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箱根で蛍を見てきました。
2010年06月11日(金)
ちょうど栴檀の木が花の盛りでした。 前の日までは一匹二匹が飛ぶだけだった蛍も一雨降ったあとでたくさん飛び回るようになりました。栴檀の花には、美しい蝶々が飛んできていました。卯の花の盛りの季節です。
泊まったのは塔ノ沢の福住楼。前に流れる早川に蛍が飛ぶことを教えてもらったのは去年の今頃でした。蛍というものを一度見てみたいと願っていました。それと言うのも、横浜から房州の館山へ引っ越した最初の年、私は小学校1年生でしたが、蛍の話を聞きました。安藤君という同級生のお母さんが「このあたりいったいに蛍が飛び交います」と言って、指差したのは、安藤君の家の前に広がる水田でした。安藤君の家は山のすそに建つ農家で、大きな広い土間がありました。蛍の話を聞いたのはその土間でした。
少し小高いところにある安藤君の家の土間から、那古船形駅にかけて広がる田んぼが見渡せました。その頃は、田んぼの中に一筋の道が走っているだけで、建物といえば小さな駅舎があるだけだったのです。 「いつでも蛍を見物にいらっしゃい」 と、安藤君のお母さんは言ってくれました。 蛍が飛ぶのは夜です。だから子ども一人では海岸にあった私の家から、山すその安藤君の家にはいけません。で、私の母の手がすいているときに、連れてきてくれるという約束になっていました。釣船屋を開いたばかりの私の家では、お客さんが乗船の前の晩にやってくるので、夜はなかなか母の手があきませんでした。それに蛍の季節は短いのです。2週間あるかないかです。 そんなわけで、あっと言う間に蛍の季節は終わってしまい、とうとう安藤君の家に行く機会は訪れませんでした。そして、それが蛍が飛び交った最後の夏になりました。翌年になると、農薬を使用する農家が増えて、蛍の数は激減してしまい、さらに翌年には蛍は飛ばなかったそうです。
私は田んぼ一面に蛍が飛ぶところを見ることができなかったのが、よほど残念だったのか、安藤君のうちのちょっと暗い土間から、昼の光が降り注ぐ水田を眺めていた時のことをよく記憶していて、蛍の季節になるとぼんやりと思い出します。土間の隅に、麦茶が入ったアルマイトの薬缶があったことがなぜか鮮明なのです。安藤君のうちでは、お父さんは市役所か何かに勤めていて、お母さんが田んぼや畑の世話をしていました。
福住楼で聞くと、最初に書いたとおり、今年は蛍が出るのも少し遅くなっていて、まだ1匹、2匹がすっと飛ぶだけだという話でした。最初の晩は時折、びっくりするくらいの大雨が降り、とても外へ出て蛍を探す気になれませんでした。翌日、女中さんが「国道の橋の上から蛍をご覧になれますよ」と教えてくれたので、玄関に出てみると、御台所の仕事をしている女の人たちが「今夜はずいぶん飛ぶようになった」と話ながら戻ってきたところに出会いました。 「たくさん、飛んでますよ。いっぱい。いっぱい」 そう教えてくれたので、国道にかかった橋の上まで出てみました。国道にはひっきりなしにライトを点した車が通ります。はて、こんなに車が通るところで蛍が見えるのかしらと、首をひねっていると、川岸の茂みで、ぽつんと光るものがありました。蛍だとは信じられず、目の錯覚かもしれないと、その小さな光を凝視しました。最初の小さな光の点が消えてしまってすぐに、やはり小さな点がひとつ、ふらふらと川のほうへ、流れました。それでも、なんだか、まだ、目の錯覚のように思えてなりませんでした。ひとつ小さな光の点が川のほうへふらふらと飛ぶのを、追うようにして、また小さな点がゆるやか弧を描きながら、暗い茂みを飛び立ちました。ようやく、ああ、これが蛍だと、そのはかなげな光を目で追いました。一匹は光始めると、それにつられたように、また一匹が光ります。 光は光を呼び、あちらこちらでぼんやりとした光がすっと柔らかく飛び立ち、実にたよりなげに飛び交うのでした。なんだか、光る綿が風に吹かれているような飛び方で、虫の飛翔の俊敏さとは縁遠い動きでした。
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