中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

箱根細工

2010年09月12日(日)

 昭和天皇崩御の時は、バブル経済真っ只中でした。熱海はひどく寂れていて、レジャーブームの時に出来た大型ホテルが廃墟になっているところもありました。それに比べると芦の湯は、落ち着いた避暑地の雰囲気がありましたから、その頃の私には、やや敷居の高い感じがしなくもないところでした。松坂屋で泊めてもらったのは、獅子文六が好んで使ったというお部屋。お風呂付の離れでした。お風呂は檜の湯殿に檜の湯船。一人で入るにはちょうど良い大きさでした。今でこそ、部屋にお風呂が付いているという贅沢な温泉宿も珍しくなくなりましたが、その頃は、女性で一人のお客というだけで、気が引けました。「旅」という雑誌の取材だったのです。だから、こんなに良いお部屋に泊めてもらえるのだなと、一人合点していました。

 獅子文六が好んだというだけあって、どこへも行かずに引きこもるに居心地の良い離れでした。で、テレビには何が映っていたかと言えば、昭和天皇が崩御したために、急にできた休日をスキーやスケートで楽しむ人々の姿です。歌舞音曲は遠慮ということで、テレビ放送は天皇崩御のニュース一色でしたけれども、スキー場やスケート場は大賑わい! ジュリアナ東京で、扇を振って踊っていた頃ですから、温泉なんて、もう時代遅れという雰囲気でした。日帰り温泉などが人気になるのは、バブル崩壊以降のことと記憶しています。

 麻の葉の柄の箱根細工の葉書入れを買ったのは、この時のことでした。箱が好きなんです。葉書入れは今でも使っています。それから、一番安い秘密箱を二つ。これは子どものためのお土産。秘密箱はパズルのようなものですが、家の子はまだ小さくって、秘密箱をうまくあけられずに、そのうち壊して放り出してしまいました。箱根細工は古めかしい一時代前のお土産になっていました。そのまま時代の波にもまれて消えて行ってしまうのはおしいような細工で、それから箱根に行くたびに、あまり大きくない物を買い求めていました。

 それがこのごろ、すこし様子が変わってきました。あれ!今までの箱根細工と様子が違うものが出来てきたなと、最初に感じたのは、箱根細工のマウスパッドを見つけた時でした。さて、それが何時のことかと聞かれるとあまりはっきり覚えていないのですけど、たぶん、ここ10年のうちです。模様も色も柄も、なんとなく、それまでの見慣れたものと違って、どこか今めかしくなった箱根細工が出てきました。箱根細工が出来たのは150年前、つまり幕末の頃のことだそうです。工芸品もまったく新しい意匠が生み出されずに、前例踏襲している時期と、新しい意匠が生み出される時期というものがあります。どうも箱根細工は、新しい意匠が生み出される時期にさしかかっているかのように見えます。

 150年前には西洋人が箱根にやって来て、お土産用に作られた箱根細工を買い、ヨーロッパに送ったとのことでしたけれども、今、箱根に来ているのは、西洋人もいますが、中国や韓国などの東洋人も大勢います。箱根の山のいたるところに美術館が点在し、そこは洋の東西を問わずに大勢の観光客が歩き回るなんてことは、歴史上初めてのことでしょうから、そういう環境がどんな意匠を生み出すのかを、楽しみにしています。ご当地キティちゃんとは違う、新しい意匠がそこから登場してくることでしょう。

 お土産好きな私としては、ご当地キティちゃんも悪くはないのですけれども、もう少し、大人の趣味と言うか、まあ、うまい言葉が見つからなくって困っていますけれども、自分の生きた時代の大人の趣味の意匠が出てくることを願っています。ご当地キティちゃんと、ご当地ハイチュウには、家の子どもが小学生だった時に、ずいぶんお世話になりましたが。 

↓前の日記 / 次の日記↑

   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ