい、何の意義があるんだろうと働きながら考えたものだ。トメには最初から無理だと思って、通わせたことはない。トメが通ったのは、日系人用の日本語学校だ。Eちゃんが浜辺でパーティーを企画してくれて、Eちゃんの教え子のNさん、Jさんが、子ども連れで来てくれた。それぞれ日本で生まれて育って、カナダ人と結婚して移住してきた女たちだ。子どもたちは英語を使うが、日本語で話しかけてもちゃんとわかる。子どもたちとトメとのふざけあいが「だるまさんがころんだ」に移行した瞬間はちょっとどきどきした。どの子もちゃんと「だるまさんがころんだ」が言えた。Eちゃんちの前で、Eちゃんの別の教え子たちにも出会った。みんなこっちに長く住む日本人の女だった。浜辺のパーティーでトメとあたしがまず手を伸ばしたのがおにぎりだった。Eちゃんちでごはんを食べたとき、Eちゃんがごはんをおにぎりにして持たせてくれた。それを食べながらバンクーバーからポートランドまで駆け抜けた。
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